青春のリグレット

1985年にリリースされた松任谷由美さん17枚目のアルバム『Da・Di・Da』に収録されている秀曲。誰にでもあるだろう、青春のほろ苦さをテーマにした楽曲。「後悔」を「リグレット」としてるところが、いかにも「ニューミュージック」という雰囲気がある。

この曲はリリースから10年後の松任谷由美さんのコンサートツアー「In to the Dancing Sun」でとりあげられ、印象的なシーンを残している。アメリカの大学卒業生をイメージした衣装からして「青春」であるし、ダンスの振り付けはアメリカのカレッジフットボールのハーフタイムショーで見られるダンスチームによる隊列が整ったダンス風。これも、「青春」を刺激する。

極め付けは「私を許さないで 憎んでも覚えてて」という歌詞。「笑って話せるの なんて悲しい」という詩と相まって、「青春」を際立たせている。

青春は後悔の連続。それを笑って済ませるのではなく、憎んでまでも胸に刻む。忘れない。思えば、青春からはずっと歳をとっている自分の行動規律は「後悔(リグレット)」にあるのではないかと思う。40年前の早稲田大学東伏見プールにおける試合。完璧に締め括れない自分がいる。また「リグレット」を残した京都・南禅寺。

京都に来ています

一昨日(4月4日)から京都に来ています。荷物を満載した車で午後に八王子を出発、中央道・名神高速をノンストップで走り切り京都に到着しました。旅の目的は、南禅寺で開催される茶道宗徧流全国流祖忌。流祖・山田宗徧の318回忌法要と茶会です。

不祥、私はこの流祖忌で南禅寺法堂において全国の宗徧流門人を代表して献茶をご奉仕する栄に浴しました。このことが決まっていらい稽古をはじめ、年が明けてからは獨楽庵に真台子を持ち出して稽古を重ねてきました。結果は・・・自分の至らなさを痛感する結果となったわけですが、同時に歴史というか人間の営みの流れのようなものを実感することができた得難い体験であったとも言えます。

かねて、茶道の変遷について、たとえば利休の革新についても、全ては茶の湯の大きな流れの中にあると評してきました。どんなにユニークに革新的に見えることでも、そのルーツは茶の湯という大きなうねりの中にあるという意味です。成功も失敗も、全て。その堆積こそが歴史。であるということを痛感させられた本日であり、この一年間であったと思います。

明日は京都でお茶に招かれたあと帰京します。


ご飯の誘惑

春の声が聞こえ始めると、茶人は炉から五徳を取り出し釣釜を楽しみたくなります。本来、露の季節はいつ釣釜を設えても良いのですが、やはり釣釜は春が似合います。春の麗らかな日差しとゆらゆらと揺れる釜が春の気分を盛り上げてくれます。

同時に、茶事では趣向を変えて茶飯釜をしたくなるのも茶人の常。茶飯釜とはその名の通り一つの釜で飯を炊き、茶を点てる趣向です。通常の茶事では、最初に運ばれる繕に向付、汁と共に炊きたてのご飯が載せられます。茶飯釜では、そのご飯をお客様の面前で炊く訳です。

ご飯がうまく炊けることを願いながら炉に炭をつぎ、釜に白米を入れて炉に掛けます。しばらくするとグツグツとコメが煮える音がして、いい香がしてきます。釜から湯気が漏れそれが止まるる頃には香ばしい香りがしてきます。そうしたら、釜を少し火から遠ざけ蒸らします。仕上げはもう一度釜を火に近づけ「おこげ」を作ります。これで出来上がり。おこげの香ばしい香とピカピカに炊けたご飯がお目見え。

日本人としての幸福感は最高潮。茶飯釜はもともとは懐石の準備ができない時の緊急避難的な趣向だったと教わった記憶があります。ですから、茶飯釜の懐石は侘びに徹します。むしろその方が炊き立てご飯の魅力が際立つようにも思います。

四月は炉の名残。ゴールデンウイークが明ければ、風炉のシーズンの始まりです。去り行く炉を愛でながら、茶飯釜を楽しもうと思います。