猩々

来年11月の観世能楽堂での舞台を目指して、猩々(能)の稽古を続けています。思えば、7年前、ひょんなことから謡・仕舞ならず能の稽古を始めてしまったわけですが、青山の鐡仙会で『鶴亀』を。渋谷のセルリアン能楽堂で『橋弁慶』を勤めました。それまで、能といえば、すなわち「昼寝」で、言葉わ悪いが「罰ゲーム」とさえ思っていました。それば、能の稽古をきっかけに、年間100曲を観能するようになり、そのあげく一端の評論まがいまで吐くようになりました。

普通は入門すると、謡の稽古を始め、しばらくすると仕舞の稽古を始めます。能の良いところは、素人が発表会に臨むにあたって演奏形態を選べるということです。謡しか習っていなければ、「素謡(すうたい)」という形態があります。文字通り、謡うだけです。舞を習い始めると、「仕舞」という形態があります。素謡をバックに紋付袴で能のクライマックスを舞うものです。この先には、「舞囃子(まいばやし)」があります。舞手が紋付袴であることに変わりはありませんが、バックが謡(地謡)に加えお囃子が入ってきます。能の一歩手前です。

私の場合、謡→仕舞→舞囃子というステップを飛び越えて、いきなり能から始めてしまったので、複雑な状況に置かれています。能では当然ながらシテ(主役)を勤めるのですが、謡の稽古は自ずとシテ謡中心になります。ですから「鶴亀」にしても「橋弁慶」にしても、能のシテは務めましたが、謡としては前編を稽古したわけではないのです。例えば、私は扇を持って舞った経験がないのです。「鶴亀」のシテは常時「軍配」を持っています。「橋弁慶」では、前シテでは中慶、後シテでは長刀を持って舞います。

この感覚。お茶人の皆様には、いきなり「真台子」の稽古を始めたと思って頂ければ大かたお察し頂けると思います。草の服紗捌きを習う前に、真の服紗捌き(四方捌き)を習うという感覚です。真とは言え「四方捌き」は一つの型なので、それを反復練習すれば十分身につきます。ですが、草の服紗捌きから徐々に積み重ねたのとは、やはり異質なのだと思います。

話は「猩々」からは外れてしまいました。「猩々」を稽古していて思うことは、後日に。

三味線

実は、25年前に小唄を習いはじめたのとほぼ同時に小唄三味線の稽古も始めている。最初の師匠である松風美く実師の見台開きには、番外で八王子芸者の小唄振りがあったが、その時の番組は『心して(鶴次郎)』。唄はハーさんこと今は亡き橋下氏。不祥、松風実優こと私が本手を、美く実師が上調子を弾いた。なんとか大きなミスもなく無事に大役を勤めることができた。

『心して』というのは、新派の名作『鶴八鶴次郎』を題材にし、春日よとが作曲した名作である。『鶴八鶴次郎』の鶴八は新内の三味線弾き。鶴次郎は太夫である。当然、『心して』も新内調に仕上がっている。

“心して我より捨てし恋なれど せきくる涙堪えかね うさを忘るる杯の 酒の味さえほろ苦く“ 。後弾きの上調子が印象的である。この唄を持って、春日とよは小唄春日派を樹立。春日派にとっても意義深い曲であろう。

話が逸れたが、ボスよりお許しが出たので来年秋の茶会では、小唄の弾き語りを披露(あくまで所望されればであるが)しようと思う。ということで、三味線の稽古を再開しますという話。

セントアンドリュース

ゴルフ好きの方はピンとくるかもしれない。この写真の舞台は、スコットランドにあるセントアンドリュース・ゴルフリンクスの中でも、ゴルフの聖地と称される『オールド・コース』。その17番ホールにある橋。メジャー8勝を含む、ツアー38勝を誇る名プレイヤー、トム・ワトソンが最後の全英オープンをホールアウトした後、この橋の上でホールに向かって帽子を振り続け別れを惜しんだという伝説の橋である。

なぜここにいるのかというと、ロータリークラブのお陰。この地にある、セントアンドリュース・ロータリークラブ(RC)は、毎年、ここセントアンドリュース・ゴルフリンクスでゴルフコンペを開催している。これがただのゴルフコンペでないのは、全世界からロータリークラブの会員(ロータリアンという)が集結するからである。参加するために予選など条件はない。ロータリアンであること。ゴルフを愛していること。あと、オフィシャルHCがそこそであること(笑)くらいである。

このゴルフコンペ、予選はオールド・コースと隣のエデンコースの2ラウンドで行われ、上位者は翌日からの2ラウンドに臨む。だから、どんな下手でもかのセントアンドリュース・オールドコースで1回はラウンドできる。この時のメンバーで17番を終わった後に記念写真を撮ろうと撮影したのがこの写真。左の背の高い男はアメリカ人で、ナイキのアンバサダーをしているという。飛距離が全く違うので、ティーグラウンドとグリーン上でしか一緒にならない。もう1人は、フランスからの参加で、彼とは18ホールずっと話続けていた。ホールアウトした後、迎えに来た奥さんに「マサルはとてもゴルフが上手いんだよ」と紹介してくれた。上手いわけはないのであるが、そこは紳士の世界とご理解いただければ幸いであります。

言わなきゃよかった

11月23日は、小唄松峰派の男性だけの勉強会『松韻会』である。このところ、建長寺の四ツ頭茶会とか、京都での能の稽古とか、獨楽庵での炉開きが続き、小唄の稽古がおろそかになっている自覚はあったものの、いざ当日の番組を決めるとなると俄かに浮き足立つのである。

師匠からは一曲は『未練酒』にと指示が。この唄は、先日の八王子・芝ゆき会でも唄ったので、まずは順当というところ。もう一曲はどうするか、師匠には『言わなきゃよかった』をリクエスト

”言わなきゃよかった一言を 悔やみきれないあの夜の 酔ったはずみの行き違い ごめんなさいが言えなくて 一人で聞いてる雨の音”

この曲も先代・松峰照家元作曲による松峰派オリジナル曲である。主人公は女。であるから、師匠も女性に唄わせてきたとのこと。ところが、我が街八王子では、小唄の泰斗ハーさんこと橋本さんのお気に入りとして有名。ハーさんの唄を聞いた、師匠(二代目松峰照家元)が「男性が唄うのもいいわね」と、以降男が唄う機会も増えている。

この唄も、他の松峰派の曲と同じく昭和の作品であるからして、女性が強いのである。よくある痴話喧嘩だったのだろう。ところが、酒が過ぎたのか言い争いになり、女も「ここは自分が引くべきか」とは思いつつも、意地を通して、喧嘩別れ。女は反省しつつ、雨音を聞きながら酒を飲むのである。このシチュエーション、世が世なら男の専売であろう。それが、昭和になると女の絵としてしっくりくるのである。

義士茶会

年の瀬の声が聞こえ始めると、宗徧流門人はソワソワしだします。12月14日は、赤穂浪士討ち入りの日。宗徧流では、この日に合わせ討ち入りで命を落とした吉良家、浅野家双方の霊をともらうため『義士茶会』を開催します。全国レベルの義士茶会は地区の持ち回りで開催しています。今年は、九州・唐津に300名以上が集まります。その他、地区・支部または個人が全国各地で義士茶会を催します。

流祖宗徧は27歳で元伯宗旦から皆伝を受け、三洲吉田藩・小笠原家に茶頭として出仕します。70歳で家督を後継の宗引に譲り江戸に下り、江戸本所に結庵します。本所と言えば、討ち入りの舞台となった吉良邸があります。宗徧はここで討ち入りに遭遇します。宗徧には、吉良家にも赤穂浪士にも弟子がいました。これが「義士茶会」の由来です。

討ち入りを成し遂げた赤穂浪士は、吉良公の首は船で品川に送り。茶席にあったといわれる利休所縁の「桂川籠」を白布でくるみ首に見立てて品川まで行進したと言われています。その桂川籠は現在、香雪美術館に保存されています。宗徧流・義士茶会では、「桂川籠」がお決まりの一つです。

住吉大社

茶道具には大阪の住吉大社を題材にした「住吉蒔絵」は少なくなく、私も輪島塗師・茶平一斎造の住吉蒔絵平棗を愛用している。松、橋、鳥居、社がお決まりである。

先のブログで触れた「まくらことば」ではないが、「住吉」にもそのような由来はある。私たち能楽愛好家にとって「住吉」とは、能「高砂」なのである。九州阿蘇神社神主の友成は、都にのぼる途上、高砂の浦に立ち寄る。そこで、松の木のもとを掃き清める老夫婦と出会う。話をしているうちに、老夫婦は我々は相生と住吉の松であると、「相生の松」の謂れを話します。「相生なのに、なぜ高砂と住吉に分かれているのですか」と問うと、「住吉で会いましょう」とスーッと消えてしまう。

意を決した友成は、船を出して住吉(大阪の住吉大社)に向かうのであるが、この場面で謡割れるのが、かの有名な「高砂やこの浦船に浦をあげて」の一節なのである。結婚式のお祝いで奉納されることが多いこの謡、夫婦の永遠の契りを讃えた謡。やがて、友成が住吉につくと、住吉大社の神が現れて祝福するというくだり。

であるから、我々は「住吉蒔絵」に出会ったら、能「高砂」を思い浮かべる。そして、亭主の道具選びがそれに適っていたら、大興奮!である。お茶はある意味、そういうものなのかもしれない。

お伊勢参り

『伽羅の香』の話がでたので、同じく初心者が初めに習う代表曲として『お伊勢参り』について。

”お伊勢参りに 石部の茶屋であったとさ 可愛い長右衛門さんで 岩田帯を締めたとさ エサッサノ エサッサノ エサッサノサ”

歌舞伎の『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』を題材にした小唄である。登場人物は、信濃屋お半、14歳。長右衛門、38歳。お伊勢参りの道すがら、石部で出会った二人は一夜をともにするが、あろうことはお半は身籠もってしまう。それは、「岩田帯」から明らかである。お半は許嫁があったこともあり、二人は桂川で入水自殺に至るのであるが、それを1分少々の唄にまとめたのが小唄『お伊勢参り』である。この芝居を題材にした唄は他にもあり、それによればお半はまだ振袖で、二人は岩田帯で互いを繋ぎ入水したことが描かれている。

小唄に限らず、日本文学、日本の歌謡は引用の芸術であると思う。和歌や俳句は短い文字数で情景を伝えなければならない。例えば、まくらことばは、出てきたら読む人が共通にある情景が浮かばなければならない「キーワード」である。この場合も、「お伊勢参り」と出たら芝居の「お半長右衛門」が頭に浮かばなければ、この小唄は成立しないのである。

この唄の題材になっている「お半長次郎」は心中に至る悲恋の物語であるが、それを軽快な節と、後半のエサッサ・・・で煙に巻いている。ゆえに、「お伊勢参り」で「お半長次郎」が浮かばなければ、只の調子の良い唄になってしまうし、そう唄ってしまう。そこが、小唄の難しいところだと思う。

伽羅の香

去る、10月27日 八王子文化連盟が開催している「八王子文化祭」の一環として開催された「香の会」に参加しました。今回は、「三種香」という香を聞き分けるゲームでした。三種の香を3包ずつ用意し、それらの中からランダムに3包選択。それらを1包ずつ聞いてそれぞれが同じものか、違うものかを当て、その結果を香図というもので表現しますが、その香図それぞれに源氏物語に因んだ名前が付けられているのが、いかにも香道らしいと思いました。

香道と茶道は関連性が強く、ある意味では香道は茶道の母のように思うのですが、そのことは後日に譲るとして、今日は小唄。

有名な小唄に『伽羅の香』という曲があります。あまりに有名なので、小唄を始めて最初に教えるお師匠さんも少なくないと思います。私もそうでした。

“伽羅の香とあの君様は いく夜泊めても わしゃ泊めあかぬ 寝ても覚めても忘られぬ“

男が女の元に通う通婚の時代でしょうか。夜毎現れる君様は、伽羅をたき込んでいたらしい。重要なのは、想いは「香」ということ。寝ても覚めても忘れられないくらい、「香」は心に残るのでしょう。香で想いを伝える。日本ならではではないでしょうか。

My Favorit Foods

画像中、左手前にあるのはひよこ豆のペースト。中東では極めて一般的な料理で、イスラエルではフムスと呼んでいたが、おそらく周辺の諸国でも同じくフムスと呼んでいると思う。イスラエルではピタと呼ばれるパンでディップしたり、ピタを開いてその中にサラダ、ステーキと一緒に入れてサンドイッチのように食べることもある。ステーキとは肉を貼り付けた円柱状の塊を焼いて、焼けた部分を削ぎ落とすもので、中東版シュラスコと言えば通りはいいであろうか。

右手にあるのは同じくひよこ豆を使ったコロッケ。イスラエルではファラフェルと呼んでいたが、周辺諸国も同じだと思う。この写真はトルコ料理店でのものだが、フムスとファラフェルであったし、地元にあるエジプト人がやっている店でもファラフェルであった。

中東は我々島国で生まれ育った身には理解し難く複雑であるが、食べ物は共通点が多い。

なにはともあれ、ここにクラフトビールがあれば言うことなし。幸せである。

紅葉

今日は、朝から市営コートでテニススクールでした。午前、午後の2クラスに参加し課題を整理することができました。月曜日は、市内の都立高校のコートを借りてたっぷり4時間ダブルスと楽しみましたが、バックハンドストロークがどうにも厚く当たらず、チャンスボールも決めることができず苦杯を舐めました。

今日は早速コーチに頼んでバックハンドストロークを見てもらいました。原因はボールとの距離が近すぎることのようです。近い距離で打ち続けていたため、テイクバックでの腕とラケットの角度をリリースしないままヒットしていたようです。今日一日では修正はできませんでしたが、課題がわかればなんとかなるはずです。

クラスの合間に、公園のベンチで軽くランチしましたが、コート脇の楓?が見事に色づいていました。獨楽庵の紅葉、楓はまだ色づく気配がありません。今週から気温はぐっと下がるようですから、獨楽庵の木々が色づくのも時間の問題だと思います。