久しぶりに小唄に浸る

3月1日、新宿・柿伝で松峰会春の勉強会が開催されました。昨年は4月に宗徧流門人を代表して京都・南禅寺で献茶をさせて頂具栄誉に預かり、そのための稽古や打ち合わせで小唄まで時間が回らず献茶が済むまでは一時小唄をお休みにしました。

その後、6月にイスラエルに赴き友人の長男の結婚式に参列。帰国して、長旅による疲れと時差ボケに加え、炎天下で灰を篩っているうちに軽い熱中症を患い、午後になると気力を失ってしまう状態に。早く寝ても、夜中は時差ぼけで目が覚めてしまうので寝不足も改善せず。小唄に集中するには程遠い体調でした。

11月には銀座・観世能楽堂で能「猩々」のシテを勤めることになっていたものの、体調不良で稽古も進まず、それでもできた時間は能の稽古に注ぎ込まざるを得ませんでした。能舞台はなんとか無事に勤めたものの、右膝を剥離骨折。しばらく痛みとともに不自由な生活を強いられ、小唄どころではありませんでした。

12月になると、謎の咳が始まり。ちょっと喉を使うと喘息のように咳き込む有様。とても小唄の稽古どころではありません。そんな状態で年を越し、勉強会も近づき気はあせるものの、唄えないのでは何とかしょうがありません。

そんな時、ふと「おれって三味線やってたじゃん」と閃きました。そこで家元と相談し、3月1日の勉強会は三味線だけで参加させていただくことになりました。

前置きが長くなりましたが、松峰会の社中の皆さんの唄で久しぶりに小唄を堪能しました。ご祝儀曲「松の寿」は合唱なので末席で参加させて頂きましたが、咳き込むことなく最後まで歌い切ることができました。

自身もついたので、3月から小唄に全力復帰することができそうです。

時期はずれになってしまいましたが、「梅月夜」に挑みます。

ナレッジナビゲーター

SNSに昔のパソコン事情について書きながら、大昔のAppleについて記憶が蘇ってきました。Knowledge Navigator。Appleが1987年に発表したコンセプトムービーです。薄型の液晶画面を指による“タッチ“と音声で操作し、画面に登場するアシスタントと対話しながら情報を集めたり、資料を作ったり、スケジュールを管理。

その当時は「夢物語」でした。それは、Appleがその“Knowldege Navigator”という名前を冠してよに送り出した製品が、Knowlegde Navigatorコンセプトとは似ても似つかない駄作であった事からもわかります。

AppleからはiPadという“タッチ“操作可能は大型液晶画面を備えた薄型のデバイス“iPad”が製品化され、すでに市民権を得ています。最新のiPadはAIを動かすに十分な処理能力を備えています。音声で操作することもすでに可能になっているでしょう。

今日のiPadこそ、1980年代にAppleが夢みた”Knowledge Navigator”なのです。その間、40年の月日が経ち、Appleのガバナンスも幾度か大転換を経験しましたが、Appleという会社が夢を実現したことは確かです。

noteというサイト、ご存知ですか

note(note.com)という投稿サイトに駄文を掲載しています。SNSで発信していますが、instagramは写真中心、Xは短文。Blogが中長文。noteはさらに長文に適しています。

先日、「茶道に余白は存在するのか」というタイトルで投稿しました。本日、その続編として、「型は何のために」という駄文を投稿いたしました。お時間あればご笑覧くださいませ。獨楽庵日々の運営のポリシーにつながっていると思っております。

📕茶道に「余白」は存在するのか

📕「型」は何のために