旅の目当ての一つとして

ある日の獨楽庵。楽山焼の茶碗から松江ときて、風流堂の「山川」の話になった。日本三大銘菓の一つ。紅白の打ち菓子で、菓銘は不昧公の「散るは浮き散らぬは沈むもみぢ葉の 影は高尾か山川の水」からという。この不昧公の歌は小唄第一号にもなっていることは、このブログでも紹介したと思う。

日本三代銘菓とは、「山川」と長岡・大和屋の「越乃雪」、金沢・森八の落雁「長生殿」。菓子を知っていると、旅先での動き方も変わってくることだろう。銘菓を巡る。そんな旅も楽しそうだ。

「長生殿」と言えば、能「鶴亀」。正月元旦、不老門に現れた皇帝は民衆と共に新年を寿ぐ。すぐに鶴と亀が現れて皇帝の長寿を祝い舞を奉納する。興に乗った皇帝は月宮殿で自らも舞い、殿上人も大いに喜び皇帝は神輿に乗って「長生殿」に帰っていく。

能といえば、名所を紹介するという役割も見逃せない。移動が自由でなかった時代、生涯に訪れることができる土地の数は限られている。人々は、謡にうたわれている名所をそれぞれに想像し楽しんだことだろう。能の舞台を巡る旅も楽しそうだ。

リアル猩々😊

今年になって、獨楽庵に来庵されるお客様が手土産にお酒をお持ちくださることが多くなりました。懐石にお酒はつきものですので、とても嬉しい陣中見舞いです。お陰様で、獨楽庵は酒が尽きることがありません。酒が尽きぬといえば、能「猩々」

『よも尽きじ。万代までの竹の葉の酒。汲めども尽きず飲めども変はらぬ。秋の夜の盃。影も傾く入江に枯れ立つ。足もとはよろよろと。弱り臥したる枕の夢の。覚むると思へば泉は其まま。尽きせぬ宿こそめでたけれ』

親孝行で有名な男、高風があるひ「揚子の市で酒を売れば家は栄える」という夢を見た。高風が揚子で酒を売るようになると店は大いに繁盛し、富を得ることができた。その高風の店に毎日やって来て酒を飲んでも顔色が変わらない男がいるので名前を尋ねると「猩々」と名乗り消えていった。そこで高風は月の美しい夜にしん陽の川のほとりに酒の壺を置いて猩々が現れるの待つと、やがて猩々が現れ友との再会を大いに喜び、酒を酌み交わす。猩々は高風の素直な心を誉めて、汲んでも酒が尽きない壺を与え消えていきます。

獨楽庵はまさに、「尽きせぬ宿」となっております。皆様に感謝。そして、「めでたけれ」。

獨楽庵亭主は、令和7年11月24日、銀座・観世能楽堂で開催されます松響会東京大会にて能・猩々のシテを勤めます。入場無料です。銀座にお越しのおりには、是非お立ち寄りくださいませ。

小謡

小唄の泰斗ハーさんは、「小唄は短いからいい」と常々語っていた。宴会の席、料理も酒も平らげ、芸者の座敷も堪能したあと、「さて、旦那衆も何か」という場面では、長いは禁物である。小唄なら2、3分、都々逸なら2曲やっても2分程度。これなら、どんなに下手でも同席のものは堪えられる。これが、長唄など段物の一部となると10分では済まされないだろう。折角盛り上がった宴席も、しらばむことだろう。

そこで小謡である。謡は真面目にやったら1時間近くかかる。しかも、馴染みのないものには何を歌っているか見当つかない。これを座敷でやったら、二度とお誘いの声が掛からなくなるかもしれない。とさえ思う。

だからこその、「小謡」である。「小謡」とは謡楽の一部、有名な一節を取り出したものである。例えば「高砂」なら、「千秋楽には民を撫で 萬歳楽には命を延ぶ 相生の松風颯々乃聲ぞ楽しむ 颯々の聲ぞぞ楽しむ」 舞台では、附祝言として披露されることが多いが、これなら1分と掛からない。三味線も必要なし。それでいて、格調高い。締めにはもってこいではないだろうか。

そういう場面で小謡をしていいものだろうかという疑問は残るが、宴席で小謡しりとりをして負けたら罰杯という遊びがあったと耳にした記憶があるので、きっと大丈夫なのだろう。
これからは、「小謡」のレバートリーも広げていきたいと思う。