Tears In Heaven

我が青春時代。アイドル筆頭は間違いなく、松田聖子であった。そのアンチで中森明菜も大いに人気を博していた。

その我が青春のディーバ二人が揃ってジャズのカバーアルバムをリリースしている。松田聖子は、覆面(今時で言えばステルス)で発表した“Sweet Memories”でジャズとの相性を立証しているが、対する中森明菜は絶頂期の歌声からもジャズの香りを感じていたもの。両名が揃って、ジャズという、ある意味、自分のプロフィール全編を掛けた音楽表現に踏み出したのは、ファンとしては慶賀の至りである。

両嬢とも、自分のヒット曲をカバーして、同じ熱い時を過ごしながらも今は人生の終盤に向っていることを自覚せざるを得ない身には、まさに『同級生!』という感情を抱かせる訳であるあが、中森明菜が自分の楽曲を見事に年齢通りに再表現している(それはそれで見事なのである)のであるが、やはり泣けるのは松田聖子が歌う『Tears In Heaven』である。

この曲はご承知の通り、Eric Claptonの作品で、1991年にアパートの階段から転落して死亡した当時4歳の息子コナーを悼んで作った楽曲である。この歌を、沙耶香を同じ転落で失った聖子ちゃんが歌うには、どれだけ葛藤があったことか、察するにあまりある。それを乗り越えて、“Tears In Heaven”を歌う彼女の表情は、何よりもこの楽曲に深みを与えている。お決まりの、お涙頂戴では決してない。むしろ真逆に、さらっと。それができるのが人生の重みというのなのだろうか。

三日月眉

我が街、いや日本の名妓にして小唄の師匠であるMさんが、10月に市内のホールで素人会を開く。私は弟子ではないものの、彼女の会の発足当初から応援で参加させてもらっていた縁で、今回も。

舞台では、『未練酒』、『三日月眉』を。どちらも松峰派のオリジナル曲である。

🎵三日月眉にかたエクボ 話し上手で聞き上手 糸の音締めがまた乙で ほんに今夜は別世界 ええ酔った酔った 真から酔いました 角の柳におくられて 出てみりゃ白々明けの鐘

みての通り花柳界を唄った作品である。主人公の男は、馴染みの芸者と小唄を楽しみしここたま飲んで寝入ってしまったのだろう。目が覚めたらもう明けの鐘。その夜をどう過ごしたかは色々と邪推できる。小唄どころでなく、熱い夜を過ごしたかもしれない。

しかし、この男、花柳界を「別世界」と感じる程度に初心なところがある。ここは、いい調子で飲みすぎて寝入ってしまったと解釈することにしよう。その方が、曲調にも合う。

短いところがイイ

とある小唄の会合での挨拶。ズバリ、「小唄は短いところが良い」というお話し。我が人生の師である泰斗ハーさんは、常々同様のことを仰っていた。ハーさん流にひねりが加えられているが。ハーさん曰く、「小唄は短いとろろが良い。相手に対するダメージが少ないから。どんな下手な唄でも三分我慢すれば終わる」。もちろん、ハーさんは下手ではないどころか名手である。

よくも悪くも、この「短い」というのが小唄の宿命である。例えば、三越劇場などで催される大きな演奏会。唄手、糸方合わせて百名以上の演奏家が集うのであるから、確かに大演奏会である。しかし、小唄ならではの悩みがある。まさに、短いが故の悩み。一曲3分。二曲唄ってもせいぜい5分。これだと、遠方の知人に声を掛けるのが申し訳なく思えるのである。1時間以上の時間をかけて劇場にお越しいただいても、お呼びした当人の出番は5分で終わってしまうのである。このあたりに、小唄の演奏会が今ひとつポピュラーにならない遠因があるのではないかと思わざるを得ない。

一方、座敷で同好の師と小唄を楽しむときはこの「短さ」が生きてくる。どんなに下手でも3分我慢すれば終わる・・・とは言わないが。