三味線

実は、25年前に小唄を習いはじめたのとほぼ同時に小唄三味線の稽古も始めている。最初の師匠である松風美く実師の見台開きには、番外で八王子芸者の小唄振りがあったが、その時の番組は『心して(鶴次郎)』。唄はハーさんこと今は亡き橋下氏。不祥、松風実優こと私が本手を、美く実師が上調子を弾いた。なんとか大きなミスもなく無事に大役を勤めることができた。

『心して』というのは、新派の名作『鶴八鶴次郎』を題材にし、春日よとが作曲した名作である。『鶴八鶴次郎』の鶴八は新内の三味線弾き。鶴次郎は太夫である。当然、『心して』も新内調に仕上がっている。

“心して我より捨てし恋なれど せきくる涙堪えかね うさを忘るる杯の 酒の味さえほろ苦く“ 。後弾きの上調子が印象的である。この唄を持って、春日とよは小唄春日派を樹立。春日派にとっても意義深い曲であろう。

話が逸れたが、ボスよりお許しが出たので来年秋の茶会では、小唄の弾き語りを披露(あくまで所望されればであるが)しようと思う。ということで、三味線の稽古を再開しますという話。

言わなきゃよかった

11月23日は、小唄松峰派の男性だけの勉強会『松韻会』である。このところ、建長寺の四ツ頭茶会とか、京都での能の稽古とか、獨楽庵での炉開きが続き、小唄の稽古がおろそかになっている自覚はあったものの、いざ当日の番組を決めるとなると俄かに浮き足立つのである。

師匠からは一曲は『未練酒』にと指示が。この唄は、先日の八王子・芝ゆき会でも唄ったので、まずは順当というところ。もう一曲はどうするか、師匠には『言わなきゃよかった』をリクエスト

”言わなきゃよかった一言を 悔やみきれないあの夜の 酔ったはずみの行き違い ごめんなさいが言えなくて 一人で聞いてる雨の音”

この曲も先代・松峰照家元作曲による松峰派オリジナル曲である。主人公は女。であるから、師匠も女性に唄わせてきたとのこと。ところが、我が街八王子では、小唄の泰斗ハーさんこと橋本さんのお気に入りとして有名。ハーさんの唄を聞いた、師匠(二代目松峰照家元)が「男性が唄うのもいいわね」と、以降男が唄う機会も増えている。

この唄も、他の松峰派の曲と同じく昭和の作品であるからして、女性が強いのである。よくある痴話喧嘩だったのだろう。ところが、酒が過ぎたのか言い争いになり、女も「ここは自分が引くべきか」とは思いつつも、意地を通して、喧嘩別れ。女は反省しつつ、雨音を聞きながら酒を飲むのである。このシチュエーション、世が世なら男の専売であろう。それが、昭和になると女の絵としてしっくりくるのである。

お伊勢参り

『伽羅の香』の話がでたので、同じく初心者が初めに習う代表曲として『お伊勢参り』について。

”お伊勢参りに 石部の茶屋であったとさ 可愛い長右衛門さんで 岩田帯を締めたとさ エサッサノ エサッサノ エサッサノサ”

歌舞伎の『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』を題材にした小唄である。登場人物は、信濃屋お半、14歳。長右衛門、38歳。お伊勢参りの道すがら、石部で出会った二人は一夜をともにするが、あろうことはお半は身籠もってしまう。それは、「岩田帯」から明らかである。お半は許嫁があったこともあり、二人は桂川で入水自殺に至るのであるが、それを1分少々の唄にまとめたのが小唄『お伊勢参り』である。この芝居を題材にした唄は他にもあり、それによればお半はまだ振袖で、二人は岩田帯で互いを繋ぎ入水したことが描かれている。

小唄に限らず、日本文学、日本の歌謡は引用の芸術であると思う。和歌や俳句は短い文字数で情景を伝えなければならない。例えば、まくらことばは、出てきたら読む人が共通にある情景が浮かばなければならない「キーワード」である。この場合も、「お伊勢参り」と出たら芝居の「お半長右衛門」が頭に浮かばなければ、この小唄は成立しないのである。

この唄の題材になっている「お半長次郎」は心中に至る悲恋の物語であるが、それを軽快な節と、後半のエサッサ・・・で煙に巻いている。ゆえに、「お伊勢参り」で「お半長次郎」が浮かばなければ、只の調子の良い唄になってしまうし、そう唄ってしまう。そこが、小唄の難しいところだと思う。