茶道家あるある

茶道を習い始めたばかりの頃、ようやく風炉の点前に慣れたと思ったら、無常にも季節は炉になり一から出直し。この繰り返しを数年繰り返してようやく点前を俯瞰できるようになる。茶道家の誰しもが通った道だと思います。

四半世紀も稽古を続けて、今更初心者を名乗る訳にもいかないのですが、やはり切り替わった直後は戸惑いがあります。そのような時に心強いのが山田宗徧翁が300年以上前に刊行した『茶道便蒙抄』。最古の茶道テキストと言われています。

そこに収録されている「置合せ図」。我々が戸惑うのはまさに「置合わせの位置」。茶道宗徧流の祖は300年以上も前にそこに気付き先回りしてくれていました。お陰で我々宗徧流門人は流祖山田宗徧の点前に倣う事ができ、それを通して流祖の心を探る事ができるのです。

テーマ画像は『茶道便蒙抄』に収録されている三畳半座敷の置き合せ図。改めて確認しました処、燭台の扱いを間違っていました。反省。

南禅寺開山忌

11月12日(日)京都・南禅寺で開山忌法要に参列してきました。南禅寺開山大明國師様の年忌法要です。宗徧流は、お家元が南禅寺で得度されるなど南禅寺様と深い繋がりがあります。4月には、流祖山田宗徧の年忌法要を南禅寺様で営んで頂いています。私の家は代々臨済宗南禅寺派に帰依していますので、開山忌と宗徧流全国流祖忌は特別な思いで臨んでいます。

日本に茶を持ち帰ったのが、栄西禅師であったということから禅林と茶の湯の関係は運命付けられていたのかもしれません。宗徧流では、稽古を始める前に全員で「喫茶呪文」を唱えます。「若 飲 茶 時 当 願 衆 生 供 養 諸 仏 掃 除 睡 眠(もし茶を飲む時は まさに衆生とともに 諸仏に供養し 睡眠を掃除せんことを願うべし)」。善の影響が色濃く出ている呪文です。

茶道の流儀は多かれ少なかれ禅林と関係を保っています。多くは、京都・大徳寺でしょう。鹿倉時代末期、守護赤松氏によって建立された大徳寺は、戦国大名の庇護を受け、同時に彼らが嗜んでいた茶の湯とも関係を深めていきます。江戸時代には、大徳寺ー禁中ー侘び茶人といったある種のサークルが出来上がります。

これに対して南禅寺は、亀山法王が開基であったことから権威のある寺として位置付けられ、京都五山では、「五山の上」と別格として扱われてきました。江戸時代には、塔頭・金地院に住した以心崇伝が徳川幕府に重用され「黒衣の宰相」とも称され、崇伝の弟子は代々僧録として全国の禅寺院、禅僧を取り仕切る立場にありました。

崇伝が発した「禁中公家諸法度」がきっかけとなり紫衣事件が起きますが、この事件につきましては後日改めて。

茶筅

茶の湯では、抹茶を茶筅という道具(和製泡立て器か?)を使って、茶碗の中で泡だてながら撹拌します。茶の湯というと誰しもが頭に浮かぶ、ある意味象徴的な所作です。

小学生に茶の湯を体験してもらうという授業を担当しています。やはり、茶筅を使って「シャカシャカ」するのがイメージの中心なので外す事はできません。クラス全員分の茶碗と、三人に一つくらいの茶筅を用意し、茶碗に抹茶を入れ、お湯を注ぎ、自分で「シャカシャカ」してもらいます。

そうすると、何も説明せずとも泡立つ子が1/3、ちょっとコツを教えると泡立てることができた子が1/3。どうしても泡立たない子が1/3。なんとか、泡立てさせてあげたいと思うのですが、うまく説明することができません。「手首を動かさずに、指先だけで軽く振る・・・」とか、思いつくままに説明してみるのですが、うまくいきません。

皆さんは、そんか経験ありませんか?