言わなきゃよかった

4月、5月と大舞台(=三越劇場)が続いたので、小唄の大切な醍醐味の一つをわすれかけていたことに気がついた。

小唄はもともと「四畳半の音曲」と呼ばれていた。この場合、四畳半とは小座敷を指す。つまり、座敷で、少人数で楽しむ音楽ということである。座敷というのは、時代であれば料亭。いまでは、料亭というとその店で調理した料理を供する”高級な”和食店というのが概ね虚言う通するイメージであろう。しかし、「料亭」とは本来その店で調理した食事を供する場所ではない。そのような店は「割烹料亭」と呼ばれることはあったが、それが短縮されて料亭となったのかもしれない。「料亭」とは、「お茶屋」とも呼ばれ、いわゆる貸し座敷である。客、芸妓、料理が集まる場所である。料理は仕出で提供される。「料亭」で調理するわけでないのである。「料亭」が出すのは、お酒とせいぜい漬物くらい

我ホームグラウンド八王子の花柳界にも10年前くらいまではそういう「料亭」があった。料亭を利用するときの”正規”のプロトコルは、まず「料亭」の女将から始まる。と言うか、女将が全てである。女将に時間と人数を告げれば、あとは女将の采配で手配してもらえる。その頃でも、そうしたプロトコルは辛うじて存在していたが、「料亭」の消滅によりそのようなプロトコルはなくなり、知っているものも少なくなっている。昭和は遠くなりにけり。

話はそれたが、ロータリークラブの小唄愛好家の有志があつまった同好会に参加した。日本料理店(今ではそれを「料亭」と呼ぶのが一般的)の座敷に芸妓を呼び、一通り料理と芸妓の芸を楽しんだ後、いよいよ小唄である。全員が小唄を嗜み日常的に稽古をしているという、いわば好きもの同士なので、誰に気兼ねすることなく小唄を披露し、時には批評も伺う。大舞台では味わえない、小唄本来の魅力であると思う。

今回は、松峰派の代表曲の一つにして今は亡き小唄の泰斗のお気に入り『言わなきゃよかった』を唄った。

”言わなきゃよかった一言を 悔やみきれないあの夜の 酔ったはずみの行き違い ごめんなさいが言えなくて 一人で聞いてる雨の音”

主人公は女性である。繰り返すが、昭和の女は強いのである。男に一方的に言われ、男が去った後、女々しく泣くような女ではないのである。男と対等に口喧嘩し、言いすぎてしまうくらい強いのである。しかも、「一人で」雨の音を聞いてそれを悔いているのである。きっと、酒を飲みながら。

紫陽花

ロータリークラブには例会への出席を第一義とする「教義」がある。ロータリーというと「奉仕活動(一般にはボランティア活動と言った方が通りがよい)」があるが、それに関連して「入りて学び、出て奉仕せよ」という言葉がある。この場合「入りて」とは「例会に出席して」と同義である。つまり、ロータリークラブにとって「例会」は学びの場であるわけである。

しかし、毎週昼間に例会を開催しているのだから、現役のビジネスマンならずとも100%出席するのは難しい。それでもなお100%出席を求めるのであるから、とうぜんのことながら救済策がある。「メイクアップ」とよばれる制度がそれで、要は世界中にあるロータリークラブの例会に出席して、自分のクラブの欠席を埋め合わせる(=メイクアップ)することができるわけである。これはとりようによっては、偉大なる権利なのである。世界中どこのロータリークラブにもノーアポで出席することができるのだから。

今朝も、京都のクラブでメイクアップした。このクラブの今年の会長は花屋さんであるので、毎回花について話をして頂ける。花音痴茶人である我が身に大変ありがたい例会でもある。前回メイクアップした時には水仙についての話を伺った。今日は紫陽花がテーマ。

紫陽花は、日本が原種で西洋に渡り、それがセイヨウアジサイとして日本に戻ってきたのだそうだ。我々が花びらだと思っている部分は実はガクで、花びらはそのガクが密集した中にあるというだ。アジサイには青いものと赤いものがあるが、どれは土壌の違いで、土がアルカリ性だと青くなり、賛成だと赤くなるらしい。

そういえば、庭に朝顔が咲いていたなあ・・・

猩々

能の林宗一郎先生が、来年「十四世林喜右衛門」を襲名されるのに合わせて、我々林社中の素人会『松響会』が開催されることになりました。先生の地元京都では4月に。東京では令和7年11月24日(勤労感謝の日の振替)です。会場はなんと、銀座の観世能楽堂! 

この11月の会で、『猩々』のシテを勤めさせて頂くことになりました。猩々は、海底に住む精霊です。揚子に住む高風という親孝行息子は、ある晩「揚子の市で酒を売れば家は栄える」という夢をみます。高風は夢のお告げの通り揚子の市で酒を売りましたが、高風が酒を売っていると必ず現るものがいて、そのものはいくら酒を飲んでも全く酔わない。高風が不思議に思って尋ねると、「海に住む猩々」と名乗りました。
高風が潯陽のほとりで待っていると、赤い顔をした猩々が現れ、友との再会を喜び、酒を飲み舞を舞います。そして、心の素直な高風を称え、これまで酒を飲ませてくれたお礼に酌めども尽きない酒の壺を贈り酔い潰れて伏せてしまいます。これは高風の夢の中でしたが、酌めども尽きない壺は残り、高風の家は長く栄えたと言います。

これが『猩々』のあらすじですが、酌めども尽きない酒の壺を贈られた東風の家は長く栄えたという部分が大変に目出度いということで、附祝言でも唄われることも多く、祝言曲として知られています。

先生の襲名記念の会に祝言曲『猩々』を舞わせて頂けることは大変光栄なことです。『猩々』は五番目物として扱われているので、もしかすると会の最後の番組になるかもしれません。前回の『橋弁慶』はのんびり構えすぎて不完全でしたので、今回は最初から飛ばしていこうと思います。