敷居

内部にいるときずかないが、外から見ると厳然として存在するもの。「作法」。それこそが、日本の伝統への障壁になっているのではないかと考えはじめている。例えば私自身は茶道という世界に身を置いて四半世紀。今では空気のように意識の対象ではない「作法」であるが、習いはじめは違和感を感じつつも、いつの間にか意識から消えてしまっていた。それ故、茶道に馴染みのない方々からの“SOS“を見逃していたような気がする。

身につけてしまった、言い換えればこっち側の人間にとっては、空気のような意識しないものでも、作法とは何かと想像すら及ばない方々、言い換えればあっち側の人々にとっては一大事なのである。我々、“こっち側“の人間はつい「作法なんてどうでもいいんですよう」などど軽はずみに口にしてしまうが、それは解決策になるどころか、さらに障壁を強化しているのではないかと考えるようになった。“あっち側“の方々にとって「作法」は不安の根源である。であれば、不安を取り除けば障壁は下がるのではないだろうか。

「作法」はどうでもいいものではなく、「一大事」であることを肝に命じて発信を続けていきたいと思う。

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