忠臣蔵

早いもので来週はもう12月です。残暑を恨めしく思ったことも、喉元過ぎればなんとらやで、今では挨拶も朝晩の冷え込みが定番です。

師走といえば「忠臣蔵」。以前は、この時期になると「忠臣蔵」のドラマが連日放映されていました。この師走の風物詩も、最近はあまり目にしなくなりました。少し、寂しく思います。とは言え、茶道宗徧流には『義士茶会』があります。以前は鎌倉宗家で開催されていましたが、門人会の結成を機に門人会主催で全国各地持ち回りで開催することになりました。今年は、九州・唐津で開催されます。

小唄でも忠臣蔵を扱ったものがあります。私の習ったなかでは、「年の瀬や」、「野暮な大小」。

『年の瀬や年の瀬や 水の流れと人の身は とめて止まらぬ色の道 浮世の塵の捨てどころ 頭巾羽織も打ち込んで 肌さえ寒き竹売りの 明日待たるる宝船』

四十七士随一の風流人・大高源吾。俳句をよくし「子葉」というなで知られていた、その源吾。竹売りに扮して吉良邸のまわりを探っていたところ、両国橋で俳人・宝井其角とでくわします。竹売りに身をやつした源吾に、其角は「年の瀬や水の流れと人の身は」と発句を投げます。これに対して源吾は「明日待たるる その宝船」と返すというくだりが忠臣蔵にあります。「宝船」は言わずと知れた「本懐」のことです。其角は、翌朝赤穂浪士討ち入りの報を耳にして、すべてを悟ったことでしょう。

大高源吾は、同じく茶の湯もよくして、なんと山田宗徧に入門していました。そこが、宗徧流義士茶会の起源なのです。この話は、長くなりますので後日に。

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