秋の小唄

四畳半の音曲とも称される「小唄」ですが、秋の唄は意外に少ないようです。秋の夜空に浮かぶ冴えた月はとても粋な気がするのですが。

私が秋と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「手紙」という唄です。作詞 茂木幸子、作曲 初代松峰照

「秋ですね 月の青さが切なくて 思わず手紙を書いてます あんな別れをしたままで 素知らぬふりして気に病んで 意地で堪えているものの やっぱり貴方が恋しくて 一人でお酒を飲んでます」

八王子の花柳界には、「手紙」の小唄振り(小唄に合わせた舞踊)を持っている芸者がいました。この芸者の振りでは、巻紙に筆で手紙を書く振りが入っていました。この唄ができたのは昭和の後期です。加えて、松峰小唄に出てくる女性は現代的な自立した女性が多いことを考え合わせると、手紙は万年筆のような気がするのです。

小唄|お伊勢参り

ひねりも何にもないテーマで申し訳ありません。10月25日(土)、伊勢神宮で行われた茶道宗徧流家元献茶式に参列するため、今週末は伊勢に滞在していました。そうなると、自然に頭に浮かぶのは小唄「お伊勢参り」。

”お伊勢参りに 石部の茶屋であったとさ 可愛い長右衛門さんで 岩田帯を締めたとさ エッサッサの エッサッサの エッサッサのサ”

小唄を嗜んだ方であれば、ほとんどの方が初心者の頃に稽古なさったと思います。小唄でも一、二を争うポピュラーな楽曲です。この曲は、浄瑠璃の『桂川連理柵』を題材にしています。長右衛門とは、京都の呉服店帯屋の主人、45歳。お半は、隣家信濃屋の娘13歳。この二人が、お伊勢参りの帰り道、石部(琵琶湖の南、東海道の石部宿)で偶然会ったことからただならぬ仲となり、お半は身籠ることになります。とても世間が容認できる仲ではありません。二人は悩んだあげく、帯祝いの日(妊娠5ヶ月に岩田帯を締めるお祝い)に桂川で入水心中を図るという悲恋の物語です。

これを題材にした浄瑠璃をテーマにした小唄です。聴衆はもちろんこの物語を知っているという前提です。こういう、聴衆のリテラシーを前提にした芸術は日本の定番ですね。それはともかく、この悲劇を陽気な節に乗せているところが、江戸っ子らしさ、小唄らしさだと思っています。悲劇だから、思いっきり悲しく演じるのは江戸っ子の趣味ではありません。

「いわずもがな」「それを言っちゃーおしめーよ」は江戸っ子の矜持であり、その心持ちは東の茶の湯に息づいていると思うのです。

小唄:空や久しく

雨混じりの日が増えてきました。そろそろ梅雨入りでしょうか。
この時期になると思い出す小唄に『空や久しく』があります。明治中頃、一中節の太夫・都以中の作曲と伝えられています。

歌詞 「空や久しく雲らるる 降らるる雨も晴れやまぬ 濡れて色増す青柳の 糸のもつれが気にかかる」

節は、一中節の名手らしく、一中節、清元などの節を巧みに引用し高い評価を受けていますが、小唄作詞家・評論家の小野金次郎氏によれば、歌詞は“駄文“だそうです。私にはそうは思えないのですが・・・

前半の二節は、雨続きで晴れ間が見えない、梅雨の鬱陶しさが伝わってきます。「青柳」とは、「花柳界」を連想させますし、「青」は若さを思わせます。「色増す」というのが柳がいい色になるという意味ですが、深読みすれば「色気が増す」ということかもしれません。さらに「濡れて」ときます。「濡れて」というのは男と女のアレとしましょう。この節を意訳すれば、「あの若い芸者も、男ができたのだろうか、色気が増してきた」とでもなりましょうか。締めは「糸のもつれが気にかかる」です。「糸のもつれ」とは男女関係もつれかもしれません。

この歌詞を男の視線から見るか、女の視線から見るかで解釈が違ってくるでしょうが、女の視線で見たとすると、こんな感じに解釈できないでしょうか。女はベテランとは言わないが一本立ちした芸者。空が鬱陶しいだけでなく、心も塞ぎがちの今日この頃。というのも、あの小娘だと思っていた娘がどんどん色気を増している。男がいるに違いない。もしや、私の・・・ という三角関係。だから、糸がもつれるのでしょう。

少々色気が過ぎるでしょうか。

写真は“濡れて色増す“八王子中町の柳と黒塀