以前に、茶の湯の点前はパフォーマンスか?ということに関するブログを書いたと思う。私の、今現在の結論は「否」である。茶事という侘びのおもてなしを俯瞰すれば、亭主は給仕を第一義としていると見える。山田宗徧の著作『茶道便蒙抄』でも、客は亭主に「自ら膳を運ぶのではなく、通い(半東)をお出しください」とことわりつつも、亭主は全ての膳を運び出すべしと言っている。給仕に徹すべしと。
この延長で考えると、後座の喫茶での亭主も少なくとも濃茶を出すまでは給仕に徹すべきなのではないかと考える。つまり、点前に集中すべし。しかし、給仕に徹する点前とパフォーマンスとしての点前は自ずと異なるはずである。
いまのところは、空気のような点前を目指している。客が気がついたら茶が点っていたというような。どこにも気負いや衒いのない、空気のような点前。これが現時点での理想である。そして、一旦茶がでたら、対話を大いに楽しみたいと思う。