自論:フレンチイノベーション

フランステレコム(日本の電信電話公社にあたる)は、電話帳を印刷し配布し、電話番号と居合わせのオペレータを維持するコストを10年間試算した結果、各家庭にビデオテックス端末を配布し、それらをパケット交換網でサーバーに接続する方が安上がりと結論に達した(と言われている)。

そこで、トランスパックというパケット交換網をフランス全土に張り巡らした。パケット交換網というのは電気通信の一つの形態で、情報を細切れにし、蜘蛛の巣のように張られたネットワーク上にバラバラに流し、最後に結合させて元の情報に戻すという通信技術。現在のインターネットもパケット通信である。いわば、インターネットの原点のような通信網を1982年に完成させ、ミニテルという画面とキーボードが備わったオールインワンの端末を全家庭に配布しサービスを開始した。基本的には、電話番号帳を廃止し各自が電話番号を端末を使って検索するというサービスであるが、後に旅行代移転やレストランなどが相乗りし予約を中心に様々なサービスを提供するようになり、一大文化圏を構築するに至る。

現在の視点で見るとかなり原始的なサービスであるが、まさしくインターネットの原型を見ることができる。このサービス、当時は「ビデオテックス」と総称され各国の通信会社が先を競って実現を目指していたのであるが、どれも「実証研究」のまま頓挫している。フランステレコムのミニテルは、世界で唯一の成功例だと思う。

私は1980年代後半にフランスに在住していたので、もちろんこのサービスの恩恵に預かっている。フランスに入国して、部屋を借り、電話の契約を済ませると直ちにこのミニテルが送りつけられてくる。それを壁にあるモジュラージャックに差し込めがサービス開通。どのように使っていたかは忘れてしまったが、飛行機のチケットの予約はした覚えがある。これは、まさしくイノベーションであり、それもいかにもフランス的な。

前稿で、フランス人=ケチ=合理的 と書いた。ミニテルもまさしく電話帳を10年間出し続けるコストとパケット交換網を張り巡らし各戸に端末を配るコストを比べ、安い方を選択したのである。これぞフランス流と私は思う。

だから、シトロエンが「空飛ぶ絨毯」を実現するために余計なコストをかけるという発想はないし、その発想を受け入れる市場もないのである。ハイドロは唯一、全ての油圧系を一本にまとめコストダウンを図るということが道理であり、「空飛ぶ絨毯」その副産物にすぎないと、私は思う。それを金看板に持ち上げ、挙句最新技術を持って「空飛ぶ絨毯」を再現するなど本末転倒も甚だしい。そんなことでは、シトロエンのアイデンティティは保てないだろう。フランス流のイノベーション求められるのではないだろうか。

自論:フレンチ・イノベーション

首都高速を愛車(シトロエンC5ツアラー)で走っていたところ、その後継車であるシトロエンC5エアークロスとしばし並走することになった。こちらは時代遅れのステーションワゴン(フランス流に言えば“ブレイク“)。かたや今流行りのSUV。

愛車C5を一言で表せば、「最後のハイドロ・シトロエン」。車に興味のない方は「なんのこっちゃ?」だろう。簡単に言えば、普通の車のバネとダンパーの作用を、特殊なオイルとガスで代用したもので、一般には「魔法の絨毯」と称される浮遊感のあるソフトな乗り心地で有名。そのシトロエンの代名詞とも言えるハイドロニューマチックを搭載した最後のモデルが我がC5なのである。つまり、後継者たるC5エアークロスにはハイドロは搭載されていない。しかし、その乗り心地を再現するために、「プログレッシブ・ハイドローリック・クッション(PHC)という新技術を採用している。乗ったことはないが、おそらく同じような乗り心地を再現しているのだろう。

私はこのPHCという新技術を支持しない。なぜなら、それは1955年にハイドロニューマチックを世に問うたシトロエンの魂の曲解であるから。シトロエンは、「魔法の絨毯」を実現したくてハイドロを導入したのではない(と思う)。フランス人の根は「ケチ」(フランス人の皆さん気を悪くされたらごめんなさい)。ケチなフランス人が「空飛ぶ絨毯」を実現するために余計なコストをかけるはずがないし、それを受け入れるはずもない。ハイドロは、ステアリングを含め、パワーアシストを必要とする全てを一系統の油圧システム、すなわちハイドロニューマチックにまとめてしまおうというのが、そもそもの出発点であったはずだ。つまり、別々の油圧系統を持つよりも「安上がり」。これがハイドロの出発点。その後、種々のトラブルに見舞われ、ハイドロはサスペンションだけに残された。このあたりから、ハイドロ=サスペンション=「空飛ぶ絨毯」=シトロエン という図式に矮小化されていく。「空飛ぶ絨毯」こそ、シトロエンのアイデンティティになっていく。そのアイデンティティが、ハイドロを用いずに実現できるのであれば、信頼性を含めその方が好ましい(はず)。その帰結が、C5エアークロスに採用されているPHCである。

確かに「空飛ぶ絨毯」は実現できたのかもしれない。しかし、それがシトロエンというメーカーのアイデンティティだと考えるのは、下らぬ勘違いに過ぎない(と思う)。シトロエンのアイデンティティは「ケチ」なのである。言い方が悪ければ「合理性」なのだと思う。それを現代に再現しない限り、シトロエンのアイデンティティは薄まるばかり。やがて、泡沫に帰することだろう。

そこで思い出したのが、「ミニテル」。1982年に本格運用が始まったいわゆる「ビデオテックス」である。世界で唯一成功した「ビデオテックス」と言ってもいいだろう。

その「ミニテル」と「ハイドロ」の共通点は・・・話が長くなるので次回に。画像が、その「ミニテル(Minitel)」端末。

お化け

いささか旧聞に属しますが、花柳界には『お化け』という風習があります。節分の日に、芸者衆が変装をして客とともに大いに笑って鬼を退け、福を招くという慣わしです。

我が街八王子にも古くから花柳界があり、『お化け』も十年前に復活。コロナ禍d中断はありましたが、毎年楽しませてくれています。八王子花柳界のお化けが他の地と違うのは、芸者衆が仮装だけでなく、寸劇を披露してくれるところです。どれだけ稽古を積んだのか。もはや立派なパフォーマンスです。

今年は、水戸黄門を題材に、黄門様ご一行が悪行を重ねる悪代官を懲らしめるという鉄壁のストーリー。途中、芸者らしく鼓の芸が入ったり。最後は、全員で「マツケンサンバ」でフィナーレ。写真の姐さんは、ゴルゴ13メイクの角さん。

珠光茶会

3月11日、春の到来を予感させる陽気のなか、南都・奈良を尋ねました。目的地は薬師寺。3月6日からの1週間、奈良の大寺院を舞台に『珠光茶会』が開催されています。

茶道宗徧流は、京都支部が11日に薬師寺で濃茶席をもちました。西ノ京駅を降りて山内に入ると紅白の梅がアーチをつくり出迎えてくれました。獨楽庵は白梅は満開ですが、紅梅はまだまだです。濃茶席のお床は、江戸前期の茶人、土岐二三の「鶯」。そろそろ初音が聞こえる時期ですね。

「梅一輪 一輪づつに鶯のうたい初め候 春の景色もととのうままに 実は逢いたくなったのさ」(平山芦江作詞 春日とよ作曲)

なんとも、小唄らしい小唄。梅が一輪開くごとに春が近づく様を風流に唄っていたかと思えば、最後はストレートに「逢いたい」というオチ。

牡丹雪

雪が降ると、どういう訳か小唄を思い出します。

小唄松峰派の代表曲の一つ『牡丹雪』。時代はグッと下がって平成11年の作品。作詞は茂木幸子師。曲は、初代家元松峰照。

夜更けていつか牡丹雪 帰さないよと降りつもる 差しつさされつ盃を 片手に聞いてる明がらす 「あの時さんは何処にどうしていさんすことじゃやら ま一度顔が見たい逢いたいわなあ」 昨日の花は今日の夢 廓の恋の悲しみを今に伝えてなおいとし 「はい お酌」

小唄「初雪」のように、いい仲の二人の逢瀬。雪が段々と大粒になり、それをいいことに段々と深まる二人の逢瀬。廓言葉のセリフから、古の吉原の世界に引きずり込まれるものの、最後の「はい お酌」で今に引き戻される。この「はい お酌」がいいんだんなあ。これは、ベトベトした口調ではなく、あっさりと。酒の機嫌で古の廓に思いを馳せている男を、一瞬で現実に引き戻すくらいのあっさり感が丁度良いと思う。

 

大雪

多摩での大雪、前回はというと2013年1月の雪ということになると思う。この日は、茶道宗徧流家元の初釜最終日。濃茶席のお手伝いをしながら、段々と降り積もる雪を眺めて「雪の初釜っていいですね」と呑気なことを言っていられたのも午前のうち。午後になると、鎌倉駅からのバスも運休。一本道は大渋滞。タクシーも見つからず駅から歩いて来庵されたお客様も。何とかたどり着けた数名のお客様と、炉を丸く囲んでの濃茶。野趣溢れる・・・と言えば聞こえはいいのですが。

全席終了して後片付けを済ませ、引き上げる頃には雪は止み道路も何とか走れる状態に。お手伝いの先生方を鎌倉駅までピストン輸送し、杉並の先生を乗せて鎌倉を出発。この時、タイヤはなんと夏用!雪の予報があったため一旦帰宅して、スタッドレスを履いた車で出直すつもりが、子供のイベントとかでスタッドレスは家内に譲り、夏用タイヤで鎌倉に。最悪、どこかでホテルを探せばいいやと軽く考えていたところが、先生を送ることになり、ナビや記憶を駆使してできるだけ坂の緩い道を。一旦止まってしまうと、動けなる恐れもあるので、休憩もせずに運転を続ける。新雪であったことが幸いして、何とか無事先生を送り届け深夜に帰宅。

今思い返しても「奇跡」の生還。こういうリスクは、二度と侵したくないもの。

節分

昨日の寒さは和らぎ、穏やかな冬晴れの八王子です。今日は「節分」。獨楽庵が所在する八王子といえば、「高尾山・薬王院」。節分の今日は、豆まきが盛大に行われているはずです。

明日は立春。獨楽庵の庭の梅も花を咲かせています。茶室に注ぐ日差しもどことなく春めいた気がします。庭も茶室も徐々に春の装いに。と、初音が聞こえました。

梅は咲いたか🎵

いつの間にか庭の梅が咲いていました。今日から2月。春はもうすぐそこまで来ています。

「梅は咲いたか桜はまだかいな 柳たなよなよ風まかせ 山吹や浮気で色ばっかりしょんがいな」

今年は、「初雪」を唄わないまま、「梅」になってしまいました。そうこうしているうちに、「夜桜」になって・・・ まだ、始まって一月ですが、一年は早いですね。

三越劇場

日本橋三越本店内にある「三越劇場」は、古典芸能の聖地と言っても差し支えないでしょう。特に、「小唄」では。

その三越劇場で、令和6年4月14日(日) 小唄松峰派樹立55周年記念演奏会が催されます。小唄は江戸の末に、二代目清元延寿太夫の娘お葉が、二代目延寿太夫贔屓にしていた松平不昧公の歌に節をつけたものが始まりと言われている、三味線邦楽の小曲です。

不昧公の歌は「散るは浮き 散らぬは沈むもみじ葉の 影は高尾か山川の水」。この最後の句を「水の流れに月の影」としたのが秀逸であることは言うまでもありませんが、曲が優れていなければ小唄というジャンルは後世に続かなかったでしょう。何事も先駆けとというのはそういうものなのかもしれません。

翻って、我が松峰派。昭和45年の小唄酣春会にて竹枝せん照が小田将人の詩に曲をつけ「雪灯り」として披露したのが始まり。その翌年、せん照は松峰照を名乗り「松峰派」を樹立します。その様子については、小唄の先哲 八海老人のブログがふるっているので、ご参照ください。

4月14日の記念演奏会は、全番組松峰派のオリジナル曲。私は第一部で「雨の宿」「一人暮らし」を、番外で「未練酒」「好きなのよ」を唄います。番外は、八王子芸者の小唄振りつき。お近くにお越しの節には是非お立ち寄りくださいませ。

茶道宗徧流初釜

今週は、茶道宗徧流御宗家の初釜です。数年前から、広間に大勢のお客様をお招きするのではなく小間で限られたお客様と濃密な時間を共有する形式に変わりました。宗家が小間で初釜をなさるのが茶道界広しと言え宗徧流だけなのではないでしょうか。

私は19日(金)にお呼ばれです。その前に、半東を勤めなければなりませんが。鎌倉の人気店「北じま」の点心を頂いて、不審庵でお家元の練られた濃茶を頂きます。今年も実り多い年でありますように。

11年前の関東地方は、大雪でした。決死の覚悟で帰宅したことを思い出しました。大雪に遭遇してらっしゃる能登地震被災者の皆様に改めて心よりお見舞い申し上げます。