小唄考(1)

「小唄ってなに?」と尋ねられて、一言で説明するのは難しい。25年も稽古を続けていながら・・・ 

そもそも、巷には「祇園小唄」や「お座敷小唄」など「◯◯小唄」という楽曲が数多くある。この場合、「小唄」というのは”短い” ”軽い”唄という意味であろう。しかし、ここで考えようとしている「小唄」は、「◯◯小唄」とは一線を画するもの。あえて言うなら、「江戸小唄」。

小唄の成立を辿ると「端唄(はうた)」から派生したという文章が目につく。実際に、「端唄」と「小唄」両方の看板を出しているお師匠さんも少なくない。だが、敢て小唄と端唄は別物と主張したい。そもそも、端唄は江戸時代にうまれた「流行歌」である。誰がつくったのかも記録されていない。口伝いで普及した流行化である。

これに対して、小唄は作詞者、作曲者がきちんと記録されている。そもそも、小唄はは江戸時代の末期に、二代清元延寿太夫の娘、お葉が父の遺品からみつかった松平不昧公の歌「散るは浮き 散らぬは沈むもみじ葉の 影は高尾か山川の水」に少し手をくわえ節をつけたの始まりといわれている。「小唄 散るは浮き 作詞 松平治郷 作曲 清元お葉」なのである。

先輩諸氏からは「小唄はきちんと師匠と正対して習い、外で唄うときには師匠に許された曲のみとすべし」と教わった。作者がはっきりしているのであるから、しっかり稽古して節をしかりと身につけなければならない。適当では済まされない、ある意味「道」の要素がみてとれる。端唄にそういう要素はない。

写真は、不昧さんのお国、松江の銘菓「山川」。

珠光茶会

3月11日、春の到来を予感させる陽気のなか、南都・奈良を尋ねました。目的地は薬師寺。3月6日からの1週間、奈良の大寺院を舞台に『珠光茶会』が開催されています。

茶道宗徧流は、京都支部が11日に薬師寺で濃茶席をもちました。西ノ京駅を降りて山内に入ると紅白の梅がアーチをつくり出迎えてくれました。獨楽庵は白梅は満開ですが、紅梅はまだまだです。濃茶席のお床は、江戸前期の茶人、土岐二三の「鶯」。そろそろ初音が聞こえる時期ですね。

「梅一輪 一輪づつに鶯のうたい初め候 春の景色もととのうままに 実は逢いたくなったのさ」(平山芦江作詞 春日とよ作曲)

なんとも、小唄らしい小唄。梅が一輪開くごとに春が近づく様を風流に唄っていたかと思えば、最後はストレートに「逢いたい」というオチ。

牡丹雪

雪が降ると、どういう訳か小唄を思い出します。

小唄松峰派の代表曲の一つ『牡丹雪』。時代はグッと下がって平成11年の作品。作詞は茂木幸子師。曲は、初代家元松峰照。

夜更けていつか牡丹雪 帰さないよと降りつもる 差しつさされつ盃を 片手に聞いてる明がらす 「あの時さんは何処にどうしていさんすことじゃやら ま一度顔が見たい逢いたいわなあ」 昨日の花は今日の夢 廓の恋の悲しみを今に伝えてなおいとし 「はい お酌」

小唄「初雪」のように、いい仲の二人の逢瀬。雪が段々と大粒になり、それをいいことに段々と深まる二人の逢瀬。廓言葉のセリフから、古の吉原の世界に引きずり込まれるものの、最後の「はい お酌」で今に引き戻される。この「はい お酌」がいいんだんなあ。これは、ベトベトした口調ではなく、あっさりと。酒の機嫌で古の廓に思いを馳せている男を、一瞬で現実に引き戻すくらいのあっさり感が丁度良いと思う。