茶道宗徧流全国審心会総会II

去る、9月29日愛知県岡崎市にて茶道宗徧流全国審心会(他流では青年部に相当)が、お家元ご列席のもと盛大に開催されたことは、すでに書いたとおり。懇親会に余興にて、小唄を一曲なんちゃって弾き語りしたことも前回書いたとおり。

実は懇親会の余興はそれに留まらず、さらなる大役が待っていたのである。この総会を企画・運営したのは中京地区・審心会の役員の皆さん。年齢が近いというと思うが、相談役に祭り上げられあれこれと相談にのっているうちに、会長さんから次々とMISSIONが。一つが小唄。もう一つは、なんと「マツケンのええじゃないかII」を舞台で踊れというほぼIMPOSSIBLE MISSION。夏頃に会長さんから練習用YouTubeのリンクが送られてきて、「お稽古しておいてください」とのこと。リンク先のYouTubeを開くと、かの「マツケンサンバ」の振付師として名高い真島茂樹さん自らダンスを解説しているではないか。時を同じくして、真島さんが本年5月に亡くなっていたことも知った。

「人使いが荒いなあ・・・」と思いつつも乗り掛かった船なので、真面目に稽古に励んだ。おかげで、本番ではなんとかメンツを保つこと(☜何のメンツじゃ)ができたが、このダンスなかなハードで2回と繰り返すことができない。愛知県豊橋市では、この「ええじゃないかII」を盆踊りで市民が踊るらしいが、「豊橋恐るべし」と心底思った。

これを舞台上で、紋付袴で踊ったのだから、会場はさぞかし盛り上がったことだろう。
ええじゃないか。

白蔵主

去る9月15日に江戸川区立行船公園内の源心庵にて開催された『夕月の会』で薄茶席を受け持った。これは、十五夜に近い日曜日に、月見の風情で野点を楽しもうという趣向の茶会で、その添え釜として池の辺りの月見台を持つ茶室で薄茶席を担当した訳である。江戸川区という完全アウェーの席であったが、多くの獨楽庵友の会の方々に来場頂き、ホームの気分で席主を勤めさせて頂いた。この場をおかりして御礼申し上げます。

その席で用いた香合は、鎌倉彫の『白蔵主』。和泉の国(大阪府南部)の少林寺塔頭耕雲庵には白蔵主と呼ばれる僧侶がいて、稲荷大明神を信仰していたという。ある時、足を失った3本足の白狐をみつけ寺に連れ帰って保護した。この白狐には霊力があり白蔵主をおおいに助けたという。白蔵主には狩猟好きな甥がいたが、白狐は白蔵主に化けて甥に殺生を禁めるのであるが、正体を見破られ罠にかけられるがなんとか逃げることに成功したという。この故事が題材となって狂言「釣狐」が書かれたのは有名である。

その白蔵主に化けた狐が題材のこの香合。どこから見てもたぬきにしか見えない。席中お客様に「何に見えますか」と尋ねたところ、ほぼ100%たぬきとのお答え。まあ、いいでしょう。月には狸なのだから。

茶会(茶事)の魅力

先日、靖国神社で行われた宗徧流家元献茶式にて、家元と一献席で話す機会に恵まれた。話はいつしか、茶事の本質に。

一献席で振る舞われた菜と酒でいい調子になり、その時の話を完璧に覚えているわけではないが、要は「茶事の魅力は道具にあらず」。資料を読み解くと、利休?はおほ同じ道具立てで茶事を催している。それでも客が競って集うのは、茶会(茶事)の魅力が道具ではないことの証左だろう。

では何が魅力で人は利休の茶会に集うのであろうか。結論を言えば、それは利休という人物に他ならないはずである。皆、利休に会いにいくのである。もう少し正確に言えば、茶会(茶事)というフォーマットのなかで利休とコミュニケーションを図るために集まるのである。

常々後進には、「侘び茶とは、道具に頼らない茶」と話しているが、亭主の人としての魅力までは考えが及ばなかった。人としての魅力を高める。まだまだ、修行は続く。