ファラフェル日記②

ファラフェルというのはイスラエルを含む中東(特に地中海沿岸)で広く親しまれている料理で、簡単にいうとひよこ豆のコロッケです。同じく、ひよこ豆かた作ったペーストであるフムスも彼の地では人種を問わず親しまれている食べ物です。同じものを食べていながら、骨肉の争いに無情を感じつつ現地で見聞きしたことをまとめます。

異教徒である私は「旧約聖書」と「新約聖書」の違いには極めて鈍感でありますが、今回エルサレムにある国立図書館を訪ね、聖書に関する研究所のあまりの多さに、現地の人に尋ねたところその答えが示唆に富んでいたので、忘れないうちにまとめておきたいと思います。

なぜ聖書を勉強するのか。イスラエルにはオーソドックスと言って、黒い服に身を固め一日中聖書を読んでいる人たちがいます。彼らは聖書を勉強する代わりに国から保護を受けているので、働く必要はありません。では、なぜ聖書の勉強がそんなに仕事と両立できない程大事なのか。どんなにありがたくても、聖書は聖書です。研究対象は有限であるので、いつかは勉強も終結するのではないかと思うのですが、実際は「無限」なのだそうです。ですから、一生を賭して勉強する価値があるのでしょう。

では何故「無限」なのでしょうか。それは、解釈が無限だからです。イスラエルというかユダヤ人社会には、ラビと呼ばれる聖職者がいます。聖職者と言いましたが、ラビの影響力は宗教にとどまらず、ユダヤ人の生活の細部に関わります。何か迷ったことがあったら、身近な住職や神主さんに相談に行くことは現在の日本でも確かにあります。そのような立場なのかもしれません。

確かに聖書に書かれていることは有限です。誰も書き加えたりはしません。しかし、記述があまりにシンプルなので、解釈が必要で、しかも多くのラビが行っているのです。憲法に対す判例のようなものでしょうか。ともかく、その解釈があまりに多くほぼ無限なのです。ですからオーソドックスという人たちの勉強は尽きることがないわけです。この説明を聞いて、分かったようなわからないような・・・不思議な感覚でしたが、翻って我が茶道を見ると、同じようなことが行われてきたと考えることができます。ですから、茶道の稽古も無限なのだと合点がいきました。

例えば点前。点前を分解して、それぞれに決まりを作って定義していくことは容易いことだと思います。しかし、それぞについて、様々な時代の宗匠が解釈や変更を加えてきた結果が、現在の茶道と考えるに至ったわけです。平点前一つとってもそうですし、点前のバリエーション展開についても、同じようなことが言えると思います。

だから、勉強に終わりがないのです。

ファラフェル日記

先週土日、愛知県岡崎で茶道宗徧流岡崎支部の創立100周年記念式典・祝賀会に出席し、月曜日から中東・イスラエルに行って来ました。目的は、フランス留学時代の親友にしてその後25年間のビジネスパートナーの長男の結婚式。

その道中は帰宅までドタバタでした。なにしろ、今年の1月1日からイスラエルが渡航者に対してETA(Electronic Travel Authorization/電子渡航認証)を求めていることを全く知らなかったのです。関西空港に行く前に、Ethihad航空の専用アプリをダウンロードしチェックインを済ませて、空港のチェックインカウンターでBagage Dropの長い行列に並んで、やっと順番が来たところで、カウンターの航空会社職員かETAが無いことを告げられ、目の前が真っ暗😭

ダメもとでイスラエル国のサイトにアクセスして、ETAの申請。クレジットカードで決済する画面で、”ULTRA PUSH”なる30ドルのオプションに望みを託しました。“通常“では30分以内に発行されるということですが、“通常“が“通常“なのは何処も同じ。待つこと、20分、キター!

搭乗手続き終了の20分前にETAが到着して、パスポートとETAの紐付けを確認。荷物を預けて搭乗手続き無事完了。今度はセキュリティチェックの長蛇の列に並んでなんとか時間前に登場ゲートへ。プランでは、KIX Beerという出国後にあるクラフトビールを楽しむはずが、何もできずに登場ゲートに急行する羽目に。それでも間に合ったのでよしとしましょう。

頑張った自分へのご褒美(笑)にせめて缶ビールでも・・・ところが、登場ゲート前のコンビニはまたまた長蛇の列。コンビニは諦めて、立ち食いうどんの店で缶ビールとチップスターを購入、搭乗直前に缶ビール一気飲みで、まさに「溜飲」を下す。

さて、2年ぶりの中東への旅。最初からドタバタでどうなりますことやら。

写真は、今回イスラエルに持ち込んだ乾山写の茶碗。お茶の方には言わずもがなですが、「亥」は陰陽五行で「水」、火を制すると言われています。紛争中の中東に平和を。

小唄:空や久しく

雨混じりの日が増えてきました。そろそろ梅雨入りでしょうか。
この時期になると思い出す小唄に『空や久しく』があります。明治中頃、一中節の太夫・都以中の作曲と伝えられています。

歌詞 「空や久しく雲らるる 降らるる雨も晴れやまぬ 濡れて色増す青柳の 糸のもつれが気にかかる」

節は、一中節の名手らしく、一中節、清元などの節を巧みに引用し高い評価を受けていますが、小唄作詞家・評論家の小野金次郎氏によれば、歌詞は“駄文“だそうです。私にはそうは思えないのですが・・・

前半の二節は、雨続きで晴れ間が見えない、梅雨の鬱陶しさが伝わってきます。「青柳」とは、「花柳界」を連想させますし、「青」は若さを思わせます。「色増す」というのが柳がいい色になるという意味ですが、深読みすれば「色気が増す」ということかもしれません。さらに「濡れて」ときます。「濡れて」というのは男と女のアレとしましょう。この節を意訳すれば、「あの若い芸者も、男ができたのだろうか、色気が増してきた」とでもなりましょうか。締めは「糸のもつれが気にかかる」です。「糸のもつれ」とは男女関係もつれかもしれません。

この歌詞を男の視線から見るか、女の視線から見るかで解釈が違ってくるでしょうが、女の視線で見たとすると、こんな感じに解釈できないでしょうか。女はベテランとは言わないが一本立ちした芸者。空が鬱陶しいだけでなく、心も塞ぎがちの今日この頃。というのも、あの小娘だと思っていた娘がどんどん色気を増している。男がいるに違いない。もしや、私の・・・ という三角関係。だから、糸がもつれるのでしょう。

少々色気が過ぎるでしょうか。

写真は“濡れて色増す“八王子中町の柳と黒塀