白蔵主

去る9月15日に江戸川区立行船公園内の源心庵にて開催された『夕月の会』で薄茶席を受け持った。これは、十五夜に近い日曜日に、月見の風情で野点を楽しもうという趣向の茶会で、その添え釜として池の辺りの月見台を持つ茶室で薄茶席を担当した訳である。江戸川区という完全アウェーの席であったが、多くの獨楽庵友の会の方々に来場頂き、ホームの気分で席主を勤めさせて頂いた。この場をおかりして御礼申し上げます。

その席で用いた香合は、鎌倉彫の『白蔵主』。和泉の国(大阪府南部)の少林寺塔頭耕雲庵には白蔵主と呼ばれる僧侶がいて、稲荷大明神を信仰していたという。ある時、足を失った3本足の白狐をみつけ寺に連れ帰って保護した。この白狐には霊力があり白蔵主をおおいに助けたという。白蔵主には狩猟好きな甥がいたが、白狐は白蔵主に化けて甥に殺生を禁めるのであるが、正体を見破られ罠にかけられるがなんとか逃げることに成功したという。この故事が題材となって狂言「釣狐」が書かれたのは有名である。

その白蔵主に化けた狐が題材のこの香合。どこから見てもたぬきにしか見えない。席中お客様に「何に見えますか」と尋ねたところ、ほぼ100%たぬきとのお答え。まあ、いいでしょう。月には狸なのだから。

茶会(茶事)の魅力

先日、靖国神社で行われた宗徧流家元献茶式にて、家元と一献席で話す機会に恵まれた。話はいつしか、茶事の本質に。

一献席で振る舞われた菜と酒でいい調子になり、その時の話を完璧に覚えているわけではないが、要は「茶事の魅力は道具にあらず」。資料を読み解くと、利休?はおほ同じ道具立てで茶事を催している。それでも客が競って集うのは、茶会(茶事)の魅力が道具ではないことの証左だろう。

では何が魅力で人は利休の茶会に集うのであろうか。結論を言えば、それは利休という人物に他ならないはずである。皆、利休に会いにいくのである。もう少し正確に言えば、茶会(茶事)というフォーマットのなかで利休とコミュニケーションを図るために集まるのである。

常々後進には、「侘び茶とは、道具に頼らない茶」と話しているが、亭主の人としての魅力までは考えが及ばなかった。人としての魅力を高める。まだまだ、修行は続く。

江戸川区行船公園・源心庵

朝イチで、江戸川区西葛西にある「行船公園(ぎょうせんこうえん)」を訪ねた。行船公園は、昭和8年に地元の名市・田中源氏が公園用地として東京市に寄付。その後昭和25年に江戸川区に委譲されたのを機に公園として整備されたとある。「行船」は、田中源氏の屋号とのこと。小規模ながら動物園もあり、連日親子連れで賑わっている。

その一角に「玉池」と呼ばれる池があり、その辺りに「源心庵」と呼ばれる数寄屋がある。来たる9月15日(日)には、この池のほとりで『夕月の会』という野点の茶会が催され、その添え釜として、源心庵・月の間で薄茶席を担当することになっているので、挨拶を兼ねて下見に来たわけである。

源心庵・月の間で席を持つのは今年で3回目。この席は、池に向かって広いガラス戸があるので、池をうまくつかいたいとは思う。問題なのは、床がないこと。炉も切っていないので、茶室というよりは十畳敷きの座敷である。だから、毎回床をどうするか悩みどころである。工夫して諸飾りにするか、軸だけにするか。花はどうするか。

最低限、楽しい席にしたいと思う。

公園内にある石灯篭。慶安5年(1652)、陸奥磐城城主・内藤帯刀中忠興が江戸幕府三代将軍徳川家光公へ献上したとある。