今日は地元有志による地蔵講。朝9時にお地蔵さんに集合し、お坊様の読経に続き全員で般若心経を唱える。法要後は会館に移動して懇親会。
この地蔵講、亡き父も発起人の一人であったらしい。当初は、父の同級生を中心に10名程が地蔵前に集まり、一日飲み明かしたという。当時は地蔵講ではなく、「おこもり」と呼ばれていた。子供心に「おこもり」の記憶はある。母親は一日飲んだくれている父やその友人に眉を顰める場面もあったが、何となく親父たちの気持ちは伝わってくる。
太平洋戦争の末期、1942年八王子は米軍の空襲を受けた。多くの市民が焼夷弾の炎で命を落とした。その中に、父たちの友も多かったことだろう。空襲を生き延びて自由な空気を謳歌する父たちが、空襲で命を落とした友のことを思わなかったはずはない。父からは「おこもり」の意味を聞くことはなかったが、幼くして死んだ友の供養。これが「おこもり」の出発点ではなかったかと思っている。
この地蔵講、誰でも参加できるというわけではないのだ。地蔵講の講元からお声がかかりメンバーに加えてもらって初めて参加できるのである。何となく、秘密結社の様ではあるが、公平が必要以上に叫ばれる現代、このような閉鎖性は残っていてもいいのではないかと思う。