梅は咲いたか

白梅の枝に蕾を見つけました。長期予報によると、2月の気温は平年より高いそうです。今年は何時ごろ咲きますか。2月には、倶楽茶会(16日)と名児耶先生の講演会(18日)があります。その頃は、紅白先揃っているかもしれません。お楽しみに。

春を待つウキウキ感の小唄といえばまず、これが頭に浮かびます。
“梅は咲いたか桜はまだかいな 柳なよなよ風まかせ 山吹や浮気で 色ばっかりしょんがいな“

初春から初夏にかけての代表的な花をあげて、その様子を面白く歌ったもの。歌詞に特に深い意味はないと思う。あまりに有名な曲なので、どこの花柳界にいっても地方、立方はいるはずなので、春を待ち遠しく思う季節に縁起担ぎで盛り上がること間違いなし。三味線も難しいところは無いので、弾き語りもすぐにマスターできるでしょう。春のお座敷でビューに、今から仕込みませんか。

所詮小唄、されど小唄

小唄の稽古に誘うと、大抵は拒否される。四半世紀前、私が小唄の世界に足を踏み入れた頃は、半ば強制的に習わされたものである。

私の場合は、ある時、地元の先輩であり小唄の泰斗であるハーさんから会社に電話があり、「いまから遊びに行ってもいいか」と。断るどころか大歓迎。しばらく世間話をしたところで突然
 ハーさん 「じゃあ、行こうか」
 私 「どこに行くんですか?」
 ハーさん 「ついてくれば分かる」

で、行った先が小唄の稽古場で、即稽古が始まり入門が決まったというオチ。その時の師匠のもとは15年ほど前に辞し、いまは小唄松峰派二台目家元 松峰照師匠に師事している。そんな流れで小唄の世界に入ったので、誘われたら云々などど言っている猶予はなかった。

そんな経験が根底にあるので、「誘われるうちが花」という言葉の意味みもよくわかっているつもりである。その上で、知人を小唄に誘うとほぼ100%敬遠される。理由の多くは「俺は(私は)音痴なので・・・」というもの。「音痴の原因はキーがあっていないことで、キーさえ合えば音痴は発生しないと」と説明しても、閉じた耳には届かない。

そこで一案、「小唄」とはいうものの、三味線から入ったらどうだろうか。小唄の三味線は唯一撥を使わない。人間が生まれながらに持っている「撥」つまり、「指」を使って弾くわけである。これを「爪弾き」と称するが、実際には爪だけでなく、爪の横の肉もつかうようではあるが、初心者は爪にあれてばとりあえずそれらしい音は発することができる。加えて、小唄は短い。短いものは1分程度である。だから、長歌などの段物にくらべてずっと早く一曲を仕上げることができる。

邦楽に少しでも関心があって、「歌」に二の足を踏んでいる皆さん。三味線は如何ですか?

小謡

小唄の泰斗ハーさんは、「小唄は短いからいい」と常々語っていた。宴会の席、料理も酒も平らげ、芸者の座敷も堪能したあと、「さて、旦那衆も何か」という場面では、長いは禁物である。小唄なら2、3分、都々逸なら2曲やっても2分程度。これなら、どんなに下手でも同席のものは堪えられる。これが、長唄など段物の一部となると10分では済まされないだろう。折角盛り上がった宴席も、しらばむことだろう。

そこで小謡である。謡は真面目にやったら1時間近くかかる。しかも、馴染みのないものには何を歌っているか見当つかない。これを座敷でやったら、二度とお誘いの声が掛からなくなるかもしれない。とさえ思う。

だからこその、「小謡」である。「小謡」とは謡楽の一部、有名な一節を取り出したものである。例えば「高砂」なら、「千秋楽には民を撫で 萬歳楽には命を延ぶ 相生の松風颯々乃聲ぞ楽しむ 颯々の聲ぞぞ楽しむ」 舞台では、附祝言として披露されることが多いが、これなら1分と掛からない。三味線も必要なし。それでいて、格調高い。締めにはもってこいではないだろうか。

そういう場面で小謡をしていいものだろうかという疑問は残るが、宴席で小謡しりとりをして負けたら罰杯という遊びがあったと耳にした記憶があるので、きっと大丈夫なのだろう。
これからは、「小謡」のレバートリーも広げていきたいと思う。