とんかつ

トンカツはここと決めている店があります。正確にいうと、チキンカツですが。西武多摩湖線一橋学園駅にある「藤乃木」という店です。

大学に入学して、運動部に入部し練習後は先輩、後輩と夕食を囲むのが日常でした。そんな時の有力な選択肢の一つがこの「藤乃木」。この店の名物は、大根おろをを乗せた「ふぶき」というスタイルであるが、我々の一番人気は「チキンカツ」。当時のチキンカツというと脂身のないパサパサしたものが多かったが、ここのは皮の部分を活かしジューシーでサクサクに仕上がっている。もちろんボリュームもある。

まずは生ビールで喉を潤し、チキンカツ定食(低学年の頃はご飯大盛り定番であった)で腹を満たす。大学を卒業しても、床屋はキャンパス界隈の店に通い続けていたので、床屋に行くついでにチキンカツ、ビールが楽しみの一つでした。それが、突然の閉店。正確には移転とのことです。この店は、創業者の大将が引退し、当時の店員が後を継いでいたのですが、何かあったのか?

学生当時、通っていた中華料理屋、定食屋はすでに無く。今回、とんかつ屋も。そういうことであれば、キャンパスさえも、この地にはありません。残るは、床屋だけ。40年以上も頭と髪の毛を見てきているので、細かな注文せずとも、それこそ阿吽でカットしてもらえるのがありがたいのですが、いつまで通えるか。とんかつ屋がなくなって、ちょっと弱気になってます。

所詮小唄、されど小唄

小唄の稽古に誘うと、大抵は拒否される。四半世紀前、私が小唄の世界に足を踏み入れた頃は、半ば強制的に習わされたものである。

私の場合は、ある時、地元の先輩であり小唄の泰斗であるハーさんから会社に電話があり、「いまから遊びに行ってもいいか」と。断るどころか大歓迎。しばらく世間話をしたところで突然
 ハーさん 「じゃあ、行こうか」
 私 「どこに行くんですか?」
 ハーさん 「ついてくれば分かる」

で、行った先が小唄の稽古場で、即稽古が始まり入門が決まったというオチ。その時の師匠のもとは15年ほど前に辞し、いまは小唄松峰派二台目家元 松峰照師匠に師事している。そんな流れで小唄の世界に入ったので、誘われたら云々などど言っている猶予はなかった。

そんな経験が根底にあるので、「誘われるうちが花」という言葉の意味みもよくわかっているつもりである。その上で、知人を小唄に誘うとほぼ100%敬遠される。理由の多くは「俺は(私は)音痴なので・・・」というもの。「音痴の原因はキーがあっていないことで、キーさえ合えば音痴は発生しないと」と説明しても、閉じた耳には届かない。

そこで一案、「小唄」とはいうものの、三味線から入ったらどうだろうか。小唄の三味線は唯一撥を使わない。人間が生まれながらに持っている「撥」つまり、「指」を使って弾くわけである。これを「爪弾き」と称するが、実際には爪だけでなく、爪の横の肉もつかうようではあるが、初心者は爪にあれてばとりあえずそれらしい音は発することができる。加えて、小唄は短い。短いものは1分程度である。だから、長歌などの段物にくらべてずっと早く一曲を仕上げることができる。

邦楽に少しでも関心があって、「歌」に二の足を踏んでいる皆さん。三味線は如何ですか?

芸術としての書

獨楽庵では、2月18日(火)に名児耶 明先生をお招きして、講演会を開催します。大変失礼ながら、白状いたしますと、私これまでに名児耶先生の著作を手に取ったことがなく、これを機会に読み始めてみました。

一番の衝撃は書を芸術として捉えるアプローチ。これまで、書を見る機会はあっても、その書の一文字一文字、ましてや空間に目が行くことはありませんでした。頭でっかちな現代人は、どうしてもその内容、意味に注意が向いてしまいます。それは、あまりに活字に慣れてしまったからなのかもしれません。

名児耶先生は、「書は文字という記号を通して、作者の心、魂を紙面に表現できる最もシンプルな芸術」おっしゃいます。この視線は、明らかに欠けていました。茶席で一番大事なお軸を拝見しても、不埒な客は軸の読みと意味しか尋ねず、それに対する感想しか返しません。もっと書そのものを鑑賞する必要があるのではないか。その書から感じられる作者の心、魂について問答すべきではないのか。と、頭にガツンと一撃を受けた気がします。

ある時、松平不昧公の書を掛けていて、それをみた女性客は「丸文字みたい」と感想を述べられましたが、そこには書と真正面に向き合うことの片鱗があったのだと思います。

書に限らす、作者云々、来歴はそれはそれで茶席のご馳走ではありますが、もっと書は書、茶碗は茶碗として美を見出すことにも心を注ごうと思った、新春でありました。

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