東京茶道会

去る、10月13日、音羽護国寺茶寮・東京茶道会10月の会に、茶兄の席を訪ねた。先代(母君)が同じ東京茶道会で席をもたれてから22年目と仰る。母君とは、何度か茶席でご挨拶させて頂いたが、とても柔和で江戸人らしく歯切れのよい方と記憶している。

その茶兄の席であるが、道具は母君の遺品を中心に。「月」のお軸に宗徧流十世四方斎好みの白雲棚。周囲から「月に白雲はいかがなものか」という異見もあったというが、珠光の「月も雲間のなきはいやなり」を持ち出し押し切ったというあたりは、茶兄の胆力を感じる。席全体は、母君のお好みらしく調和のなかにも一つ一つの道具に楔が打ち込まれている感があり圧倒される。

極め付けは、脇床に飾られた硯。書道家であった父君の遺品に違いない。茶兄は席中では父君のことには触れられなかった。やはり、男子にとって「親」とは母親なのかと密かに思う。母君が護国寺で席をもたれた22年前、茶兄は下足番をなさっていたと仰る。お茶に興味がなかったのであろう。それが、いまでは流儀を代表して護国寺の大舞台で席を開いていらっしゃる。「つなぐ」とはこういうことかと。その「つなぐ」という言葉の真意を母君のお道具。父君の硯で表現なさっていた。とても暖かく、それでいて凛とした席。

憧れである。

SDGsに想う

いささか使い古された感のある「SDGs」。「持続可能な開発のため2030アジェンダ」として、2015年の国連サミットで採択された国際目標。17のゴールと169のターゲットから構成されている。

いつのまにか、SDGs=地球温暖化対策として偏狭に理解されるようになってしまった。いまでは、再生可能エネルギーと結びついてしまい、個人的にはネガティブワードになってしまっている。

東京八王子ロータリークラブでは、社会奉仕事業として市内の中高と連携した事業を継続している。これは端的にいうと、ラーニング バイ ギビング(Lerning by Giving)を取り入れた、社会問題を考えるワークショップである。ラーニング バイ ギビングとは、寄附行為を介して学習するという手法。

このワークショップでは、「貧困」にフォーカスしている。何故なら、SDGsの一丁目一番地は「貧困を泣くそう」 だから。ゴールはさらに「飢餓を無くそう」「すべての人に健康と福祉を」「質の高い教育をみんなに」と続く。環境問題はずっと後である。


今日は児童労働と戦うNPOがリードするセッション。地球上で労働を強いられている児童は1億6000万人以上。なんと日本の人口よりも多い。児童労働の背景は貧困である。貧困から抜け出すには教育が不可欠である。しかし、労働が優先されていては児童は教育を受けられない。まさに負の連鎖。これを断ち切ることが必要。一方で、消費者が低価格を求めることも児童労働につながる。対岸の火事ではないのである。

茶道宗徧流全国審心会総会II

去る、9月29日愛知県岡崎市にて茶道宗徧流全国審心会(他流では青年部に相当)が、お家元ご列席のもと盛大に開催されたことは、すでに書いたとおり。懇親会に余興にて、小唄を一曲なんちゃって弾き語りしたことも前回書いたとおり。

実は懇親会の余興はそれに留まらず、さらなる大役が待っていたのである。この総会を企画・運営したのは中京地区・審心会の役員の皆さん。年齢が近いというと思うが、相談役に祭り上げられあれこれと相談にのっているうちに、会長さんから次々とMISSIONが。一つが小唄。もう一つは、なんと「マツケンのええじゃないかII」を舞台で踊れというほぼIMPOSSIBLE MISSION。夏頃に会長さんから練習用YouTubeのリンクが送られてきて、「お稽古しておいてください」とのこと。リンク先のYouTubeを開くと、かの「マツケンサンバ」の振付師として名高い真島茂樹さん自らダンスを解説しているではないか。時を同じくして、真島さんが本年5月に亡くなっていたことも知った。

「人使いが荒いなあ・・・」と思いつつも乗り掛かった船なので、真面目に稽古に励んだ。おかげで、本番ではなんとかメンツを保つこと(☜何のメンツじゃ)ができたが、このダンスなかなハードで2回と繰り返すことができない。愛知県豊橋市では、この「ええじゃないかII」を盆踊りで市民が踊るらしいが、「豊橋恐るべし」と心底思った。

これを舞台上で、紋付袴で踊ったのだから、会場はさぞかし盛り上がったことだろう。
ええじゃないか。