江戸のラヴソング

小唄を一言で言えば・・・ 小唄に馴染めば馴染むほど困難な問題である。おそらく、小唄の八割は色、恋を唄った、いわゆる「ラブソング」であるが、残り二割はそうでもない唄、例えば芝居小唄である。歌舞伎の名優の伊達姿を歌い上げたものだ。

そういう例外は多少あるものの、小唄は「ラブソング」と言い切ってしまって、ほぼほぼ構わないと思う。かく言う小生は、好んで「ラブソング」を唄っている。と言っても、小唄にはハッピーなラブソングは極めて少ない。大半は、いわゆる「不倫」であったり、さらには不倫の絡れのような唄も少なくない。

『江戸のラヴソング』は、寄席の俗曲師としてご活躍の柳家小菊師匠の名盤である。端歌、都々逸など粋な音曲が収録されている。これらを「ラヴソング」と一括りにしたのはあまりに秀逸である。これらの音曲を総称するに、これ以上の言葉はないと思う。

と言うわけで、小生も小唄の枕詞に「江戸のラブソング」を拝借することする。

🎵気まぐれに帰ってきたのか軒つばめ 濡れた素振りを見せまいと はずむ話もあとやさき 洗い立てする気もついそれて あんまり嬉しい久しぶり

浴衣会で唄うことになっているのだが・・・

小唄にご興味をお持ちのかたは、ぜひ獨楽庵の稽古を見学にいらしてください。毎月、第二、第四木曜日 午後1時から4時。小唄松峰派家元、二代目松峰照師匠が出稽古にいらしています。

Tears In Heaven

我が青春時代。アイドル筆頭は間違いなく、松田聖子であった。そのアンチで中森明菜も大いに人気を博していた。

その我が青春のディーバ二人が揃ってジャズのカバーアルバムをリリースしている。松田聖子は、覆面(今時で言えばステルス)で発表した“Sweet Memories”でジャズとの相性を立証しているが、対する中森明菜は絶頂期の歌声からもジャズの香りを感じていたもの。両名が揃って、ジャズという、ある意味、自分のプロフィール全編を掛けた音楽表現に踏み出したのは、ファンとしては慶賀の至りである。

両嬢とも、自分のヒット曲をカバーして、同じ熱い時を過ごしながらも今は人生の終盤に向っていることを自覚せざるを得ない身には、まさに『同級生!』という感情を抱かせる訳であるあが、中森明菜が自分の楽曲を見事に年齢通りに再表現している(それはそれで見事なのである)のであるが、やはり泣けるのは松田聖子が歌う『Tears In Heaven』である。

この曲はご承知の通り、Eric Claptonの作品で、1991年にアパートの階段から転落して死亡した当時4歳の息子コナーを悼んで作った楽曲である。この歌を、沙耶香を同じ転落で失った聖子ちゃんが歌うには、どれだけ葛藤があったことか、察するにあまりある。それを乗り越えて、“Tears In Heaven”を歌う彼女の表情は、何よりもこの楽曲に深みを与えている。お決まりの、お涙頂戴では決してない。むしろ真逆に、さらっと。それができるのが人生の重みというのなのだろうか。

三日月眉

我が街、いや日本の名妓にして小唄の師匠であるMさんが、10月に市内のホールで素人会を開く。私は弟子ではないものの、彼女の会の発足当初から応援で参加させてもらっていた縁で、今回も。

舞台では、『未練酒』、『三日月眉』を。どちらも松峰派のオリジナル曲である。

🎵三日月眉にかたエクボ 話し上手で聞き上手 糸の音締めがまた乙で ほんに今夜は別世界 ええ酔った酔った 真から酔いました 角の柳におくられて 出てみりゃ白々明けの鐘

みての通り花柳界を唄った作品である。主人公の男は、馴染みの芸者と小唄を楽しみしここたま飲んで寝入ってしまったのだろう。目が覚めたらもう明けの鐘。その夜をどう過ごしたかは色々と邪推できる。小唄どころでなく、熱い夜を過ごしたかもしれない。

しかし、この男、花柳界を「別世界」と感じる程度に初心なところがある。ここは、いい調子で飲みすぎて寝入ってしまったと解釈することにしよう。その方が、曲調にも合う。

短いところがイイ

とある小唄の会合での挨拶。ズバリ、「小唄は短いところが良い」というお話し。我が人生の師である泰斗ハーさんは、常々同様のことを仰っていた。ハーさん流にひねりが加えられているが。ハーさん曰く、「小唄は短いとろろが良い。相手に対するダメージが少ないから。どんな下手な唄でも三分我慢すれば終わる」。もちろん、ハーさんは下手ではないどころか名手である。

よくも悪くも、この「短い」というのが小唄の宿命である。例えば、三越劇場などで催される大きな演奏会。唄手、糸方合わせて百名以上の演奏家が集うのであるから、確かに大演奏会である。しかし、小唄ならではの悩みがある。まさに、短いが故の悩み。一曲3分。二曲唄ってもせいぜい5分。これだと、遠方の知人に声を掛けるのが申し訳なく思えるのである。1時間以上の時間をかけて劇場にお越しいただいても、お呼びした当人の出番は5分で終わってしまうのである。このあたりに、小唄の演奏会が今ひとつポピュラーにならない遠因があるのではないかと思わざるを得ない。

一方、座敷で同好の師と小唄を楽しむときはこの「短さ」が生きてくる。どんなに下手でも3分我慢すれば終わる・・・とは言わないが。

1984

とある業界の将来像と戦略について議論していて、自分が明らかに権威主義に傾いている事に気がついた。

その時思い出したのが、Apple創業者Steven Jobsの1984年のスピーチ。彼はAppleとIBMを対比するなかで、如何にIBMが新市場のチャンスを失ってきたか述べている。1950年代のゼログラフィ技術、1960年代のミニコンピュータ、1970年代のパーソナルコンピュータ。パーソナルコンピュータには、大慌てでその名もIBM PCをもって参入しているが。

ミニコンピュータは、Digital Equipment Corporation (DEC)が生み出したセグメントであるが、IBMは、”to small to do serious computing”としてdismiss(拒む)した。Appleが生み出したパーソナルコンピュータも同じ。

新たな胎動を当時のIBMのようにdismissしてはいないだろうかと反省した次第。

リンクはそのJobsのスピーチ。https://youtu.be/xopj35NvcHs?si=QtGvEv7vXwZ-UQBX

趣味

趣味は?と尋ねられると「茶の湯、小唄、能楽」それと「ゴルフとテニス」と答えるしかない。ほとんどの方は、「和事がお好きなんですね」と仰る。

確かに客観的に見れば「和事」が好きなのかもしれない。しかし、それは結果論であり、成り行き任せの成れの果てなのである。

私を小唄の世界に引き摺り込んだのは、地元における小唄の泰斗「はーさん」である。同窓会の重鎮にして地元経済界でも一目置かれる「はーさん」からある時電話がかかってきた。「今から遊びに行ってもいいかい?」「もちろんです」 しばらくして「はーさん」が来社。しばらく世間話をして「さあ、行くか」と。「どこに行くんですか?」と聞いても、「ついてきたら分かる」の一点張り。かくして到着したのはビルの最上階にあるカルチャースクールの「小唄教室」。数名の受講者がすでに着席していて、真ん中に師匠が。何がなんだかわからないうちに、「じゃあ、唄ってみましょう」と歌詞を渡されたのは、「伽羅の香」だったと思う。

師匠について何度か唄うと少しは慣れてくる。そうすると周囲から「男性は声がいいわね」とか「筋がいいわね」と妙なお褒めの言葉が。これに浮かれた訳ではないが、正式に入門して稽古を始めることになる。その後、師匠は2度変わったが今でも小唄の稽古は続けていて、25年を数える。年数だけ言えばベテランの域かもしれない。小唄はすでに人生の一部になっている。このような世界を与えてくれた「はーさん」にまず感謝したい。

この話には、重要な前段がある。「はーさん」は常々「人間誘われるうちが花」と仰っていた。文字通り取れば、「誘われるうちに、やっておきなさい」ということ。しかし、これには裏があって、「誘う方も真剣なんだ」ということ。自分が属してしかも大切にしているコミュニティに新人を誘うことはとても勇気のいることだと思う。その輩の行動遺憾によっては自分のコミュニティ内での立ち位置に係るからである。だから、そのリスクを承知で誘うということは、そのことをしっかり受け止め真摯に決断すべきだということ。もちろん、誘いに乗ることがベストであろう。

思えば、誘われたら断らないということは私の人生訓かもしれない。

一人暮らし

去る4月14日、小唄松峰派樹立55周年記念演奏会(於 三越劇場)で唄った『一人暮らし』。作詞 伊藤寿観、作曲 初代松峰照(昭和52年)。

「雪もよい 一人暮らしの気散じは 昼間の酒の燗ちろり ねずみガタガタ 湯豆腐グッツグツ 炬燵にゃ子猫が大あくび がっくりそっくり按摩さん 格子戸開けて ええお寒うございます」

洒落た小唄らしい作品だとおもう。出だしの「雪もよい」はゆったりと。どんだけ格調高い曲がはじまるのかと思いきや、いきなり粋な小唄の世界に。寡婦(やもめ)男の休日である。湯豆腐を肴に昼酒を決め込んでいる図である。ここに出てくる「燗ちろり」。これに疑問を挟む余裕はなかったが、あらためて調べてみると日本酒の燗をつけるための錫や銅でできた容器のこと。そういえば、昔ながらの居酒屋にいくと、店の奥で店の主が燗番をしていることもあり、その時に湯に浸けられていたのが「燗ちろり」なのだろう。

この唄、主人公は一人暮らしの気軽さを最大限に堪能すべく、昼から炬燵で湯豆腐を肴に昼酒なのであるが、周囲は放っておかない。天井ではねずみがガタガタ走り回り、目の前では湯豆腐が煮えたぎり、足元では猫が大あくび。そうこうするうちに、頼んでいた按摩さんが到着し。格子戸を開けて、「ええ、お寒うございます」。なんとも賑やかであるが、当の本人は昼酒でいい調子なのだろう。その様子を想像するに、なんとも滑稽というか絵になる。

こういう小唄はそいいう面白さを聴衆に伝えなければならない。これが意外とむずがしいのである。稽古でも毎回「ええお寒うございます」のやり直し。イメージは格子戸をあけて、奥にいる主に聞こえるように「ええお寒うございます」 なのであるが、言葉に引きずられて陰気に「お寒うございます」は論外なれど、どいういう気持ちで「お寒うございます」なのか。

小唄は難しい。

言わなきゃよかった

4月、5月と大舞台(=三越劇場)が続いたので、小唄の大切な醍醐味の一つをわすれかけていたことに気がついた。

小唄はもともと「四畳半の音曲」と呼ばれていた。この場合、四畳半とは小座敷を指す。つまり、座敷で、少人数で楽しむ音楽ということである。座敷というのは、時代であれば料亭。いまでは、料亭というとその店で調理した料理を供する”高級な”和食店というのが概ね虚言う通するイメージであろう。しかし、「料亭」とは本来その店で調理した食事を供する場所ではない。そのような店は「割烹料亭」と呼ばれることはあったが、それが短縮されて料亭となったのかもしれない。「料亭」とは、「お茶屋」とも呼ばれ、いわゆる貸し座敷である。客、芸妓、料理が集まる場所である。料理は仕出で提供される。「料亭」で調理するわけでないのである。「料亭」が出すのは、お酒とせいぜい漬物くらい

我ホームグラウンド八王子の花柳界にも10年前くらいまではそういう「料亭」があった。料亭を利用するときの”正規”のプロトコルは、まず「料亭」の女将から始まる。と言うか、女将が全てである。女将に時間と人数を告げれば、あとは女将の采配で手配してもらえる。その頃でも、そうしたプロトコルは辛うじて存在していたが、「料亭」の消滅によりそのようなプロトコルはなくなり、知っているものも少なくなっている。昭和は遠くなりにけり。

話はそれたが、ロータリークラブの小唄愛好家の有志があつまった同好会に参加した。日本料理店(今ではそれを「料亭」と呼ぶのが一般的)の座敷に芸妓を呼び、一通り料理と芸妓の芸を楽しんだ後、いよいよ小唄である。全員が小唄を嗜み日常的に稽古をしているという、いわば好きもの同士なので、誰に気兼ねすることなく小唄を披露し、時には批評も伺う。大舞台では味わえない、小唄本来の魅力であると思う。

今回は、松峰派の代表曲の一つにして今は亡き小唄の泰斗のお気に入り『言わなきゃよかった』を唄った。

”言わなきゃよかった一言を 悔やみきれないあの夜の 酔ったはずみの行き違い ごめんなさいが言えなくて 一人で聞いてる雨の音”

主人公は女性である。繰り返すが、昭和の女は強いのである。男に一方的に言われ、男が去った後、女々しく泣くような女ではないのである。男と対等に口喧嘩し、言いすぎてしまうくらい強いのである。しかも、「一人で」雨の音を聞いてそれを悔いているのである。きっと、酒を飲みながら。

紫陽花

ロータリークラブには例会への出席を第一義とする「教義」がある。ロータリーというと「奉仕活動(一般にはボランティア活動と言った方が通りがよい)」があるが、それに関連して「入りて学び、出て奉仕せよ」という言葉がある。この場合「入りて」とは「例会に出席して」と同義である。つまり、ロータリークラブにとって「例会」は学びの場であるわけである。

しかし、毎週昼間に例会を開催しているのだから、現役のビジネスマンならずとも100%出席するのは難しい。それでもなお100%出席を求めるのであるから、とうぜんのことながら救済策がある。「メイクアップ」とよばれる制度がそれで、要は世界中にあるロータリークラブの例会に出席して、自分のクラブの欠席を埋め合わせる(=メイクアップ)することができるわけである。これはとりようによっては、偉大なる権利なのである。世界中どこのロータリークラブにもノーアポで出席することができるのだから。

今朝も、京都のクラブでメイクアップした。このクラブの今年の会長は花屋さんであるので、毎回花について話をして頂ける。花音痴茶人である我が身に大変ありがたい例会でもある。前回メイクアップした時には水仙についての話を伺った。今日は紫陽花がテーマ。

紫陽花は、日本が原種で西洋に渡り、それがセイヨウアジサイとして日本に戻ってきたのだそうだ。我々が花びらだと思っている部分は実はガクで、花びらはそのガクが密集した中にあるというだ。アジサイには青いものと赤いものがあるが、どれは土壌の違いで、土がアルカリ性だと青くなり、賛成だと赤くなるらしい。

そういえば、庭に朝顔が咲いていたなあ・・・

猩々

能の林宗一郎先生が、来年「十四世林喜右衛門」を襲名されるのに合わせて、我々林社中の素人会『松響会』が開催されることになりました。先生の地元京都では4月に。東京では令和7年11月24日(勤労感謝の日の振替)です。会場はなんと、銀座の観世能楽堂! 

この11月の会で、『猩々』のシテを勤めさせて頂くことになりました。猩々は、海底に住む精霊です。揚子に住む高風という親孝行息子は、ある晩「揚子の市で酒を売れば家は栄える」という夢をみます。高風は夢のお告げの通り揚子の市で酒を売りましたが、高風が酒を売っていると必ず現るものがいて、そのものはいくら酒を飲んでも全く酔わない。高風が不思議に思って尋ねると、「海に住む猩々」と名乗りました。
高風が潯陽のほとりで待っていると、赤い顔をした猩々が現れ、友との再会を喜び、酒を飲み舞を舞います。そして、心の素直な高風を称え、これまで酒を飲ませてくれたお礼に酌めども尽きない酒の壺を贈り酔い潰れて伏せてしまいます。これは高風の夢の中でしたが、酌めども尽きない壺は残り、高風の家は長く栄えたと言います。

これが『猩々』のあらすじですが、酌めども尽きない酒の壺を贈られた東風の家は長く栄えたという部分が大変に目出度いということで、附祝言でも唄われることも多く、祝言曲として知られています。

先生の襲名記念の会に祝言曲『猩々』を舞わせて頂けることは大変光栄なことです。『猩々』は五番目物として扱われているので、もしかすると会の最後の番組になるかもしれません。前回の『橋弁慶』はのんびり構えすぎて不完全でしたので、今回は最初から飛ばしていこうと思います。