山田宗徧 「今日の歌」

山田宗編作の歌に「今日」がある。「さしあたることのはばかり思へただ きのふはすぎつあすは知らねば」

私ごとであるが、10月14日に東京渋谷・セルリアン能楽堂にて開催された素人会で能『橋弁慶』のシテを勤め、その翌週には土日二日間に渡る流儀の茶会を仕切り、その三日後には家元献茶式のため伊勢神宮へ。帰京して、4日後には小唄で準師範を頂く。その間、茶室を風炉から炉に切り替え、「開炉の茶会」を開催。その合間に、地元町会の街道祭りで綿菓子作り、等々。そんな目まぐるしい毎日。「さしあたること」に集中することでなんとか乗り切ることに。何度、この歌のありがたさを痛感したことか。

しかしながら、山田宗徧は決して「行き当たりばったりの人」ではない。周到に準備を重ね、万端以上の準備を持って事にあたる人である(と、思う)。その山田宗徧を持ってして「さしあたることのはばかり思へただ」である。物事に流されて、とりあえず目前の要件をこなしていく・・・ということではない。準備に準備を重ねて、それでも「明日は知らねば」の心境なのである。

茶道家あるある

茶道を習い始めたばかりの頃、ようやく風炉の点前に慣れたと思ったら、無常にも季節は炉になり一から出直し。この繰り返しを数年繰り返してようやく点前を俯瞰できるようになる。茶道家の誰しもが通った道だと思います。

四半世紀も稽古を続けて、今更初心者を名乗る訳にもいかないのですが、やはり切り替わった直後は戸惑いがあります。そのような時に心強いのが山田宗徧翁が300年以上前に刊行した『茶道便蒙抄』。最古の茶道テキストと言われています。

そこに収録されている「置合せ図」。我々が戸惑うのはまさに「置合わせの位置」。茶道宗徧流の祖は300年以上も前にそこに気付き先回りしてくれていました。お陰で我々宗徧流門人は流祖山田宗徧の点前に倣う事ができ、それを通して流祖の心を探る事ができるのです。

テーマ画像は『茶道便蒙抄』に収録されている三畳半座敷の置き合せ図。改めて確認しました処、燭台の扱いを間違っていました。反省。

小唄松峰派『松韻会』

小唄の話題が続いて恐縮です。去る11月17日、新宿で小唄松峰派の『松韻会』が開催されました。『松韻会』、社中の男性の発表会・勉強会です。

私は、第一部で『未練酒』と『好きなのよ』を。第二部で『雨の宿』と『一人暮らし』を唄いました。どれも、来年4月の松峰派樹立55周年演奏会で唄います。『未練酒』と『好きなのよ』は、八王子の芸妓衆が振り(小唄振り)をつけて色を添えてくれることになっています。この小唄振り、広く知られている古典(古曲)のいくつかには振りがついていて、各花柳界で大事に受け継がれています。松峰派は新曲なので小唄振りがついている曲はまずありません。今回も、踊りのお師匠さんにお願いして振りをつけてもらっています。どんな振りになるのか今から楽しみです。

松峰派の唄には、セリフや三味線と離れて「アカペラ」で唄う部分がある曲は数多くあります。『未練酒』はその代表作で、「おまえお立ちか お名残惜しい」。短い文句ですが、たっぷりと情感豊かにアカペラで。聞かせ処です。

小唄〜『雨の宿』

「灰皿の煙草に残る紅のあと つい言いすぎた痴話喧嘩 もうこれっきりと言い捨てて 帰っ女の残り香が 未練心をかき立てて 音もなく降る雨の宿」

小唄松峰派代表曲のひとつです。小唄という邦楽ジャンルは江戸末期に誕生し多くの作品は明治、大正期に作られました。そんな中で、松峰派は初代松峰照師が昭和40年代に樹立。来年はその樹立55周年を祝う演奏会が三越劇場で開催されます。

私も、松峰照正として舞台に上がりますが、今回は『雨の宿』『ひとり暮らし』を唄います。番外の小唄振りでは『未練酒』『好きなのよ』をと、合計4曲を唄うことになり稽古に励んでいます。小唄振りとは、小唄に合わせて芸妓が振りをつけることを言います。お座敷で成長してきた小唄らしい出し物と言えると思います。

冒頭に書いたのは『雨の宿』の歌詞です。昭和も40年代になると女性の社会進出が進み同時に男女の間柄も変化してきていることが歌詞からも読み取れます。まず、「煙草に残る紅のあと」。立ち去った女性が残した煙草です。そして、女性は「もうこれっきり」と自分から縁を断ち切って去っていきます。戦前、ましてや江戸時代にはあり得なかった情景なのではないでしょうか。小唄を四半世紀嗜んできて、古典が描く男女の情景にどうしても共感できなかった身にはすーっと入ってくる世界です。

写真は、稽古のあと稽古場近くのタップルームで頼んだ「Masterpiece Dual」と命名されたAmerican IPA。名古屋のY Market造。いかにもAmerican IPAなホップのトロピカル感とガツンとくる苦味。アルコール度9.0とかなり高め。アブナイ。

うしとら

京都に行く楽しみの一つは、馴染みのタップルーム(生のクラフトビールを飲ませる店)。今日は、『うしとら』という栃木のブルワーと京都で大人気という夷川餃子のコラボ。

一杯目は、『セニョール三快天』というMexican Lager。メキシコのビールといえばコロナ。ライムを入れてラッパ飲みがお決まり。ということでか、ライムを入れているとのこと。キレキレ。店には、栃木からブルワー自身がプロモーションで来京。直々の話を聞きながらのビールはまた違った味わい。

写真は、うしとらブルワーのオオクマくんとのスーショット。

南禅寺開山忌

11月12日(日)京都・南禅寺で開山忌法要に参列してきました。南禅寺開山大明國師様の年忌法要です。宗徧流は、お家元が南禅寺で得度されるなど南禅寺様と深い繋がりがあります。4月には、流祖山田宗徧の年忌法要を南禅寺様で営んで頂いています。私の家は代々臨済宗南禅寺派に帰依していますので、開山忌と宗徧流全国流祖忌は特別な思いで臨んでいます。

日本に茶を持ち帰ったのが、栄西禅師であったということから禅林と茶の湯の関係は運命付けられていたのかもしれません。宗徧流では、稽古を始める前に全員で「喫茶呪文」を唱えます。「若 飲 茶 時 当 願 衆 生 供 養 諸 仏 掃 除 睡 眠(もし茶を飲む時は まさに衆生とともに 諸仏に供養し 睡眠を掃除せんことを願うべし)」。善の影響が色濃く出ている呪文です。

茶道の流儀は多かれ少なかれ禅林と関係を保っています。多くは、京都・大徳寺でしょう。鹿倉時代末期、守護赤松氏によって建立された大徳寺は、戦国大名の庇護を受け、同時に彼らが嗜んでいた茶の湯とも関係を深めていきます。江戸時代には、大徳寺ー禁中ー侘び茶人といったある種のサークルが出来上がります。

これに対して南禅寺は、亀山法王が開基であったことから権威のある寺として位置付けられ、京都五山では、「五山の上」と別格として扱われてきました。江戸時代には、塔頭・金地院に住した以心崇伝が徳川幕府に重用され「黒衣の宰相」とも称され、崇伝の弟子は代々僧録として全国の禅寺院、禅僧を取り仕切る立場にありました。

崇伝が発した「禁中公家諸法度」がきっかけとなり紫衣事件が起きますが、この事件につきましては後日改めて。

茶筅

茶の湯では、抹茶を茶筅という道具(和製泡立て器か?)を使って、茶碗の中で泡だてながら撹拌します。茶の湯というと誰しもが頭に浮かぶ、ある意味象徴的な所作です。

小学生に茶の湯を体験してもらうという授業を担当しています。やはり、茶筅を使って「シャカシャカ」するのがイメージの中心なので外す事はできません。クラス全員分の茶碗と、三人に一つくらいの茶筅を用意し、茶碗に抹茶を入れ、お湯を注ぎ、自分で「シャカシャカ」してもらいます。

そうすると、何も説明せずとも泡立つ子が1/3、ちょっとコツを教えると泡立てることができた子が1/3。どうしても泡立たない子が1/3。なんとか、泡立てさせてあげたいと思うのですが、うまく説明することができません。「手首を動かさずに、指先だけで軽く振る・・・」とか、思いつくままに説明してみるのですが、うまくいきません。

皆さんは、そんか経験ありませんか?

小唄

小唄ってご存知ですか。

「祇園小唄」とか「ラバウル小唄」などは有名ですよね。でも、今回のお題はそのような◯◯小唄の事ではありません。敢えて言えば、江戸小唄。

江戸末期、二代目清元延寿太夫の娘お葉が、松平不昧公の歌に節をつけたのが始まりと言われています。概ね3分程度の小曲ですがイキな江戸っ子好みに仕立てられた作品が多いのも特徴です。清元はもちろん、芝居の名台詞や長歌、一中節、新内節の一節が引用されている曲も多々あります。

元々、小唄は座敷で芸妓による歌や踊りを楽しんだ後、口直しに軽く唄うのをよしとされていたので、ひと目につく機会が少なく、聴いた事がある方も少ないと思います。

そんな小唄ですが、私はかれこれ25年稽古を続けています。写真は、先月準師範のお許しを頂いた時のものです。

Craft Beer

好物は?と尋ねられると、とりあえず「クラフトビール」と答えます(他にも沢山あるのですが)

クラフトビールとは、①少量生産 かつ ②造り手が拘っている ビールを指します。一時期流行った「地ビール」とは②の造り手の拘りで、一線を画しています。アメリカでは、ビール市場の4割がクラフトビールという話を聞いたことがあります。日本では、ビール市場全体のほんの僅かでしかありませんが、ここ2、3年急速に存在感を増しています。大手ビールメーカーも「クラフト」を標榜したビールを商品化しています。

クラフトビールの楽しみはなんと言っても「個性」です。例えば、一口に”IPA”と言っても、造り手によって味は大きく異なります。いま、”IPA”を持ち出しました。”IPA”というのはクラフトビールのスタイルのひとつであり、クラフトビールの中心という意見に賛同してくれる人は多いとおもいます。

もともと、ペールエール(PA)というイギリスを中心に醸造されていたビールを、赤道を超えてインドに運ぶため、ホップを追加して作ったことが起源と言われています。”IPA”の”I”はインド(India)です。ホップを追加したことによるフルーティな香りと苦味が特徴です。少なくとも、私はこのIPAを自分の味覚マップの中心においています。IPAよりさらにホップを追加したダブルIPA、トリプルIPAというスタイルもありますし、ホップを追加したことにより濁りが出てくるのでヘイジー(Hazy:霞んだ)IPAというスタイルもあります。夏の間は、Hazyは鬱陶しかったのですが、涼しくなると「やっぱりHazyだよな」という気分になってきます。

能をご覧になったことはありますか。

能というと学校の授業で最寄りのホールに行って鑑賞した(させられた)だけ。という方は少なくないと思います。動きがスロー、何を言っているのかわからない、そもそもストーリーがわからない・・・等々。能を遠ざける理由は山程あります。観能は、ひたすら退屈で居眠りするしかない。

私も実はそうでした。それが今では日々ネットをチェックし、暇さえあれば能楽堂に足を運んでいます。それだけでなく、稽古も続けています。そもそも、能との接点は?これは、別の機会に譲るとして、私なりの能の楽しみ方をいくつかご披露したいと思います。

今日残っている能は200曲、そのうち頻繁に演奏されているのが100曲と言われています。そのおよそ半分は世阿弥が編み出した「複式夢幻能」という形式をとっています。「複式」というのは前半と後半に別れていることを、「夢幻」というのは恐らく、夢か現実かわからない物語であるという事だと思います。

構成は概ね次のような感じです。まず、ワキ方が登場します。ワキ方は、地方の僧であることが多いようです。この人は、ある日思い立って旅に出ます。これは決まりごとのようですが、旅を急いだため「ある場所」に予定よりも早く着いてしまいます。そこで、休憩していると橋掛から「怪しい人」が現れます。老人、老女であったり若い女であったり。この人こそ物語の主人公(シテ)です。ワキとシテは舞台上で言葉を交わし、ある「伝説」にたどり着きます。そこで、シテは我が意をえたりと、伝説を詳細に語ります。不審に思ったワキが、「あなたはもしや・・・」と問うと、シテはある条件を言い残して消えていきます。

益々不審に思ったワキの前に、その土地の人間(アイ)が現れます。ワキは、土地の人に、今あったことを話しますが、土地の人は「そんな人は知りません」…「さりながら・・・」と知っていることを話し始めます。実は、その話、知らないどころかかなり詳しいのですが。このワキとアイのやり取りで、観客は物語の設定を概ね理解することができます。

アイが退くとシテが登場します。今回は、前回の老人や女とは違い、「伝説」の主人公の霊ととして現れます。いよいよ本性を表すわけです。シテは自分の身の上を語り、なぜ霊になって彷徨っているかを説明します。ある「執着」があり成仏できないという設定が多いです。そして、ワキが僧の場合には、供養をしてくれるように頼み、満足して消えていきます。

能にはこのような構成の曲が多い事に気づいてからは、リラックスして能を楽しめるようになりました。ワキが「諸国一見の僧」なのか、「都の某」なのか。怪しい人が老人なのか、若い女人なのか、何に執着しているのか・・・等々、バリエーションを楽しむという感じでしょうか。この「執着」こそ能の主題です。これは能を観ながら想像力を膨らませ五感を駆使して探ります。これが、観能の楽しみの一つだと思っています。

写真で舞っているのは私です。