小唄松峰派55周年記念演奏会、無事終了

小唄松峰派樹立55周年記念演奏会。無事終了しました。当日のしかも直前になって、手締めの音頭を取れという無茶振りもありましたが、それを含めなんとか無事にお役目を果たすことができました。

小唄の他にも、お茶と能楽と二刀流ならぬ三刀流でなりふり構わず稽古を続けております。その三者、違うところはもちろん山程ありますが、共通点も。それぞれに「道」なんだなあと痛感しております。
稽古を続けていると、ある時「出来た」と感じる時がありますが、その瞬間に次の課題が見えてくるものです。そうして、徐々に高みに昇り、自信満々本番に臨むと、無慈悲に突き落とされる。それでもスタート時からは確実に進歩している。「道」とはそういうものなのでしょう。


今日から5月18日の日本小唄連盟『さつき会』に向かって稽古を始めます。場所は同じ日本橋・三越劇場。お茶では、9月15日(日)西葛西行船公園・源心庵『月見の茶会』にて薄茶席、10月24日(木)鎌倉・建長寺様『四つ頭茶会』にて薄茶席を担当します。
また、どこかでお目にかかりましょう。

小唄松峰派樹立55周年記念演奏会

地元の”悪い”先輩に強引に引きづり込まれた小唄の世界。稽古をはじめてはや25年。その間に師匠は2回替わり、現在は小唄松峰派の家元、二代松峰照師のもとで稽古に励んでいます。10年前には、「照正(てるまさ)」という名前も頂き、昨年は「準師範」も頂きました。

「準」とはいえ「師範」となのつく物を頂いてしまうと、「芸者が遊んでくれなくなるよう」と軽口を叩いておりましたが、実際に許状をいただくと、やはりその重みに身が引き締まります。その重みで稽古に励んだ、「雨の宿」と「一人暮らし」を唄います、また、番外では、八王子芸者衆の協力を得て、小唄振りで「未練酒」と「好きなのよ」を唄います。

この25年間、なんども舞台にあがりましたが、小唄の舞台というのは独特の緊張感があります。まず、一曲一曲が短いので、躓くと修正することができません。唄い手は1人。助けてくれる後見はいません。

お茶では、師匠から「常を晴れに、晴れを常に」と教わり続けてきました。「常」がいかに大事か。緊張とは、本番で稽古(常)以上のパフォーマンスを発揮しようとおもう心から生まれる。何事も、稽古以上のものは舞台ではひき出せないのだと悟れば、緊張はない・・・(はず)。あわよくば・・・というスケベ心が落とし穴。こういう心の乱れを大龍和尚は「矛」と言った。そして、その「矛」を己の心を一槌にして打ち砕けと。

万が一、明日午後日本橋にお出かけのことがあれば、三越劇場に冷やかしにお越しください。もちろん、入場無料です。

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能を観に京都へ

京都の北東、一乗寺という地にある関西セミナーハウスにある能舞台「豊響殿(ほうきょうでん)」で催された能を観に京都へ。この地は、雲母(きらら)と呼ばれているようで、豊響殿に登っている急坂道には「きらら」を冠した看板がいくつか見れる。

「豊響殿」は豊臣秀吉三百年遠忌に京都・豊国神社に造られたが、その後この地に移設されたとのこと。豊かな自然の中にある能楽堂。鳥の囀りや竹藪からの風の音が流れてくる中での能は、ビルの中の能楽堂での能とは違い、その出自を感じさせてくれす。

番組は、「百万」。狂物の代表作。奈良の西大寺あたりで子供と生き別れになった女(百万)が狂女となって京に登り嵯峨野清涼寺に辿り着く。ここで、曲舞を舞いながら子供行方を探すのであるが、そこに子供が拾った男と一緒にやってくる。男は、門前の者に面白いものはないかと尋ねたところ、門前の者は百万を勧める。仏のご加護か、我が子の目の前で舞を披露する百万。子供は舞から自分の母であると気づくが、なぜか名乗りでずに舞を観続ける。最後に男が、この子こそ貴女が探していた息子であると名乗り。母子は無事再会を果たし奈良の京都に帰っていく。というストーリー。

狂女の「狂」とが精神錯乱状態になっているという意ではなく、一心不乱になっているという意味。我が子の行方を探すことだけを念じている。百万はそういう女。

能には、子供と生き別れになったという設定のものが少なくない。百万のように理由もわからず離れてしまったのもあるし、攫われたものも。果ては、自分から捨てたというものもある。今の「人権」時代にはありえない話であるが、当時は普通にあったのかもしれない。大抵は再会を果たしハッピーエンドで終わるのであるが、一つだけそうでないものがある。「隅田川」。隅田川の登場人物の供養と伝えられる木母寺は芸能精進祈願でも知られる。この墨田区墨堤通りにある。

墨堤通りといえば、長命寺の桜餅。豊臣秀吉公から桜餅か(笑)