今日は、小唄家元・松峰照師匠の出稽古ですので、お茶室はクローズしています。
獨楽庵もいつの間にか秋が深まり、初冬の陽気になりました。庭に点在したもみじが時間差で紅葉するので、毎日異なる表情を見せる獨楽庵です。
師走のひととき、一服の茶を喫し一年を振り返ってみませんか。
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桑都・八王子に息づく茶の湯文化
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唐津で開催された宗徧流義士茶会から帰宅して、義士茶会モードになっています(笑)
今日は会員様とお連れ様、三名のお客様をお迎えしました。
寄付(ソファ席)に大石内蔵助の達磨図(印刷)。楓の間の床には、流祖・山田宗徧像。ここでも何回か書きましたが、山田宗徧は吉良家、赤穂浪士の双方に関わりがありました。獨楽庵の床には、桂籠(桂川籠)に白玉椿。
懐石は、スズキの昆布締め、蓮根団子の椀物、鰤の幽庵焼き。汁は、焼き豆腐と生湯葉。独楽庵では、茶入は古瀬戸累座。薄茶盛は、春慶塗面桶。主茶碗に鈴木五郎の志野。替は伊羅保、楽山焼(空入)、履目(那波鳳翔)。茶杓は成瀬宗巨作 銘「蘆田鶴」。蘆に足が隠れた鶴のように、切りどめ寄りの節。
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茶会を英語で”Tea Ceremony”と表現することが多い。確かに、静かな空間で神妙な顔つきで、数々の意味のありそうな、なさそうな所作を繰り返すその様子は特に外国人には「儀式」と見えなくもないのだろう。また、普段から「一椀に心を込めて」と指導されるので、少なくとも精神性はあるのだろう。”Tea Party”よりは遥かに良いように思える。
しかし”Tea Ceremony”という言葉には、いち茶の湯者として大きな違和感を禁じ得ない。茶の湯と仏教、特に禅宗との関連性はいたるところで指摘されているが、お茶を点てること、お茶でもてなすことに宗教性があるかといえば、疑問ではある。
例えば、茶事のおもてなしの本質は、亭主自らが給仕することに尽きると思う。旬の食材を生かした料理も季節感豊かな器も魅力ではあるが、やはり亭主自らが・・・という部分が肝であると考えている。その延長で考えれば、後座の喫茶は同じく亭主自らが客の面前で茶を点てることが本質と考えるべきだと思う。とすれば、点前とは客の面前で茶を点てることに尽きるはずである。そこに宗教性も、儀式性もましてやパフォーマンス性は必要ないはずである。
ただただ、客の面前で美味しいお茶を点てること。茶を点てる作業と考えれば、客の面前でも水屋でもやることは変わらない。客の面前ですることを、見られていないからと疎かにすることは堕落といわれても仕方ない。その違いは、極小の飾りしかない茶室で客が目にする大部分は点前する亭主であるという事実である。だとしたら、亭主は茶を点てる人であると同時に飾りでもある。
点前は派手さはないが眺めれば眺めるほど味わい深い茶道具のようにありたいと思う。できれば、生きているという気配も消してしまいたい。これが、現時点での点前についての心持ち。
このところ、数回にわたって宗徧流の義士茶会について書きました。14日が近づくとどうしても討入のことが気になってしまいます。習性ですね(笑)
義士茶会の趣向というと、まず外せないのが「桂籠」。一般には桂川籠と呼ばれる利休によって見出された桂川の漁師が使っていた籠です。本懐を果たした赤穂浪士が、吉良邸にあった桂籠を白布に包み首に見立てて凱旋したという話によります。利休伝来の桂籠は宗旦かた宗徧に渡り討入と遭遇しました。この籠は現在、香雪美術館が所持しています。この桂籠に入れるのは白玉椿。瑤泉院が贈られた白玉椿を見て義士達の切腹を悟り安堵したという話に由来しています。
宗家での義士茶会では、席入りの合図は「山鹿流陣太鼓」でした。軸は大徳寺祥山和尚筆の「聴雪」が定番。茶杓は、大高源吾(子葉)作の「節なき」。吉良家江戸家老の小林平八郎が所持していた茶入れ「山桜」が出されたこともありました。
その他、点心は蕎麦。夜泣き蕎麦屋に扮して吉良邸を探っていた杉野次房にちなんでとも、討ち入り前に皆で蕎麦を食べたとも言われています。細かいところでは、輪炭を使った蓋置。吉良公が炭小屋に潜んだからとのこと。大高源吾と宝井其角の両国橋での邂逅から、「宝船」。菓子は、赤穂の塩饅頭・・・などなど。
全ては出来ませんが、12月はできるだけ義士茶会(忠臣蔵)の趣向を取り入れたいと思っています。
今日(12月8日)は、茶道宗徧流の義士茶会です。今年は、九州・唐津で開催されました。唐津藩主・小笠原家の菩提寺であ近松寺で吉良、浅野両家の菩提をともらうための法要に続いて、濃茶席。唐津焼の本場らしく大ぶりな古唐津耳付の水壺、奥高麗の茶碗が目を引く。床には利休の炭の文。当時の炭の貴重さが読み取れる。
続いて薄茶席(未来席)は、近松寺で子供の頃から稽古を続けてきた大学生、高校生たちだけの運営。若々しい道具は、濃茶席と対称的でほっとさせる。続いて、旧大島邸に移動して力囲席(立礼席)は、新調の力囲棚で、席主の鹿児島支部らしく薩摩つくし。種子島焼きは焼締だとおもうが、野趣に富み見所が多い。点心を頂いて、バスでホテルに帰還。
夕方6時からはホテルで懇親会。200名程が円卓を囲む。打ち合わせでは、開会宣言、理事長挨拶に続き、観世流の同好3名で祝儀として仕舞「鶴亀」を。私は、シテを勤めます。地元の銘酒で鏡割りをして乾杯。いい酒が飲めるかどうかは、「鶴亀」の出来次第。
いい酒が飲めますように。
一般社団法人 獨楽庵が活動を開始して以来、試行錯誤を繰り返しながら、現在は「獨楽庵茶会」を中心にとした運営に落ち着いています。獨楽庵茶会とは、獨楽庵友の会の会員様をお客様に、一汁三菜の侘び仕立て懐石による「小茶事」です。「小」と加えているのは、今日の標準的な茶事と比較すると、「亭主迎付け」、「炭点前」が省略されていることによります。初座の懐石も、預鉢、強肴、八寸、千鳥の盃などを廃止、飯、汁、向付、煮物椀、焼物、香の物、湯桶によるミニマルな侘び仕立てにしています。これは、亭主の力量ということもありますが、懐石は小腹を満たす程度にし、後座の御茶に重きを置きたいという思いも込めています。初座の懐石は広間で、後座は小間で行うため、必然的にお客様の面前での炭をつぐこと(炭点前)も必要なくなります。
このような構成だと、御茶に重きを置き、お客様との対話を楽しんでも三時間程度で終了します。古来、「茶事は二とき(4時間)を超えぬこと」と諌めされてきました。4時間を超えれば、朝会が4時間を超えれば、正午の茶事に差し障り、正午の茶事が4時間を超えれば夜咄に差し障るからです。
今日、茶の湯の現場は「ハレ」だけのものになってしまいました。「大寄せの茶会」にしても、「茶事」にしても、特別な事になっています。これに対して、獨楽庵では「日常の茶」を模索しています。獨楽庵風の小茶事である、「獨楽庵」茶会であれば亭主一人でも一日三席(朝茶、正午、夜咄あるいは飯後)開くことができます。しかし、一方で「ハレ」の席のように一つの席に向けて料理を吟味し、道具を選ぶことはできません。どうしても「日常感」は否めないと思います。そこを出発点として、茶会(茶事)を探求していきたいと考えております。よりよいものにするために、皆様のご指導、ご助言、大歓迎です。
今日は遠方からお二人のお客様をお招きしました。「珍客たりとも会席(懐石)は一汁三菜を超えるべからず」という紹鷗の言葉を盾に、今日も侘び仕立ての懐石。帆立貝柱と白魚の昆布締め、海老真薯、タラの幽庵焼き。菓子もいつもの通り、地元の旭苑製「山茶花」。
獨楽庵の太柱をお目当てにご来庵とのことで、茶席は獨楽庵で。茶入:鈍翁好大夫棗。品川東海寺、沢庵和尚遺愛の松をもって喜三郎に造らせたものの一つ。茶碗;愚朗井戸、立花大亀和尚銘「嵯峨」。替:楽山焼、空入。
自ら数寄の道に飛び込もうという正客につられて数寄話、というか落ちこぼれ茶人あるある話。お客様に恵まれ、今日もまた亭主冥利の一日。
今日から庭の植木の手入れが始まります。獨楽庵は10日までお休みを頂きます。
その間、亭主は宗徧流義士茶会参加のため、佐賀県唐津を訪ねます。小笠原家は、1817年から1871年の廃藩置県まで唐津藩主を勤めました。宗徧流・山田家は小笠原家の茶頭を勤めていましたので、小笠原家について唐津に移りました。五世宗俊、六世宗学、七世宗寿の時代です。そのため、唐津を中心とする九州北部はには宗徧流が根付きました。
今年の義士茶会が、いわば宗徧流の故郷の一つである唐津での開催です。唐津界隈には、唐津焼をはじめ高取、有田、伊万里など窯元が多く、それらを訪ねるのも茶人の楽しみの一つです。また、グルメでは呼子のイカも忘れられません。
小唄松峰流には『呼子の女』という曲があります。小唄の紹介は後日改めて。
小春日和の獨楽庵。今日は二名のお客様をお迎えしました。いつもどおりに、一汁三菜、侘び仕立ての懐石による獨楽庵風「小茶事」。
イカの昆布締め、海老真薯、鰤の幽庵焼き、汁(生湯葉)。茶席(獨楽庵)は、茶入:北村祐庵所持 利休好鷲棗、茶碗:井戸、上口愚弄造、替茶碗:楽山焼、空入造。
料亭「美ささ苑」が楽の会を主催していた頃からのお客様。楽の会の茶会の思い出話に花が咲きました。私も楽の会月例茶会で、濃茶席を二度、薄茶席を一度担当したことがあります。1度目の濃茶席は、人生初の濃茶席で、今思うと肩に力入り過ぎだったなあと赤面。その時、お家元にお願いして譲って頂いた竹尺八の花入れ銘『堕落天使』を今日は床に向掛けしました。花は白玉。