B級能鑑賞法 その1

全くの成り行きというか、「交通事故」で能の稽古を始める至った経緯はすでにこのブログに書いた。とにも書くにも、1年半後には能舞台に立たなければならなかったのである。それも、能の「の」の字も知らない素人が。

神妙に稽古を続ける一方、能の雰囲気、能楽堂の雰囲気に慣れなければならないと思い至ったのはまさに天啓。能の泰斗である、白洲正子女史は「能は1000曲観ればわかる」と仰るが、1年で1000曲は到底無理。それでも100曲は観ようと、時間があれば能楽堂に足を運んだ。東京で日程が合わなければ全国各地の能楽堂にお邪魔した。結果として、一年間で百曲は観たと思う。

最初は苦痛でしかなく、能=睡眠時間であったが、途中から居眠りもせずに2時間弱に及ぶ大曲も楽しみながら観れるようになった。何故か?

それは、能の構成が分かったから。能のほぼ半数は複式夢幻能という形式をとっている。世阿弥が確立したこの形式は、複式=前場と後場の2場面で構成されている。夢幻=夢か現実か区別がつかない物語。という形式である。そして、物語にはいわゆる「テンプレート」がある。能が困難なのは、物語の先行きが読めないことに起因する部分が大きい。しかし、それが「水戸黄門」のように展開が読めたらどうだろう。「つまらない」という意見もあるが、実際には「安心して観れる」ことのメリットが大きいと思う。それは、毎回同じ構成の「水戸黄門」が何シリーズも人気を博していることからも知れる。「安心」して観れることは実は重要なのである。

その「テンプレート」とは何かは、次回に。

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