大雪

多摩での大雪、前回はというと2013年1月の雪ということになると思う。この日は、茶道宗徧流家元の初釜最終日。濃茶席のお手伝いをしながら、段々と降り積もる雪を眺めて「雪の初釜っていいですね」と呑気なことを言っていられたのも午前のうち。午後になると、鎌倉駅からのバスも運休。一本道は大渋滞。タクシーも見つからず駅から歩いて来庵されたお客様も。何とかたどり着けた数名のお客様と、炉を丸く囲んでの濃茶。野趣溢れる・・・と言えば聞こえはいいのですが。

全席終了して後片付けを済ませ、引き上げる頃には雪は止み道路も何とか走れる状態に。お手伝いの先生方を鎌倉駅までピストン輸送し、杉並の先生を乗せて鎌倉を出発。この時、タイヤはなんと夏用!雪の予報があったため一旦帰宅して、スタッドレスを履いた車で出直すつもりが、子供のイベントとかでスタッドレスは家内に譲り、夏用タイヤで鎌倉に。最悪、どこかでホテルを探せばいいやと軽く考えていたところが、先生を送ることになり、ナビや記憶を駆使してできるだけ坂の緩い道を。一旦止まってしまうと、動けなる恐れもあるので、休憩もせずに運転を続ける。新雪であったことが幸いして、何とか無事先生を送り届け深夜に帰宅。

今思い返しても「奇跡」の生還。こういうリスクは、二度と侵したくないもの。

茶道宗徧流初釜

今週は、茶道宗徧流御宗家の初釜です。数年前から、広間に大勢のお客様をお招きするのではなく小間で限られたお客様と濃密な時間を共有する形式に変わりました。宗家が小間で初釜をなさるのが茶道界広しと言え宗徧流だけなのではないでしょうか。

私は19日(金)にお呼ばれです。その前に、半東を勤めなければなりませんが。鎌倉の人気店「北じま」の点心を頂いて、不審庵でお家元の練られた濃茶を頂きます。今年も実り多い年でありますように。

11年前の関東地方は、大雪でした。決死の覚悟で帰宅したことを思い出しました。大雪に遭遇してらっしゃる能登地震被災者の皆様に改めて心よりお見舞い申し上げます。

茶道宗徧流義士茶会

茶道宗徧流の流祖・山田宗徧は元禄14年の赤穂事件(いわゆる赤穂浪士討ち入り)に深く関わっていました。そして、吉良家、浅野家双方に茶友、弟子がおりました。その人々が斬り合う事件に遭遇した山田宗徧の心を偲び、また両家で命を落とした人々を霊をともらうため、宗徧流ではこの時期に全国で「義士茶会」を開催しています。

最も大きな「義士茶会」が宗徧流門人会が開催するもので、今年は「どうする家康」にちなんだ訳ではありませんが、静岡市の名亭「浮月楼」に400余名を集めて開催されました。茶道宗徧流十一世家元、幽々斎宗匠が勤められた濃茶席。スターは、先代四方斎宗匠が、父君、八世家元・宗有宗匠をイメージして考案された「天球棚」とそれに寄り添う「天球風炉釜」。トルコを愛し、日土友好に貢献された宗有宗匠。天球棚はモスクをイメージさせます。

写真は、先に終了した青山ワタリウム美術館「山田寅次郎展」に展示された「天球棚」。展示会期間中には、この棚に寄り添う「天球風炉釜」の行方は不明でしたが、その後新潟の門人が所持していることが分かり、静岡で出会うことになりました。

席中では、幽々斎宗匠が赤穂事件に関わる山田宗徧と、それが故の宗徧の苦難をお話されました。赤穂事件の当日は、吉良邸で茶会が開かれていました。正客は、山田宗徧からすれば主君の小笠原長重公。これだけでも、宗徧にとっては大事件です。この時期、どうしても「忠臣蔵」が話題に上り、赤穂浪士=忠義、吉良義央公=悪 という図式になりがちですが、双方に思いを馳せ、霊をともらうことが山田宗徧の意思であり、現代の宗徧流門人だと思うのです。