住吉大社

茶道具には大阪の住吉大社を題材にした「住吉蒔絵」は少なくなく、私も輪島塗師・茶平一斎造の住吉蒔絵平棗を愛用している。松、橋、鳥居、社がお決まりである。

先のブログで触れた「まくらことば」ではないが、「住吉」にもそのような由来はある。私たち能楽愛好家にとって「住吉」とは、能「高砂」なのである。九州阿蘇神社神主の友成は、都にのぼる途上、高砂の浦に立ち寄る。そこで、松の木のもとを掃き清める老夫婦と出会う。話をしているうちに、老夫婦は我々は相生と住吉の松であると、「相生の松」の謂れを話します。「相生なのに、なぜ高砂と住吉に分かれているのですか」と問うと、「住吉で会いましょう」とスーッと消えてしまう。

意を決した友成は、船を出して住吉(大阪の住吉大社)に向かうのであるが、この場面で謡割れるのが、かの有名な「高砂やこの浦船に浦をあげて」の一節なのである。結婚式のお祝いで奉納されることが多いこの謡、夫婦の永遠の契りを讃えた謡。やがて、友成が住吉につくと、住吉大社の神が現れて祝福するというくだり。

であるから、我々は「住吉蒔絵」に出会ったら、能「高砂」を思い浮かべる。そして、亭主の道具選びがそれに適っていたら、大興奮!である。お茶はある意味、そういうものなのかもしれない。

お伊勢参り

『伽羅の香』の話がでたので、同じく初心者が初めに習う代表曲として『お伊勢参り』について。

”お伊勢参りに 石部の茶屋であったとさ 可愛い長右衛門さんで 岩田帯を締めたとさ エサッサノ エサッサノ エサッサノサ”

歌舞伎の『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』を題材にした小唄である。登場人物は、信濃屋お半、14歳。長右衛門、38歳。お伊勢参りの道すがら、石部で出会った二人は一夜をともにするが、あろうことはお半は身籠もってしまう。それは、「岩田帯」から明らかである。お半は許嫁があったこともあり、二人は桂川で入水自殺に至るのであるが、それを1分少々の唄にまとめたのが小唄『お伊勢参り』である。この芝居を題材にした唄は他にもあり、それによればお半はまだ振袖で、二人は岩田帯で互いを繋ぎ入水したことが描かれている。

小唄に限らず、日本文学、日本の歌謡は引用の芸術であると思う。和歌や俳句は短い文字数で情景を伝えなければならない。例えば、まくらことばは、出てきたら読む人が共通にある情景が浮かばなければならない「キーワード」である。この場合も、「お伊勢参り」と出たら芝居の「お半長右衛門」が頭に浮かばなければ、この小唄は成立しないのである。

この唄の題材になっている「お半長次郎」は心中に至る悲恋の物語であるが、それを軽快な節と、後半のエサッサ・・・で煙に巻いている。ゆえに、「お伊勢参り」で「お半長次郎」が浮かばなければ、只の調子の良い唄になってしまうし、そう唄ってしまう。そこが、小唄の難しいところだと思う。

伽羅の香

去る、10月27日 八王子文化連盟が開催している「八王子文化祭」の一環として開催された「香の会」に参加しました。今回は、「三種香」という香を聞き分けるゲームでした。三種の香を3包ずつ用意し、それらの中からランダムに3包選択。それらを1包ずつ聞いてそれぞれが同じものか、違うものかを当て、その結果を香図というもので表現しますが、その香図それぞれに源氏物語に因んだ名前が付けられているのが、いかにも香道らしいと思いました。

香道と茶道は関連性が強く、ある意味では香道は茶道の母のように思うのですが、そのことは後日に譲るとして、今日は小唄。

有名な小唄に『伽羅の香』という曲があります。あまりに有名なので、小唄を始めて最初に教えるお師匠さんも少なくないと思います。私もそうでした。

“伽羅の香とあの君様は いく夜泊めても わしゃ泊めあかぬ 寝ても覚めても忘られぬ“

男が女の元に通う通婚の時代でしょうか。夜毎現れる君様は、伽羅をたき込んでいたらしい。重要なのは、想いは「香」ということ。寝ても覚めても忘れられないくらい、「香」は心に残るのでしょう。香で想いを伝える。日本ならではではないでしょうか。