能楽あるある

能楽に親しみのない方が、驚くことの一つは「舞台に幕がない」ということだと思う。確かに、橋掛の入り口に幕はある。しかし、初めて能楽堂に足を運ぶ人は、舞台に幕がないことにまず驚くことと思う。

能が舞われる時は、橋掛の幕が上がり囃子方が橋掛を通って舞台に向かう。同時に舞台向かって右手の切戸口があいて地謡が登場する。全員が揃ったところで、唐突に笛の一声で全てが始まる。

昨年、ロータリークラブの先輩の在籍50周年祝賀会があり、不詳私も同じ社中の後輩と組んで、仕舞を勤めた。何の前振りもなく、まずは舞台下手から黒紋付袴の私が登場して舞台定座に着席。続いて同じく黒紋付袴の後輩が舞台中央に座り。扇を捌いたら、いきなり私が謡をはじめ。後輩が立ち上がって仕舞を舞うという流れ。

その間、観衆はあっけにとられていたはずである。全てが唐突。仕舞がすんだら、締めの言葉もなくさっさと下手に下がる。あっけにとられていた証拠に、拍手がないし写真も数枚しかない。しばらくして、我々が舞台裏から客席に戻ったところで拍手喝采。

確かに、能に縁がないとこの演出には唖然とするしかないだろう(笑)

B級能鑑賞法的「忠度」

能「忠度」は、世阿弥作の典型的な複式無限能である。前シテは忠度の亡霊が姿を変えた尉(おじいさん)とかつては藤原俊成に仕え今は僧侶となっている人物(ワキ)との邂逅。後シテは、もちろん忠度の亡霊である。

この藤原俊成に仕えた人は今は僧侶になっている(僧侶がワキなのは、ある種の定型)。とある理由(今回は、西国を見たことがないので)により旅に出る。須磨の浜に早くに着いたので休息をとっている。(名所で休憩を取るのも定型)。そうこうしていると、橋掛から怪しい人が現れる。今回は、尉(おじいさん)である。尉と僧侶は言葉を交わし、僧侶は「暮れてきたので宿を貸して欲しい」と切り出す。すると、尉は「この木の下ほど相応しい宿はないだろう」と突っぱねる。そしてボソッと「行き暮れて木の下陰を宿とせば 花や今宵の主人なるまし」と呟く。それこそ、主人公「忠度」の辞世の歌なのである。ここで、尉と忠度の関係を匂わせながら、尉はスーッと消えていく。ここまでは前シテ。

後半(後シテ)は忠度の霊そのものが登場し、自分が討たれる場面を説明しつつ自分が読んだ歌が勅撰集に選ばれたのだが「読人知らず」とされたこと妄執となって成仏できないことを説明する。ワキ(僧侶)は回向を捧げ、修羅の時間となった忠度の霊は去っていく。

忠度の辞世の歌と言われている「行き暮れて木の下陰を宿とせば 花や今宵の主人なるまし」。この歌がこの能のテーマなのである。宿を求めたワキ(僧侶)に、前シテ(尉に姿を変えた忠度の亡霊)は、この木の下で休めという。ワキは「どなたを主とすればいいのですか」と尋ねる。そこで尉は「行き暮れて・・・」の歌を読むのである。で、僧は「その歌は、薩摩守(忠度)!」では、あなたは?と。ここで、“もったいぶって“、尉は消えて行くのである。

そして後シテ。自分の身の上を説明しきった忠度の霊は、僧侶(ワキ)に供養を頼んで消えていくのである。

忠度

能で最も好きな曲は何か?と問われると、難しい。しかし、最も好きなキャラクター(シテ)は誰かと問われれば、平忠度と即答できる。

薩摩守平忠度は、平忠盛の六男にして、平清盛の異母弟である。母は藤原為忠の娘。藤原為忠は、歌人として有名で新古今和歌集などにも入集している。その血を引いた平忠度も歌に優れまさに文武両道を極めた武将である。千載集には「漣や志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」が撰ばれたが、「朝敵」とされたことから「読み人知らず」として掲載されている。これが、「忠度」の妄執となるわけであり、それを題材に、「忠度」と「俊成忠度」という二曲が書かれている。

平忠度は、一ノ谷の戦いで、源氏方の武将・岡部六太忠澄に討たれるのであるが、その最後があまりに印象的。忠度は、右腕を切り落とされながらも、左腕で相手を投げ倒しなおも戦おうとしますが、哀れ討たれてしまいます。その忠度の甲冑の箙に結び付けられていた一首「行き暮れて木の下かげを宿とせば 花や今宵の主なるまし」が、能のテーマとなっている。

自らの歌が撰ばれながらも朝敵なるが故に「読み人知らず」して載せられたことが妄執となり成仏できない。歌人として名を残そうとする”文”の忠度。合戦において、退散しようとするなか名乗りをあげられて戦に戻る。武士としての名を重んじる”武”の忠度。最後は、右腕を切り落とされながらも果敢に戦おうとする”武”。まさに、文武両道の極み。

源平合戦。判官贔屓といわれようと、滅びる平家には美しい武将が少なくない。