趣味

趣味は?と尋ねられると「茶の湯、小唄、能楽」それと「ゴルフとテニス」と答えるしかない。ほとんどの方は、「和事がお好きなんですね」と仰る。

確かに客観的に見れば「和事」が好きなのかもしれない。しかし、それは結果論であり、成り行き任せの成れの果てなのである。

私を小唄の世界に引き摺り込んだのは、地元における小唄の泰斗「はーさん」である。同窓会の重鎮にして地元経済界でも一目置かれる「はーさん」からある時電話がかかってきた。「今から遊びに行ってもいいかい?」「もちろんです」 しばらくして「はーさん」が来社。しばらく世間話をして「さあ、行くか」と。「どこに行くんですか?」と聞いても、「ついてきたら分かる」の一点張り。かくして到着したのはビルの最上階にあるカルチャースクールの「小唄教室」。数名の受講者がすでに着席していて、真ん中に師匠が。何がなんだかわからないうちに、「じゃあ、唄ってみましょう」と歌詞を渡されたのは、「伽羅の香」だったと思う。

師匠について何度か唄うと少しは慣れてくる。そうすると周囲から「男性は声がいいわね」とか「筋がいいわね」と妙なお褒めの言葉が。これに浮かれた訳ではないが、正式に入門して稽古を始めることになる。その後、師匠は2度変わったが今でも小唄の稽古は続けていて、25年を数える。年数だけ言えばベテランの域かもしれない。小唄はすでに人生の一部になっている。このような世界を与えてくれた「はーさん」にまず感謝したい。

この話には、重要な前段がある。「はーさん」は常々「人間誘われるうちが花」と仰っていた。文字通り取れば、「誘われるうちに、やっておきなさい」ということ。しかし、これには裏があって、「誘う方も真剣なんだ」ということ。自分が属してしかも大切にしているコミュニティに新人を誘うことはとても勇気のいることだと思う。その輩の行動遺憾によっては自分のコミュニティ内での立ち位置に係るからである。だから、そのリスクを承知で誘うということは、そのことをしっかり受け止め真摯に決断すべきだということ。もちろん、誘いに乗ることがベストであろう。

思えば、誘われたら断らないということは私の人生訓かもしれない。

一人暮らし

去る4月14日、小唄松峰派樹立55周年記念演奏会(於 三越劇場)で唄った『一人暮らし』。作詞 伊藤寿観、作曲 初代松峰照(昭和52年)。

「雪もよい 一人暮らしの気散じは 昼間の酒の燗ちろり ねずみガタガタ 湯豆腐グッツグツ 炬燵にゃ子猫が大あくび がっくりそっくり按摩さん 格子戸開けて ええお寒うございます」

洒落た小唄らしい作品だとおもう。出だしの「雪もよい」はゆったりと。どんだけ格調高い曲がはじまるのかと思いきや、いきなり粋な小唄の世界に。寡婦(やもめ)男の休日である。湯豆腐を肴に昼酒を決め込んでいる図である。ここに出てくる「燗ちろり」。これに疑問を挟む余裕はなかったが、あらためて調べてみると日本酒の燗をつけるための錫や銅でできた容器のこと。そういえば、昔ながらの居酒屋にいくと、店の奥で店の主が燗番をしていることもあり、その時に湯に浸けられていたのが「燗ちろり」なのだろう。

この唄、主人公は一人暮らしの気軽さを最大限に堪能すべく、昼から炬燵で湯豆腐を肴に昼酒なのであるが、周囲は放っておかない。天井ではねずみがガタガタ走り回り、目の前では湯豆腐が煮えたぎり、足元では猫が大あくび。そうこうするうちに、頼んでいた按摩さんが到着し。格子戸を開けて、「ええ、お寒うございます」。なんとも賑やかであるが、当の本人は昼酒でいい調子なのだろう。その様子を想像するに、なんとも滑稽というか絵になる。

こういう小唄はそいいう面白さを聴衆に伝えなければならない。これが意外とむずがしいのである。稽古でも毎回「ええお寒うございます」のやり直し。イメージは格子戸をあけて、奥にいる主に聞こえるように「ええお寒うございます」 なのであるが、言葉に引きずられて陰気に「お寒うございます」は論外なれど、どいういう気持ちで「お寒うございます」なのか。

小唄は難しい。

言わなきゃよかった

4月、5月と大舞台(=三越劇場)が続いたので、小唄の大切な醍醐味の一つをわすれかけていたことに気がついた。

小唄はもともと「四畳半の音曲」と呼ばれていた。この場合、四畳半とは小座敷を指す。つまり、座敷で、少人数で楽しむ音楽ということである。座敷というのは、時代であれば料亭。いまでは、料亭というとその店で調理した料理を供する”高級な”和食店というのが概ね虚言う通するイメージであろう。しかし、「料亭」とは本来その店で調理した食事を供する場所ではない。そのような店は「割烹料亭」と呼ばれることはあったが、それが短縮されて料亭となったのかもしれない。「料亭」とは、「お茶屋」とも呼ばれ、いわゆる貸し座敷である。客、芸妓、料理が集まる場所である。料理は仕出で提供される。「料亭」で調理するわけでないのである。「料亭」が出すのは、お酒とせいぜい漬物くらい

我ホームグラウンド八王子の花柳界にも10年前くらいまではそういう「料亭」があった。料亭を利用するときの”正規”のプロトコルは、まず「料亭」の女将から始まる。と言うか、女将が全てである。女将に時間と人数を告げれば、あとは女将の采配で手配してもらえる。その頃でも、そうしたプロトコルは辛うじて存在していたが、「料亭」の消滅によりそのようなプロトコルはなくなり、知っているものも少なくなっている。昭和は遠くなりにけり。

話はそれたが、ロータリークラブの小唄愛好家の有志があつまった同好会に参加した。日本料理店(今ではそれを「料亭」と呼ぶのが一般的)の座敷に芸妓を呼び、一通り料理と芸妓の芸を楽しんだ後、いよいよ小唄である。全員が小唄を嗜み日常的に稽古をしているという、いわば好きもの同士なので、誰に気兼ねすることなく小唄を披露し、時には批評も伺う。大舞台では味わえない、小唄本来の魅力であると思う。

今回は、松峰派の代表曲の一つにして今は亡き小唄の泰斗のお気に入り『言わなきゃよかった』を唄った。

”言わなきゃよかった一言を 悔やみきれないあの夜の 酔ったはずみの行き違い ごめんなさいが言えなくて 一人で聞いてる雨の音”

主人公は女性である。繰り返すが、昭和の女は強いのである。男に一方的に言われ、男が去った後、女々しく泣くような女ではないのである。男と対等に口喧嘩し、言いすぎてしまうくらい強いのである。しかも、「一人で」雨の音を聞いてそれを悔いているのである。きっと、酒を飲みながら。