リアル猩々😊

今年になって、獨楽庵に来庵されるお客様が手土産にお酒をお持ちくださることが多くなりました。懐石にお酒はつきものですので、とても嬉しい陣中見舞いです。お陰様で、獨楽庵は酒が尽きることがありません。酒が尽きぬといえば、能「猩々」

『よも尽きじ。万代までの竹の葉の酒。汲めども尽きず飲めども変はらぬ。秋の夜の盃。影も傾く入江に枯れ立つ。足もとはよろよろと。弱り臥したる枕の夢の。覚むると思へば泉は其まま。尽きせぬ宿こそめでたけれ』

親孝行で有名な男、高風があるひ「揚子の市で酒を売れば家は栄える」という夢を見た。高風が揚子で酒を売るようになると店は大いに繁盛し、富を得ることができた。その高風の店に毎日やって来て酒を飲んでも顔色が変わらない男がいるので名前を尋ねると「猩々」と名乗り消えていった。そこで高風は月の美しい夜にしん陽の川のほとりに酒の壺を置いて猩々が現れるの待つと、やがて猩々が現れ友との再会を大いに喜び、酒を酌み交わす。猩々は高風の素直な心を誉めて、汲んでも酒が尽きない壺を与え消えていきます。

獨楽庵はまさに、「尽きせぬ宿」となっております。皆様に感謝。そして、「めでたけれ」。

獨楽庵亭主は、令和7年11月24日、銀座・観世能楽堂で開催されます松響会東京大会にて能・猩々のシテを勤めます。入場無料です。銀座にお越しのおりには、是非お立ち寄りくださいませ。

小謡

小唄の泰斗ハーさんは、「小唄は短いからいい」と常々語っていた。宴会の席、料理も酒も平らげ、芸者の座敷も堪能したあと、「さて、旦那衆も何か」という場面では、長いは禁物である。小唄なら2、3分、都々逸なら2曲やっても2分程度。これなら、どんなに下手でも同席のものは堪えられる。これが、長唄など段物の一部となると10分では済まされないだろう。折角盛り上がった宴席も、しらばむことだろう。

そこで小謡である。謡は真面目にやったら1時間近くかかる。しかも、馴染みのないものには何を歌っているか見当つかない。これを座敷でやったら、二度とお誘いの声が掛からなくなるかもしれない。とさえ思う。

だからこその、「小謡」である。「小謡」とは謡楽の一部、有名な一節を取り出したものである。例えば「高砂」なら、「千秋楽には民を撫で 萬歳楽には命を延ぶ 相生の松風颯々乃聲ぞ楽しむ 颯々の聲ぞぞ楽しむ」 舞台では、附祝言として披露されることが多いが、これなら1分と掛からない。三味線も必要なし。それでいて、格調高い。締めにはもってこいではないだろうか。

そういう場面で小謡をしていいものだろうかという疑問は残るが、宴席で小謡しりとりをして負けたら罰杯という遊びがあったと耳にした記憶があるので、きっと大丈夫なのだろう。
これからは、「小謡」のレバートリーも広げていきたいと思う。

仕舞「鶴亀」

唐津で開催された茶道宗徧流義士茶会、終了後の懇親会の冒頭で仕舞「鶴亀」を披露しました。あるとき、会議で集まった3人がともに観世流を習っていることから、懇親会のサプライズで仕舞を披露しようということになりました。しかし、3人で共通する曲がないことから、観世流では最初に習う「鶴亀」をということになりました。

最初に習うと言っても、それは謡のことで、仕舞を習っているとは限りません。そこで、姉妹としては習っていないものの、能のシテを勤めたことがある私がシテとして舞うことになりました。ほぼほぼ同じといえば、そうなのですが、仕舞は舞扇を持つのに対して、能では軍配です。また、仕舞は紋付袴であるのに対して、能では能衣裳をつけます。鶴亀のシテは、皇帝で狩衣です。ですから、同じ部分を舞っていても、紋付と狩衣では型付けが異なります。まあ、そのあたりは、自主練でなんとか補いました。

で、本番ですが、まず舞台が仕舞を舞うには奥行きがないことに気づきました。まあ、これは歩幅を縮めるなどし対処するしかありません。地謡の2名(お茶では大先輩)とはぶっつけ本番でした。途中、ヤバいところもありましたが、なんとか無事に最後まで舞うことができました。失敗もありましたが、日頃から能に親しんでいる人にしか気づかれなかったと思います。これは、お茶の点前でも同じですね(笑)

「鶴亀」は皇帝(玄宗皇帝と言われている)の長寿を寿ぐひたすら目出度い曲ですが、ご宗家ご臨席の懇親会で、御宗家の弥栄と流儀の繁栄を願って、仕舞を舞えたことは宗徧流門人として忘れられない日になりました。