小唄考(2)

方角には「語りもの」と「歌いもの」に分類されるという。「語りもの」は三味線を伴って詞章を語り語るように唄う。詞章は気持ちを語るというよりは、状況を説いていくもので「叙事的」と言われる。先祖の謡の詞章がそうであるように。一方、「歌いもの」は、三味線をともなうところは「語りもの」と共通であるが、よりメロディ重視で歌詞も「抒情的」になる。と、言われている。

そこで、我が「小唄」であるが、一般的に「歌いもの」に分類されるようである。日本小唄連盟もそう言っているので、そうなのかもしればい。しかし、これには違和感がある。小唄の歌詞は確かに、多分に「抒情的」である。一見「叙事的」に淡々とした詩であっても、その実は情熱的であったりもする。

しかし、演奏形態としては、三味線と語り(太夫)による浄瑠璃に近い。演奏会などで例外的に団体で演奏することもあるが、基本は三味線方一人(たまに替手が入る)と唄手一人である。

これからが核心であるが。師匠からは、「語るように唄え」と指導される。節は確かにある。しかし、節に言葉を乗せてはならないということである。あくまで、言葉を言葉として捉え、余計な節はつけずに語る。加えて、基本的に三味線方と唄手は分業である。時に、弾き語りをすることがあるが、それは師匠が弟子に教える時に弾き語りができなければ、どうにもならないという理由からだ。舞台では、どんな名手でも弾き語りはしない。そこが「語りもの」と考えるべき所以である。

小唄を見せ物として弾き語りすることもあるだろうが、それはすでに「小唄」ではなく「俗曲」というべきであろう。

小唄松峰派樹立55周年記念演奏会

地元の”悪い”先輩に強引に引きづり込まれた小唄の世界。稽古をはじめてはや25年。その間に師匠は2回替わり、現在は小唄松峰派の家元、二代松峰照師のもとで稽古に励んでいます。10年前には、「照正(てるまさ)」という名前も頂き、昨年は「準師範」も頂きました。

「準」とはいえ「師範」となのつく物を頂いてしまうと、「芸者が遊んでくれなくなるよう」と軽口を叩いておりましたが、実際に許状をいただくと、やはりその重みに身が引き締まります。その重みで稽古に励んだ、「雨の宿」と「一人暮らし」を唄います、また、番外では、八王子芸者衆の協力を得て、小唄振りで「未練酒」と「好きなのよ」を唄います。

この25年間、なんども舞台にあがりましたが、小唄の舞台というのは独特の緊張感があります。まず、一曲一曲が短いので、躓くと修正することができません。唄い手は1人。助けてくれる後見はいません。

お茶では、師匠から「常を晴れに、晴れを常に」と教わり続けてきました。「常」がいかに大事か。緊張とは、本番で稽古(常)以上のパフォーマンスを発揮しようとおもう心から生まれる。何事も、稽古以上のものは舞台ではひき出せないのだと悟れば、緊張はない・・・(はず)。あわよくば・・・というスケベ心が落とし穴。こういう心の乱れを大龍和尚は「矛」と言った。そして、その「矛」を己の心を一槌にして打ち砕けと。

万が一、明日午後日本橋にお出かけのことがあれば、三越劇場に冷やかしにお越しください。もちろん、入場無料です。

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小唄考(1)

「小唄ってなに?」と尋ねられて、一言で説明するのは難しい。25年も稽古を続けていながら・・・ 

そもそも、巷には「祇園小唄」や「お座敷小唄」など「◯◯小唄」という楽曲が数多くある。この場合、「小唄」というのは”短い” ”軽い”唄という意味であろう。しかし、ここで考えようとしている「小唄」は、「◯◯小唄」とは一線を画するもの。あえて言うなら、「江戸小唄」。

小唄の成立を辿ると「端唄(はうた)」から派生したという文章が目につく。実際に、「端唄」と「小唄」両方の看板を出しているお師匠さんも少なくない。だが、敢て小唄と端唄は別物と主張したい。そもそも、端唄は江戸時代にうまれた「流行歌」である。誰がつくったのかも記録されていない。口伝いで普及した流行化である。

これに対して、小唄は作詞者、作曲者がきちんと記録されている。そもそも、小唄はは江戸時代の末期に、二代清元延寿太夫の娘、お葉が父の遺品からみつかった松平不昧公の歌「散るは浮き 散らぬは沈むもみじ葉の 影は高尾か山川の水」に少し手をくわえ節をつけたの始まりといわれている。「小唄 散るは浮き 作詞 松平治郷 作曲 清元お葉」なのである。

先輩諸氏からは「小唄はきちんと師匠と正対して習い、外で唄うときには師匠に許された曲のみとすべし」と教わった。作者がはっきりしているのであるから、しっかり稽古して節をしかりと身につけなければならない。適当では済まされない、ある意味「道」の要素がみてとれる。端唄にそういう要素はない。

写真は、不昧さんのお国、松江の銘菓「山川」。

珠光茶会

3月11日、春の到来を予感させる陽気のなか、南都・奈良を尋ねました。目的地は薬師寺。3月6日からの1週間、奈良の大寺院を舞台に『珠光茶会』が開催されています。

茶道宗徧流は、京都支部が11日に薬師寺で濃茶席をもちました。西ノ京駅を降りて山内に入ると紅白の梅がアーチをつくり出迎えてくれました。獨楽庵は白梅は満開ですが、紅梅はまだまだです。濃茶席のお床は、江戸前期の茶人、土岐二三の「鶯」。そろそろ初音が聞こえる時期ですね。

「梅一輪 一輪づつに鶯のうたい初め候 春の景色もととのうままに 実は逢いたくなったのさ」(平山芦江作詞 春日とよ作曲)

なんとも、小唄らしい小唄。梅が一輪開くごとに春が近づく様を風流に唄っていたかと思えば、最後はストレートに「逢いたい」というオチ。

牡丹雪

雪が降ると、どういう訳か小唄を思い出します。

小唄松峰派の代表曲の一つ『牡丹雪』。時代はグッと下がって平成11年の作品。作詞は茂木幸子師。曲は、初代家元松峰照。

夜更けていつか牡丹雪 帰さないよと降りつもる 差しつさされつ盃を 片手に聞いてる明がらす 「あの時さんは何処にどうしていさんすことじゃやら ま一度顔が見たい逢いたいわなあ」 昨日の花は今日の夢 廓の恋の悲しみを今に伝えてなおいとし 「はい お酌」

小唄「初雪」のように、いい仲の二人の逢瀬。雪が段々と大粒になり、それをいいことに段々と深まる二人の逢瀬。廓言葉のセリフから、古の吉原の世界に引きずり込まれるものの、最後の「はい お酌」で今に引き戻される。この「はい お酌」がいいんだんなあ。これは、ベトベトした口調ではなく、あっさりと。酒の機嫌で古の廓に思いを馳せている男を、一瞬で現実に引き戻すくらいのあっさり感が丁度良いと思う。

 

梅は咲いたか🎵

いつの間にか庭の梅が咲いていました。今日から2月。春はもうすぐそこまで来ています。

「梅は咲いたか桜はまだかいな 柳たなよなよ風まかせ 山吹や浮気で色ばっかりしょんがいな」

今年は、「初雪」を唄わないまま、「梅」になってしまいました。そうこうしているうちに、「夜桜」になって・・・ まだ、始まって一月ですが、一年は早いですね。

三越劇場

日本橋三越本店内にある「三越劇場」は、古典芸能の聖地と言っても差し支えないでしょう。特に、「小唄」では。

その三越劇場で、令和6年4月14日(日) 小唄松峰派樹立55周年記念演奏会が催されます。小唄は江戸の末に、二代目清元延寿太夫の娘お葉が、二代目延寿太夫贔屓にしていた松平不昧公の歌に節をつけたものが始まりと言われている、三味線邦楽の小曲です。

不昧公の歌は「散るは浮き 散らぬは沈むもみじ葉の 影は高尾か山川の水」。この最後の句を「水の流れに月の影」としたのが秀逸であることは言うまでもありませんが、曲が優れていなければ小唄というジャンルは後世に続かなかったでしょう。何事も先駆けとというのはそういうものなのかもしれません。

翻って、我が松峰派。昭和45年の小唄酣春会にて竹枝せん照が小田将人の詩に曲をつけ「雪灯り」として披露したのが始まり。その翌年、せん照は松峰照を名乗り「松峰派」を樹立します。その様子については、小唄の先哲 八海老人のブログがふるっているので、ご参照ください。

4月14日の記念演奏会は、全番組松峰派のオリジナル曲。私は第一部で「雨の宿」「一人暮らし」を、番外で「未練酒」「好きなのよ」を唄います。番外は、八王子芸者の小唄振りつき。お近くにお越しの節には是非お立ち寄りくださいませ。

初雪

昨日、東京も初雪が降りました。例年より10日遅い初雪だったそうです。ここ数日、日中は冷え込みを感じますが、それでも暖かいのですね。

有名な小唄に「初雪」があります。小唄を習ったことがある人でしたら、よくご存知だと思います。

「初雪に降りこめられて向島 二人が中に置炬燵 酒の機嫌の爪弾きは 好いた同士の差し向かい 嘘が浮世か浮世が実か 誠くらべの胸の胸」
初代清元菊寿太夫詩・曲

いい仲の二人、向島でお忍びで逢っている最中に雪が降り出し、これ幸に?長居しようか・・・という雰囲気です。女の三味線は爪弾き。ということは、唄っているのは小唄です。差し向かいで酒をさしつさされつ、相手の心を探る。小唄の三味線は伴奏ではありません。つかず離れずがいいとされています。だから、お互いの心を探りつつ駆け引きがあるのです。

小唄松峰派『松韻会』

小唄の話題が続いて恐縮です。去る11月17日、新宿で小唄松峰派の『松韻会』が開催されました。『松韻会』、社中の男性の発表会・勉強会です。

私は、第一部で『未練酒』と『好きなのよ』を。第二部で『雨の宿』と『一人暮らし』を唄いました。どれも、来年4月の松峰派樹立55周年演奏会で唄います。『未練酒』と『好きなのよ』は、八王子の芸妓衆が振り(小唄振り)をつけて色を添えてくれることになっています。この小唄振り、広く知られている古典(古曲)のいくつかには振りがついていて、各花柳界で大事に受け継がれています。松峰派は新曲なので小唄振りがついている曲はまずありません。今回も、踊りのお師匠さんにお願いして振りをつけてもらっています。どんな振りになるのか今から楽しみです。

松峰派の唄には、セリフや三味線と離れて「アカペラ」で唄う部分がある曲は数多くあります。『未練酒』はその代表作で、「おまえお立ちか お名残惜しい」。短い文句ですが、たっぷりと情感豊かにアカペラで。聞かせ処です。

小唄〜『雨の宿』

「灰皿の煙草に残る紅のあと つい言いすぎた痴話喧嘩 もうこれっきりと言い捨てて 帰っ女の残り香が 未練心をかき立てて 音もなく降る雨の宿」

小唄松峰派代表曲のひとつです。小唄という邦楽ジャンルは江戸末期に誕生し多くの作品は明治、大正期に作られました。そんな中で、松峰派は初代松峰照師が昭和40年代に樹立。来年はその樹立55周年を祝う演奏会が三越劇場で開催されます。

私も、松峰照正として舞台に上がりますが、今回は『雨の宿』『ひとり暮らし』を唄います。番外の小唄振りでは『未練酒』『好きなのよ』をと、合計4曲を唄うことになり稽古に励んでいます。小唄振りとは、小唄に合わせて芸妓が振りをつけることを言います。お座敷で成長してきた小唄らしい出し物と言えると思います。

冒頭に書いたのは『雨の宿』の歌詞です。昭和も40年代になると女性の社会進出が進み同時に男女の間柄も変化してきていることが歌詞からも読み取れます。まず、「煙草に残る紅のあと」。立ち去った女性が残した煙草です。そして、女性は「もうこれっきり」と自分から縁を断ち切って去っていきます。戦前、ましてや江戸時代にはあり得なかった情景なのではないでしょうか。小唄を四半世紀嗜んできて、古典が描く男女の情景にどうしても共感できなかった身にはすーっと入ってくる世界です。

写真は、稽古のあと稽古場近くのタップルームで頼んだ「Masterpiece Dual」と命名されたAmerican IPA。名古屋のY Market造。いかにもAmerican IPAなホップのトロピカル感とガツンとくる苦味。アルコール度9.0とかなり高め。アブナイ。