一昨日(4月4日)から京都に来ています。荷物を満載した車で午後に八王子を出発、中央道・名神高速をノンストップで走り切り京都に到着しました。旅の目的は、南禅寺で開催される茶道宗徧流全国流祖忌。流祖・山田宗徧の318回忌法要と茶会です。
不祥、私はこの流祖忌で南禅寺法堂において全国の宗徧流門人を代表して献茶をご奉仕する栄に浴しました。このことが決まっていらい稽古をはじめ、年が明けてからは獨楽庵に真台子を持ち出して稽古を重ねてきました。結果は・・・自分の至らなさを痛感する結果となったわけですが、同時に歴史というか人間の営みの流れのようなものを実感することができた得難い体験であったとも言えます。
かねて、茶道の変遷について、たとえば利休の革新についても、全ては茶の湯の大きな流れの中にあると評してきました。どんなにユニークに革新的に見えることでも、そのルーツは茶の湯という大きなうねりの中にあるという意味です。成功も失敗も、全て。その堆積こそが歴史。であるということを痛感させられた本日であり、この一年間であったと思います。
明日は京都でお茶に招かれたあと帰京します。