リアル猩々😊

今年になって、獨楽庵に来庵されるお客様が手土産にお酒をお持ちくださることが多くなりました。懐石にお酒はつきものですので、とても嬉しい陣中見舞いです。お陰様で、獨楽庵は酒が尽きることがありません。酒が尽きぬといえば、能「猩々」

『よも尽きじ。万代までの竹の葉の酒。汲めども尽きず飲めども変はらぬ。秋の夜の盃。影も傾く入江に枯れ立つ。足もとはよろよろと。弱り臥したる枕の夢の。覚むると思へば泉は其まま。尽きせぬ宿こそめでたけれ』

親孝行で有名な男、高風があるひ「揚子の市で酒を売れば家は栄える」という夢を見た。高風が揚子で酒を売るようになると店は大いに繁盛し、富を得ることができた。その高風の店に毎日やって来て酒を飲んでも顔色が変わらない男がいるので名前を尋ねると「猩々」と名乗り消えていった。そこで高風は月の美しい夜にしん陽の川のほとりに酒の壺を置いて猩々が現れるの待つと、やがて猩々が現れ友との再会を大いに喜び、酒を酌み交わす。猩々は高風の素直な心を誉めて、汲んでも酒が尽きない壺を与え消えていきます。

獨楽庵はまさに、「尽きせぬ宿」となっております。皆様に感謝。そして、「めでたけれ」。

獨楽庵亭主は、令和7年11月24日、銀座・観世能楽堂で開催されます松響会東京大会にて能・猩々のシテを勤めます。入場無料です。銀座にお越しのおりには、是非お立ち寄りくださいませ。

地蔵講

今日は地元有志による地蔵講。朝9時にお地蔵さんに集合し、お坊様の読経に続き全員で般若心経を唱える。法要後は会館に移動して懇親会。

この地蔵講、亡き父も発起人の一人であったらしい。当初は、父の同級生を中心に10名程が地蔵前に集まり、一日飲み明かしたという。当時は地蔵講ではなく、「おこもり」と呼ばれていた。子供心に「おこもり」の記憶はある。母親は一日飲んだくれている父やその友人に眉を顰める場面もあったが、何となく親父たちの気持ちは伝わってくる。

太平洋戦争の末期、1942年八王子は米軍の空襲を受けた。多くの市民が焼夷弾の炎で命を落とした。その中に、父たちの友も多かったことだろう。空襲を生き延びて自由な空気を謳歌する父たちが、空襲で命を落とした友のことを思わなかったはずはない。父からは「おこもり」の意味を聞くことはなかったが、幼くして死んだ友の供養。これが「おこもり」の出発点ではなかったかと思っている。

この地蔵講、誰でも参加できるというわけではないのだ。地蔵講の講元からお声がかかりメンバーに加えてもらって初めて参加できるのである。何となく、秘密結社の様ではあるが、公平が必要以上に叫ばれる現代、このような閉鎖性は残っていてもいいのではないかと思う。

点前の理想

以前に、茶の湯の点前はパフォーマンスか?ということに関するブログを書いたと思う。私の、今現在の結論は「否」である。茶事という侘びのおもてなしを俯瞰すれば、亭主は給仕を第一義としていると見える。山田宗徧の著作『茶道便蒙抄』でも、客は亭主に「自ら膳を運ぶのではなく、通い(半東)をお出しください」とことわりつつも、亭主は全ての膳を運び出すべしと言っている。給仕に徹すべしと。

この延長で考えると、後座の喫茶での亭主も少なくとも濃茶を出すまでは給仕に徹すべきなのではないかと考える。つまり、点前に集中すべし。しかし、給仕に徹する点前とパフォーマンスとしての点前は自ずと異なるはずである。

いまのところは、空気のような点前を目指している。客が気がついたら茶が点っていたというような。どこにも気負いや衒いのない、空気のような点前。これが現時点での理想である。そして、一旦茶がでたら、対話を大いに楽しみたいと思う。