淡海節

先週末、唐津で開催された宗徧流義士茶会の翌日、呼子まで足を伸ばしイカを堪能したくだりは既に書いた。また、松峰小唄には、呼子の風景を織り込んだ『呼子の女』という曲があることも書いたと思う。

その『呼子の女』にはアンコとして「淡海節」が効果的に使われている。
“夕映の弁天島の瀬戸こえて 岸に大漁のカマス船 「舟を引き上げ船頭主は帰る」 主を松浦、呼子の女 潮の香りの束ね髪 解けて嬉しい 「浜の松風」“ 以上が『呼子の女』の歌詞であるが、「」で括られた部分が「淡海節」である。

これまで、「淡海」と言うからには「淡水の海」と言うこと、すなわち「琵琶湖」と思ってきたが、どうやら違うらしい。淡海とは、大正昭和期の喜劇役者 志賀廼家淡海(シガノヤタンカイ)のことで、淡海が劇中で歌った「ヨイショコショ節」が原点とのこと。確かに、「淡海節」には「波の音 ヨイショコショ」と言う節がある。

さらに検索を続けると、「淡海節」は淡海が舞鶴巡業中に海に浮かぶ舟を眺め故郷を思い出して作った曲という情報がある。舞鶴だから日本海かとも思うが、淡海の故郷は滋賀県堅田。琵琶湖の辺りであるから、やはり「淡海節」の風景は琵琶湖のものと考えても間違いではないと思う。

ということで、「淡海節」の淡海は、淡海=淡水の海=琵琶湖 ではなく、志賀廼家淡海の「淡海」であったが、結局は琵琶湖の風景を歌った曲である。とどのつまり、淡海節は琵琶湖の風景を歌った歌なのだった。というオチ。

写真は、その志賀廼家淡海。

アンコという技法

小唄、そして都々逸は「あんこ」という技法を頻繁に用いる。「あんこ」とは、唄のなかに、別の有名な唄の一節を挟むことで、文字通り餡子なのであるが、それにより唄の奥行きが格段に増すのである。

「あんこ」は一種の引用で、あんことして挟まれた一節の持つ世界が聴く人の脳裏に広がり、唄の世界を広げるのである。例えば、歌い継がれた都々逸に「さんざ浮名を流したあげく、”心して我から捨てし恋なれど” 雨の降る夜は思い出す」というのがある。「さんざ浮き名を流したあげく 雨の降る夜は思い出す」では、なんでもない、単に昔の恋路を思い出しているだけであるが、ここにアンコとして”心して我より捨てし恋なれど”が入ると、新派「鶴八鶴次郎」のストーリーが加わり、この情景を実に味わい深いものに変えるのである。

新派「鶴八鶴次郎」の詳細はご自身でお調べ頂くとして、鶴八鶴次郎は悲恋の物語。だから、ここで雨の降る中思い出すのは、浮き名を流した売れっ子時代の鶴八鶴次郎のコンビであり、その後の別れである。そして、すべてを胸に納めた今、雨音のなかで静かに昔を思い出すのである。

小唄「水指の」

小唄の中には、お茶に関係する曲もあります。以前紹介した、江戸小唄第一号「散るは浮き」は大名茶人として有名な松平不昧公の作詞です。不昧公は、小唄のために作詞したのではなく、単純に歌を読まれたのですが。

「水指の」という曲は、そのものずばり茶室の風景を唄ったものです。


“水指の二言三言言いつのり 茶杓にあらぬ癇癪の わけ白玉の投げ入れも 思わせぶりな春雨に 茶巾しぼりの濡れ衣の 口舌(くぜつ)もいつか炭点前 主をかこいの四畳半 嬉しい首尾じゃないかいな“

掛け言葉や韻を踏む箇所がいくつか出てきます。「水指」とは「仲に水を指す」つまり、「言い争い=口舌」の場面であることを暗に示しています。「茶杓にあらぬ癇癪の」は「シャク」という韻を踏んでいます。「茶杓」に特に意味はないでしょうね。「わけ白玉の」は「訳は知らない」という掛け言葉。「投げ入れ」は、「茶の花は投げ入れ」と言われるので付け足したのでしょう。「口舌もいつか炭点前」の「炭」は「済み」ですね。「口舌(くぜつ)」というのはちょっとした言い争いのことです。ですから、いつの間にか、言い争いも(気が)すんでしまったということでしょう。最後は、艶っぽい歌詞が続きます。

女性は、まさかお茶の先生ではないでしょうが。お茶の言葉を巧みに並べて男女の仲を描いた粋な曲だと思います。