能をご覧になったことはありますか。

能というと学校の授業で最寄りのホールに行って鑑賞した(させられた)だけ。という方は少なくないと思います。動きがスロー、何を言っているのかわからない、そもそもストーリーがわからない・・・等々。能を遠ざける理由は山程あります。観能は、ひたすら退屈で居眠りするしかない。

私も実はそうでした。それが今では日々ネットをチェックし、暇さえあれば能楽堂に足を運んでいます。それだけでなく、稽古も続けています。そもそも、能との接点は?これは、別の機会に譲るとして、私なりの能の楽しみ方をいくつかご披露したいと思います。

今日残っている能は200曲、そのうち頻繁に演奏されているのが100曲と言われています。そのおよそ半分は世阿弥が編み出した「複式夢幻能」という形式をとっています。「複式」というのは前半と後半に別れていることを、「夢幻」というのは恐らく、夢か現実かわからない物語であるという事だと思います。

構成は概ね次のような感じです。まず、ワキ方が登場します。ワキ方は、地方の僧であることが多いようです。この人は、ある日思い立って旅に出ます。これは決まりごとのようですが、旅を急いだため「ある場所」に予定よりも早く着いてしまいます。そこで、休憩していると橋掛から「怪しい人」が現れます。老人、老女であったり若い女であったり。この人こそ物語の主人公(シテ)です。ワキとシテは舞台上で言葉を交わし、ある「伝説」にたどり着きます。そこで、シテは我が意をえたりと、伝説を詳細に語ります。不審に思ったワキが、「あなたはもしや・・・」と問うと、シテはある条件を言い残して消えていきます。

益々不審に思ったワキの前に、その土地の人間(アイ)が現れます。ワキは、土地の人に、今あったことを話しますが、土地の人は「そんな人は知りません」…「さりながら・・・」と知っていることを話し始めます。実は、その話、知らないどころかかなり詳しいのですが。このワキとアイのやり取りで、観客は物語の設定を概ね理解することができます。

アイが退くとシテが登場します。今回は、前回の老人や女とは違い、「伝説」の主人公の霊ととして現れます。いよいよ本性を表すわけです。シテは自分の身の上を語り、なぜ霊になって彷徨っているかを説明します。ある「執着」があり成仏できないという設定が多いです。そして、ワキが僧の場合には、供養をしてくれるように頼み、満足して消えていきます。

能にはこのような構成の曲が多い事に気づいてからは、リラックスして能を楽しめるようになりました。ワキが「諸国一見の僧」なのか、「都の某」なのか。怪しい人が老人なのか、若い女人なのか、何に執着しているのか・・・等々、バリエーションを楽しむという感じでしょうか。この「執着」こそ能の主題です。これは能を観ながら想像力を膨らませ五感を駆使して探ります。これが、観能の楽しみの一つだと思っています。

写真で舞っているのは私です。

おかげ横丁

家元献茶式のため伊勢神宮に来ています。

雨天になることが少なくないこの時期ですが、今年は雲は多少あるものの快晴です。おかげ横丁の人出は平日としては例年並みというところでしょうか。皆さんコロッケや牛串を片手にお店を覗いています。

伊勢に来る楽しみの一つは、クラフトビール。日本を代表するブルワー伊勢角さんのビールが、直営タップルームのほか、おかげ横丁の酒屋さんでも手に入ります。今日は、定番Hazy IPAの「ねこにひき」にさらにホップを追加し造り手も「ジューシーでトロトロ」と表現する「ねこしかしんじられない」を購入しました。さてお味は如何でしょうか。

先日、近所の小中学生を集めて飯盒炊爨を行いました。子供達は、火や薪で炊かれるご飯を眺めてワイワイ・・・と想像していたのですが、実際は全く関心を示さず。子供達にとって、火は遠い物になってしまったのかもしれません。焚き火を見ることは無くなり、IHの普及で家の中でも火を見る機会は少なくなっています。

翻って、我々茶人。当たり前のように、炭を組み火を入れ、釜を掛けて湯を沸かしていますが、それとて日常生活とは接点を失いつつあります。「お茶だから」という区別な気持ちで火を扱っています。

これが進むとどうなるでしょうか。火がどんどん遠ざかるのは必至でしょう。特に都市部では集合住宅が増え、家の中で炭を使って湯を沸かすことは難しくなるでしょう。炭も手に入りにくくなっています。違う視点で考えると、炭を燃やせば二酸化炭素が出ます。湯を沸かすのに炭を使うよりも電気の方がクリーンです。

しかしながら、茶の湯に携わる一人として炭で湯を沸かし茶を発てる文化を継承していきたいのです。人間を動物と隔てているのは、火を使う技術・・・云々という説を持ち出す気はありません。単純に炭で湯を沸かすという行為が好きなのです。

いよいよ、炉の季節になります。赤々と燃える炭を眺める機会も増えます。この光景をできるだけ多くの子供達に見せてあげたいと思う今日この頃です。