消防団出初式

今日は、市役所裏の河川敷で開催された消防団の出初式を見学に行きました。約1700名の消防団員が制服で整列し、一糸乱れず敬礼し態勢を整える様は見ていて清々しく、また頼もしく見えました。消防団員とは、消防署員ではなく民間人ですが、火災が発生すればポンプ車に飛び乗りいち早く現場に急行し、消火にあたってくれます。

最新の設備を擁し日頃から訓練を怠らない“プロ“の消防士だけでなく、消防団という市民レベルのいわば自衛組織があることは、日本人がいかに火災を恐れ心を配ってきたかの証左だと思います。式では、消防団の前身?である火消しの末裔による木遣、ハシゴ乗りが披露されました。少し話が逸れますが、江戸で一番人気があったのは「火消し」だったそうです。それだけ、火を恐れ火消しを頼もしく思っていたのでしょう。

電気化が進み火を見る機会が少なくなった今日、火を正しく使うということが世代を超えて伝えにくくなっています。火を頑なに恐れるのではなく、危険性を理解して正しく使う。このことを次世代に伝えることが大事と思いました。

我々、茶人は日常的に火、炭を扱っています。火を正しく使う。このことを肝に銘じて、また次世代に正しく伝えられるように日頃から気を配っていきたいと思います。

『茶道便蒙抄』 〜 膳

宗徧流初代、山田宗徧が著した本邦初の茶道指南書『茶道便蒙抄』から気になった記述を紹介したい。『茶道便蒙抄』は、亭主の心得、客の心得は別章に書かれているので、両者を併記すると面白い。

初座(炉)において、炭点前が終わり膳が運ばれる際の作法について。

亭主の心得
客の勝劣によらず亭主膳を持ち 勝手口につくばひ障子をあけ膳をすゆる。寒き時は障子を立べし。さて引物は客同輩ならば給仕人持ちて出ても正客の前に必ずおきてよし。その時汁なくば伺ひ替えてよし。

客の心得
主かならず膳をすゆるなり。ぞの時かしこまり「御給仕過分のよし」申し。膳を中に請取り載き下に置。その時次の客「御給仕は御無用になされ御通ひを必ず御出しあれ」と申してよし。然れども下座までも茶主膳をすゆるなりその時客一同に 「必ず御通ひの者を御出し候て。御食まいるべき」由を申べし。

客の身分によらず、膳は亭主が運ぶのが原則。面白いのは、客は膳を受ける時に「給仕=半東をお出しください」と、亭主自ら膳を運ぶにはおよばずと申し上げる(これは、すべての客同様)。しかしながら、侘び人は亭主がすべての膳を運ぶべきと書かれている。客の給仕を云々の口上は、山田宗徧にしては冗長であるように思えるが、宗徧がこの書を著した時は、徳川家譜代大名の名門小笠原家の茶頭であったので、武士階級ならではの格式があったのだろう。

重要なのは、どんなに客に給仕を出すように勧められても、それに反して全ての膳を亭主が運び出すこと。侘びのおもてなしの精神が最も顕著に表れている部分であると思う。料理の内容は貧しくとも、亭主自らが給仕することが侘びを成立させている要件なのだと思う。

とんかつ

トンカツはここと決めている店があります。正確にいうと、チキンカツですが。西武多摩湖線一橋学園駅にある「藤乃木」という店です。

大学に入学して、運動部に入部し練習後は先輩、後輩と夕食を囲むのが日常でした。そんな時の有力な選択肢の一つがこの「藤乃木」。この店の名物は、大根おろをを乗せた「ふぶき」というスタイルであるが、我々の一番人気は「チキンカツ」。当時のチキンカツというと脂身のないパサパサしたものが多かったが、ここのは皮の部分を活かしジューシーでサクサクに仕上がっている。もちろんボリュームもある。

まずは生ビールで喉を潤し、チキンカツ定食(低学年の頃はご飯大盛り定番であった)で腹を満たす。大学を卒業しても、床屋はキャンパス界隈の店に通い続けていたので、床屋に行くついでにチキンカツ、ビールが楽しみの一つでした。それが、突然の閉店。正確には移転とのことです。この店は、創業者の大将が引退し、当時の店員が後を継いでいたのですが、何かあったのか?

学生当時、通っていた中華料理屋、定食屋はすでに無く。今回、とんかつ屋も。そういうことであれば、キャンパスさえも、この地にはありません。残るは、床屋だけ。40年以上も頭と髪の毛を見てきているので、細かな注文せずとも、それこそ阿吽でカットしてもらえるのがありがたいのですが、いつまで通えるか。とんかつ屋がなくなって、ちょっと弱気になってます。