小唄を一言で説明

小唄にかかわってかれこれ四半世紀。これだけどっぷり浸かっていると、客観的に小唄を眺めることが難しくなってくる。初対面の、それも小唄を知らない人に、どうしたら小唄を伝えられるか。常に課題である。

「幕末に江戸で清元お葉が・・・」などど発生した経緯を話でも伝わらないだろう。「三味線で唄う、短い歌」これも甚だ疑問である。今日思いついたのは、「お座敷で芸者の三味線で旦那衆が唄う歌」。これは今までに一番伝わったような気がする。この説明をすると、相手は即座に「八王子には芸者がいるんですか?」とか「粋なんでしょうね」という反応がある。第一歩を踏み出したような気がする。

かつては、旦那のものであったかもしれないが、今は小唄人口の大半が女性であろう。そうなると「旦那衆が座敷で・・・」というのは事実に反すると言わざるを得ない。女性の小唄愛好家は眉を顰めるかもしれない。しかし、これが一番的を得ているような気もするのである。ある意味、ステレオティピカルな表現かもしれない。現実から乖離しているかもしれない。しかし、この説明がなんとなく小唄に対して持たれているイメージに近いのだろう。

実際に聴いてもらうのが一番であることは言うまでもない。しかし、いま小唄を気軽に聴こうとおもったら、各派、あるいは連盟の演奏会ということになる。こういう会は、短時間に何曲も小唄を聴くことができる。しかし、魅力は伝わらないだろう。

やはり、小唄が輝く場所は花柳界なのだと思う。

沖のかもめ

秋の勉強会に向けて、新しい曲の稽古をはじめた。『沖のかもめ』。常盤まさ来作詞、松峰照作曲(昭和56年)。松峰派代表曲の一つである。

小唄というと「江戸情緒」という言葉が直ぐ浮かぶので、どうしても江戸時代、新しくても明治という印象がある。実際、その時期に多くの曲がつくられ「古典」として愛好されている。『沖のかめもめ』は昭和56年。世はバブルの入り口。小生は、大学生で勉強そっちのけで日夜プールで格闘していた時期である。

”今宵別れりゃ何時また逢える 思いを込めてグラスを合わせ 言葉にならないさよならを むせび泣くよに流れてる 男と女の涙唄 沖のかもめに汐時問えばよ わたしゃ立つ鳥波に聞け 辛い別れの夜が更ける”

”沖のかもめに汐時問えばよ・・・”の部分はいわゆるアンコであるが、節は「だんちょね節」のようである。「だんちょね」節と言えば、八代亜紀さんのヒット曲『舟唄』のアンコにも使われている。”沖のかもめに深酒させてよ いとしあの娘とよ朝寝するダンチョネ”。

小唄の方は「沖のかもめに」までは同じであるが、「深酒させてよ」ではなく「汐時問えばよ」と続く。この「汐時問えばよ わたしゃ立つ鳥 波に聞け」は、ソーラン節の歌詞であるが、ダンチョネ節とソーラン節では、節も曲調もかなり違う。

要は、小唄『沖のかもめ』のアンコは、ソーラン節の歌詞をダンチョネ節の節に乗せて歌っているというところだろうか。そこで、ダンチョネ節のお決まりである、最後の「ダンチョネ」を省略しているところがミソであろう。「ダンチョネ」がなくても聴く人はダンチョネ節だとわかる。

大ヒットした八代亜紀さんの『舟唄』は、昭和54年。小唄『沖のかめも』ができたのは、2年後の昭和56年。人々の記憶に『舟唄』が生々しかった時期。アンコに考えたのは、「ダンチョネ節」ではなく『舟唄』だったのかもしれない。だから、「ダンチョネ節」の歌詞を、同じ「沖のかもめ」で始まるソーラン節に変えたのかもしれない。ダンチョネ節を直接引用したのではあまりにダイレクトすぎて、小唄の歌詞に奥行きがでない。「汐時問えばよ わたしゃ立つ鳥 波に聞け」というアッサリした文句からは、別れを現実として受け入れなければならない男女のやるせない気持ちが伝わってくる。

芝ゆき会

八王子、いや今や東京を代表売る名妓にして、春日派の小唄、英芝流端歌の師匠である、めぐみさんこと春日とよ芝州ゆき師が、八王子で社中の発表会を開催する。もう10回を数えるそうだ。

私も派は異なるが小唄で出演させて頂くことになっている。めぐみさんの社中には、ロータリークラブの仲間も多いので、同好会の仲間に紛れて出演という感じ。出し物は、『未練酒』と『三日月眉』 『未練酒』は小唄松峰派の代表曲で、他流でも愛好されるかたが多い曲である。『三日月眉』は、花柳界でのおのろけ。当日、八王子にお立寄りの機会がありましたら、是非冷やかしにいらしてください。観覧無料とのことです。

日時 令和6年10月5日(土) 13時開演 16時頃閉演予定
於  八王子織物工業組合
   東京都八王子市八幡町11-2
    八王子駅より京王・西東京バスにて「織物組合」下車