伽羅の香

去る、10月27日 八王子文化連盟が開催している「八王子文化祭」の一環として開催された「香の会」に参加しました。今回は、「三種香」という香を聞き分けるゲームでした。三種の香を3包ずつ用意し、それらの中からランダムに3包選択。それらを1包ずつ聞いてそれぞれが同じものか、違うものかを当て、その結果を香図というもので表現しますが、その香図それぞれに源氏物語に因んだ名前が付けられているのが、いかにも香道らしいと思いました。

香道と茶道は関連性が強く、ある意味では香道は茶道の母のように思うのですが、そのことは後日に譲るとして、今日は小唄。

有名な小唄に『伽羅の香』という曲があります。あまりに有名なので、小唄を始めて最初に教えるお師匠さんも少なくないと思います。私もそうでした。

“伽羅の香とあの君様は いく夜泊めても わしゃ泊めあかぬ 寝ても覚めても忘られぬ“

男が女の元に通う通婚の時代でしょうか。夜毎現れる君様は、伽羅をたき込んでいたらしい。重要なのは、想いは「香」ということ。寝ても覚めても忘れられないくらい、「香」は心に残るのでしょう。香で想いを伝える。日本ならではではないでしょうか。

松峰小唄 「雪あかり」

「最果ての 今宵別れていつ会えるやら 尽きぬ名残を一夜妻 帯も十勝にこのまま根室 灯をを消して 足袋脱ぐ人に 雪明かり」

歌人・石川啄木が最果ての釧路の停車場に降り立ったのは、明治41年(1908)1月21日。この時の心情を読んだ歌に「さいはての 駅に降り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りけり」がある。北海道新聞社の前身である釧路新聞社の記者として釧路に入った啄木は、この地に76日間滞在した。

その間、三人の女性と激しい恋に落ちたと言われる。この小唄は、その啄木が釧路を立つ4月5日の前夜の情景なのかもしれない。激しい恋をした啄木も、今宵ばかりはしっとりと最後の夜を過ごしたのだろう。「帯も十勝」は「帯も解かじ」である。帯も解かずに、このまま根室(眠ろう)。静かさ故に激しい恋の炎を感じさせる。小田将人作詞、松峰照作曲(昭和45年)小唄松峰派、代表曲の一つである。

江戸小唄では、一般に古曲を扱う。明治から大正にかけて作られた唄が多く、その時代を唄った楽曲もあるが、江戸時代の庶民の心情を唄ったものが大半である。確かに、江戸情緒に浸るのも悪くない。しかし、唄に容易く共感を覚えることはできない。松峰小唄は、まさに現代の唄であり、我々、特に昭和世代には胸に刺さる楽曲も多い。この「雪あかり」は三味線もドラマチックであり、新曲を得意とする松峰派ならではの名曲だと思う。

もう少しすると、この曲にぴったりの陽気になりますなあ。

小唄を一言で説明

小唄にかかわってかれこれ四半世紀。これだけどっぷり浸かっていると、客観的に小唄を眺めることが難しくなってくる。初対面の、それも小唄を知らない人に、どうしたら小唄を伝えられるか。常に課題である。

「幕末に江戸で清元お葉が・・・」などど発生した経緯を話でも伝わらないだろう。「三味線で唄う、短い歌」これも甚だ疑問である。今日思いついたのは、「お座敷で芸者の三味線で旦那衆が唄う歌」。これは今までに一番伝わったような気がする。この説明をすると、相手は即座に「八王子には芸者がいるんですか?」とか「粋なんでしょうね」という反応がある。第一歩を踏み出したような気がする。

かつては、旦那のものであったかもしれないが、今は小唄人口の大半が女性であろう。そうなると「旦那衆が座敷で・・・」というのは事実に反すると言わざるを得ない。女性の小唄愛好家は眉を顰めるかもしれない。しかし、これが一番的を得ているような気もするのである。ある意味、ステレオティピカルな表現かもしれない。現実から乖離しているかもしれない。しかし、この説明がなんとなく小唄に対して持たれているイメージに近いのだろう。

実際に聴いてもらうのが一番であることは言うまでもない。しかし、いま小唄を気軽に聴こうとおもったら、各派、あるいは連盟の演奏会ということになる。こういう会は、短時間に何曲も小唄を聴くことができる。しかし、魅力は伝わらないだろう。

やはり、小唄が輝く場所は花柳界なのだと思う。