本年もどうぞよろしくお願いします。

令和七年、明けましておめでとうございます。
この年が、皆様にとりまして平和で実り多い年でありますことをお祈りいたします。

昨年は、一汁三菜のミニマルな懐石によるコンパクトな茶事(小茶事)である『獨楽庵茶会』が軌道に乗ったことが収穫でした。今日、自宅で催す茶事、稽古を別にすれば茶の湯の現場は、大寄せ茶会と“豪華な“茶事にしかありません。どちらも、「ハレ」。特別な時間です。

獨楽庵を始めるあたって、まず考えたのは「茶の湯の日常」を実現すること。大寄せ茶会でもなく、料亭茶事でもなく、日常的に非日常(茶の湯)を楽しめることを目指して試行錯誤を続け、たどり着いたのが「獨楽庵茶会」という小茶事です。あえて「小」をつけているのは、今日定番と考えられている茶事と比べると、「亭主迎付け」「炭点前」「強肴、預鉢、八寸」が省略されているからです。特に懐石は一汁三菜に限っています。ですから「小」。お客様も三名様までに限らせて頂いていますので、自ずと主客の対話は濃密になります。日頃から、「侘び茶は対話」と信じていますので、亭主一人によるワンオペの副産物、怪我の巧妙とはいえ、獨楽庵茶会の重要な魅力の一つになっていると思います。

また、この小茶事なら、朝(暁、朝会)、正午、飯後(または夜咄)と一日三席も無理なく運営できます。「茶事はニ時(4時間)を超えぬこと」という戒めがありますが、これは朝茶がニ時(4時間)を超えると正午の茶事に影響し、正午の茶事がニ時を超えると夜咄に影響するが故です。現在、獨楽庵では午後5時の席入もお受けしていますので、正午、夜咄と一日ニ席が可能です。今年の夏には、早朝からの会を加えて、まさに一日三席お迎えできるように挑戦してみようと思います。

加えて、今年は獨楽庵風大寄せ茶会「倶楽茶会」を立ち上げ、第一回を2月16日(日)に開催します。この会は、「獨楽庵」の魅力を発掘することを目指して、「獨」=一人の反対語として「倶」=共に の文字を冠して「獨楽」ならぬ「倶楽」と名づけました。毎回、気鋭の茶道家をお招きして、自由な発想で獨楽庵を使って頂くことで新たな魅力が見えてくればと期待しております。濃茶、薄茶各一席で6,000円は割高とお考えになるかもしれませんが、そのところは少人数であることと、獨楽庵の維持ということに免じてお許し頂ければ幸いでございます。

また、江戸時代の茶人の書状を題材に、古文書を読み解く会「桑心会」も順調に月一回の勉強会を重ねてまいりました。その別会として、書道史・書文化研究の第一人者 名児耶明先生(元 五島美術館副館長)をお招きして2月18日(火)に講演会を開いて頂くことになりました。

このほかにも、イベントを企画中でございます。小茶事の「獨楽庵茶会」と合わせて、どうぞよろしくお願いいたします。

令和七年正月元旦
一般社団法人獨楽庵
代表理事 小坂優(宗優)

一年の締めくくりに

大晦日を迎え、獨楽庵の一年を振り返りつつ、反省と新年への思いを。

一年前は、獨楽庵の運営を任されても、正直なところ掴みどころない、五里霧中の状態でした。その霧が晴れ始めたのは去年の今頃から正月に掛けて。それまで、単にお菓子とお茶をお出しして「体験」と謳っているようでは、どこにでもあるツーリストスポットと変わりはないと思いつつ、解決策は見えませんでした。

純粋に、「茶の湯の楽しみ」「茶の湯の価値」とは、と思考を巡らし先達の言葉に耳を傾け思案を続けました。朧げながら至ったのは、原点に戻ろうということ。ここでいう原点とは利休であり、宗徧流の流祖山田宗徧です。利休ー少庵ー宗旦ー宗徧の時代、つまり「侘び」の時代に回帰しようということ。

お菓子に続いてお点前でお茶が出される。よくある大寄せ茶会の一場面。これでは茶の湯の楽しさは伝わらないと常々思っていました。何が足りないのか。それは、「濃密な対話、コミュニケーション」ではないかと思い至りました。「侘び茶はコミュニケーション」と。そこで、その時代の茶の湯の実践、つまり今で言うところの「茶事」が必要なのではないかと。しかし、現在一般に行われている茶事はあまりに豪華。もっとシンプルにできないかと思っているところに、紹鴎の言葉「珍客たりとも会席は一汁三菜を超えるべからず」との言葉が降ってきました。これだ!と。

そこから、紹鴎の言葉を盾に、シンプルな食事と、初座・後座と場面を切り替える方向で組み立てを始めました。最初は、懐石ではなくお弁当を出していましたが、あるところから気持ちを切り替え、一汁三菜の懐石を自ら作ることに乗り出しました。鉄釜でご飯を炊いて、熱々の味噌汁。白身魚の昆布締めを向付に。煮物は試行錯誤の末、真情に辿りつきました。苦手だった焼き物にも挑戦。最初は焦げたり、焼き過ぎのものを臆面もなくお出ししていましたが、今ではなんとか様になっていると思います。これで一汁三菜。この後、湯桶と菓子をお出しして初座は終了。後座は、小間席に移動して濃茶、薄茶。濃茶は電灯を消して蝋燭の灯りだけで。拝見のタイミングで電灯をつけて、薄茶は和やかに、ゆるゆると。

この流れがスタンダードになりつつあります。お客様もリピートしてくださる方も増え、ありがたいことです。そうした中、これが現代の茶への一つの回答か・・・と思うようになりました。

来る令和7年は、この一汁三菜の侘び茶事に磨きをかけ、同時に違った視点から茶の湯を見直し、これまで茶の湯を遠ざけていた人たちにもリーチできるようにしたいと考えています。

来年もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

一般社団法人獨楽庵
代表理事・亭主 小坂宗優

桂川籠

宗徧流では、12月は桂川籠を使う人が多いと思います。赤穂浪士討入にちなんで。

12月14日、吉良家では大事な茶会が催されていました(その情報を掴んで、赤穂浪士は討入の日を決めたと言われています)。その席には、宗旦から山田宗徧へ伝えられた利休伝来の桂籠がありました。討入を遂げた赤穂浪士は、追手を恐れ、吉良公の首は船で品川へ運び。桂川籠を白布で包み首に見立て、槍に刺して凱旋したと言います。

その故事にちなみ、この時期には桂川籠を使います。また、浅野家お取り潰しの後、実家に引き取られていた瑤泉院の元に白玉椿が届けられたことで、瑤泉院は四十七士に切腹の沙汰が下ったことを知り安堵したと言われます。その話にちなんで、桂川籠には白玉椿と教わりました。

この時期、宗徧流の席に入られて床に桂川籠を見つけたら、是非、討入の話を尋ねてください。待ってました!と延々と話し続けるはずです。