小謡

小唄の泰斗ハーさんは、「小唄は短いからいい」と常々語っていた。宴会の席、料理も酒も平らげ、芸者の座敷も堪能したあと、「さて、旦那衆も何か」という場面では、長いは禁物である。小唄なら2、3分、都々逸なら2曲やっても2分程度。これなら、どんなに下手でも同席のものは堪えられる。これが、長唄など段物の一部となると10分では済まされないだろう。折角盛り上がった宴席も、しらばむことだろう。

そこで小謡である。謡は真面目にやったら1時間近くかかる。しかも、馴染みのないものには何を歌っているか見当つかない。これを座敷でやったら、二度とお誘いの声が掛からなくなるかもしれない。とさえ思う。

だからこその、「小謡」である。「小謡」とは謡楽の一部、有名な一節を取り出したものである。例えば「高砂」なら、「千秋楽には民を撫で 萬歳楽には命を延ぶ 相生の松風颯々乃聲ぞ楽しむ 颯々の聲ぞぞ楽しむ」 舞台では、附祝言として披露されることが多いが、これなら1分と掛からない。三味線も必要なし。それでいて、格調高い。締めにはもってこいではないだろうか。

そういう場面で小謡をしていいものだろうかという疑問は残るが、宴席で小謡しりとりをして負けたら罰杯という遊びがあったと耳にした記憶があるので、きっと大丈夫なのだろう。
これからは、「小謡」のレバートリーも広げていきたいと思う。

小唄と三味線

四半世紀前、小唄を習い始めるとほぼ同時に三味線も習い始めました。小唄の三味線は、撥を使わず指で弾くのが特徴です。爪弾き(つめびき)と言いますが、プロによると、単純に爪で弾くのではなく、爪に当てて爪の横の肉に逃す・・・と。自分の指だから簡単とは言えないようです。

今日は『散るは浮き』を稽古しました。幕末に清元お葉さんによってつくられた、この世で最初の小唄です。はじめチョロチョロ、なかパッパ・・・ですが、唄が終わったあとの三味線(送りとか後弾きと言われます)が、難所です。

小唄『まんざらでもない』

春に向けて新しい唄の稽古を始めました。お家元から、「照正(私の芸名、松峰照正)さんは、女心の唄がお好きだらか」ということで、この曲が課題になりました。

“そんなつもりもないくせに そんなつもりの顔をする そんなあなたと知りならがら まんざらでもない 春の宵“

「そんなつもり」という句が繰り返されますが、臍を曲げている女の姿が浮かんできます。“そんな“は、人それぞれでしょうが、つもりも無いのに、そんな顔をする。昭和のテンプレではないでしょうか(笑)女性は全てお見通しなのに、男は咄嗟の素振りで誤魔化そうとする。女は、「そんなあなたと知りながら」。「お見通しですよ!」と。

でも、それが“まんざらでもない“。やはり、春はいい。

とともに、女の手のひらに乗っていた方が、万事幸せなのかと。