昨日(12月8日)は、佐賀県唐津で宗徧流義士茶会が開催されました。流祖・山田宗徧が三州吉田藩主小笠原家に茶頭として出仕していらい、山田家は幕末まで小笠原家に仕えました。小笠原家が棚倉藩から唐津藩に転封してからも、5世宗俊、6世宗学、7世宗寿と三代にわたり唐津に在しました。そのため、唐津を中心とした九州には宗徧流門人が多く、宗徧流のひとつの拠点になっています。
7世宗寿は、宗徧流最初の女性家元です。他の流儀を見渡しても女性が家元を勤めることはかなり珍しいと思います。廃藩置県により、伝統文化は庇護者を失い厳しい生存競争にさらされました。茶道も例外ではありませんでした。そのような混乱期、傾きかけた宗徧流を亡くなった夫(6世宗学)の意思を継いで、女性家元という重圧の中必死に守り続けた7世宗寿に思いを馳せる茶会でもありました。7世宗寿には、実子がなく養子に迎えた寅次郎(8世宗有)により宗徧流は近代的な家元制度を確立して今日につながるわけですが、寅次郎の活躍はまだまだ先のことです。
義士茶会は8世宗有が昭和8年に始めたことを示す軸が宗家に残されています。ですから、今年は最初の義士茶会から91年目ということになります。初期は、赤穂浪士の忠臣を讃えることがテーマであったようですが、流祖山田宗徧が小笠原家に仕えた三河国には吉良家の所領もありました。同じ譜代大名として親交のあった吉良家と小笠原家。このことに思いを馳せて、義士茶会は吉良家、浅野家双方の慰霊をともらう会となりました。
今回も、茶会に先駆け会場である近松寺のご住職により法要が執り行われ、およそ50名が焼香をいたしました。茶会の夜は、唐津市内のホテルでそご宗家隣席のもと懇親会。地元の酒の鏡割りに続く乾杯に先駆け、観世流を習う有志で仕舞「鶴亀」を披露し、私はシテを勤めました。昨年、ロータリークラブでも仲間と仕舞を披露しましたが、能には幕という概念がなく、仕舞の場合も、なんのMCもなく舞台から地謡方が現れ舞台に着座すると、シテ方が登場し、舞台中央に座るなり、扇を広げ「月宮殿の白衣の袂」と歌い始め、それに続いて地謡が謡いシテは立ち上がって舞を始めます。舞そのものは2分程度です。終了すると、舞台中央に座り、扇を閉じ立ち上がって舞台袖に下がります。地謡も挨拶もなく無言で立ち上がり舞台袖に消えます。
能や仕舞を観た経験のない方々は、呆気にとられたことでしょう。実は、我々の狙いもそこにあったのですが(笑)