生成AI

現代に生きるものとして、いつかは接点を持たねばならないと思いつつも、距離を置いていた生成AI(人工知能)。ChatGPTという名は聞いたことがあるが、まさか仕事の現場で。それも、最先端技術とは最もかけ離れていると思われがちな伝統の世界で使いこなされていることを目の当たりにして、脳みそを揺さぶられた。

考えてみれば、伝統の世界でも事務方がこなす仕事は他の業種と大差ない。人工知能によって効率も品質も上げられる余地はもちろんあるのである。生成AIというのは、例えば文章作成においては、文章力のあるなしに関わらず、とりあえず中央値くらいの品質の文章は条件さえ与えれば苦もなく作成してくれるようである。となると、人間の価値は、そこからいかに文章に魅力を与えるかということに尽きそうである。加えられる魅力とは何か。そこが問題のようである。と、今日のところは頭を整理ておこう。刺激が強すぎたようなので。

小唄のすすめ

小唄というと「お座敷小唄」や「ラバウル小唄」を思い浮かべる方も少なく無いと思いますが、今回の話はそういう「なんとか小唄」ではなく、あえて言えば「江戸小唄」です。三味線を伴う邦楽は、長唄が成立して以来、主に歌舞伎の舞台音楽として発展してきました。小唄はその末裔ですが、歌舞伎で使われることはなく、主に座敷を主戦場としてきました。なぜなら、「小」というがごとく短いからです。大半の小唄は2、3分の小曲です。

お座敷は、「粋(イキ)」を競う場所でもあります。粋は小さい、短い、細い・・・ことに現れます。大層なことを、そのまま大きく、長く、太く見せてしまうのは「野暮」です。その対局が「粋」なのです。小唄は短い作品ですが、邦楽の末裔らしく邦楽のあらゆるエッセンスが詰め込まれています。しかも、作詞・作曲者がきちんと残されている。ですから、師匠についてしっかりと稽古しなければなりません。私は先輩から「師匠から許しを得た小唄以外は唄ってはならない」と教わりました。実は、小唄は「大層」なのです。「小唄と端唄はどこが違うのですか?」とよく聞かれますが、ここが違うのです。

さらに、「小唄を習うメリットは?」と尋ねられます。好きだから習っている。というのが本音ですが、小唄を習う前の方々には、こういう説明も必要なのでしょう。あえて考えると ①お座敷でモテる ②邦楽の入り口 があります。①のモテる話は別の機会に。②の邦楽の入り口(現代的に言えばゲートウェイ)は意外と気づかないものです。

先にも書きましたが、小唄には邦楽のエッセンスが散りばめられています。長唄、清元、常磐津の有名な一節が入っていたり、現代的な歌詞であっても節(メロディー)が清元であったりということは多々あります。ですから、小唄を習うにつれて気に入った節回しがあったら、その原点をしらべてみることで、邦楽に深く親しむきっかけとなります。

「唄」ですから、自分の声で一人で唄わねばなりません。ここに抵抗がある方は、まずは三味線からはじめてみては如何でしょう。三味線の稽古といっても、想像はつかないですよね。参考までに、私の稽古風景をアップしておきます。

獨楽庵では、毎月第二、第四木曜日に小唄松峰派家元・松峰照師匠(画像左)に出稽古にきて頂いています。見学は随時受け付けています。気軽にどうぞ。

松峰小唄 「手紙」

先日、松峰照家元と話していて意外だったのが、松峰派の外で人気のある松峰小唄。松峰派は昭和になって旗揚げした小唄界にあっては新派に属する。そのため、新曲を得意とし、先代松峰照師が作曲した小唄は二百を超える。どれもが、現代に生きる我々にも共感しやすい歌詞であるのと同時に、清元や新内の節をうまく取り入れて舞台映えする作品が多い。セリフ入りが多いのも特徴の一つである。

そんな中で、松峰派の外で人気のある作品として挙げられたのが「手紙」。作詞 茂木幸子、作曲 松峰照 昭和53年の作品である。

“秋ですね 月の青さが切なくて 思わず手紙を書いてます あんな別れをしたままで素知らぬふりして気に病んで 意地で堪えているものやっぱり貴方が恋しくて 一人でお酒を呑んでます“

この作品でも、やはり女は強いのである。あんな別れとは、痴話喧嘩の果てに女から別れを突きつけたのだろう。それを悔いながらも、「素知らぬふり」をして堪えているのだ。意地で。でも、忘れられずに酒を呑みながら、手紙を書くのである。どんな内容かは想像にお任せする。

地元の花柳界の芸妓の一人が、「手紙」の振りを持っている。彼女の振りによれば、「手紙を書いてます」のところは巻紙に筆である。それも良い。が、昭和の女である。万年筆が似合うのではないかと思うのだ。

画像は、内容に関係ないフェルメールの「手紙を書く女」