江戸川区行船公園・源心庵

朝イチで、江戸川区西葛西にある「行船公園(ぎょうせんこうえん)」を訪ねた。行船公園は、昭和8年に地元の名市・田中源氏が公園用地として東京市に寄付。その後昭和25年に江戸川区に委譲されたのを機に公園として整備されたとある。「行船」は、田中源氏の屋号とのこと。小規模ながら動物園もあり、連日親子連れで賑わっている。

その一角に「玉池」と呼ばれる池があり、その辺りに「源心庵」と呼ばれる数寄屋がある。来たる9月15日(日)には、この池のほとりで『夕月の会』という野点の茶会が催され、その添え釜として、源心庵・月の間で薄茶席を担当することになっているので、挨拶を兼ねて下見に来たわけである。

源心庵・月の間で席を持つのは今年で3回目。この席は、池に向かって広いガラス戸があるので、池をうまくつかいたいとは思う。問題なのは、床がないこと。炉も切っていないので、茶室というよりは十畳敷きの座敷である。だから、毎回床をどうするか悩みどころである。工夫して諸飾りにするか、軸だけにするか。花はどうするか。

最低限、楽しい席にしたいと思う。

公園内にある石灯篭。慶安5年(1652)、陸奥磐城城主・内藤帯刀中忠興が江戸幕府三代将軍徳川家光公へ献上したとある。

靖国神社

靖国神社に参拝しました。桜の時期の靖国神社、能楽好きには「夜桜能」がすぐに頭に浮かびます。桜と言えば、東京の開花宣言も靖国神社のソメイヨシノが基準になっていうと聞きました。

夏の靖国神社もいいですね。夏の青空に白い雲。東京も捨てたもんではないと思いました。今週土曜日、茶道宗徧流は靖国神社で家元献茶式を執り行います。暑さだけが心配です。

九段下駅から靖国神社は上り坂になっている。だから九段下からお参りすると神社を仰ぎ見ながら鳥居をくぐることになる。事前、夏の青空と青空に浮かぶ白い雲を仰ぎ見ることになる。雲は坂の上にあるのがいい。司馬遼太郎の名著『坂の上の雲』ではないが、坂道の先にある白雲には心を洗われる。加えてここは靖国神社なのである。

仕舞と点前

茶道はかれこれ25年、能(仕舞)は6年ほど稽古している。といっても、能は入門していらい舞台でのシテを課題に稽古してきたという変り種なので、本格的な仕舞の稽古は限られている。『橋弁慶』はほぼほぼチャンバラであるが、『鶴亀』では、かの素人泣かせの「楽」があるし、後半は舞もある。現在は、来年の舞台に向けて『猩々』のシテを稽古中である。『猩々』には中之舞がある。

ということで、入門して以来、初めて仕舞を稽古している訳であるが、そんな身でも薄々感じることがある(☜今頃気がついたのか!という声も聞こえるが) 仕舞は「形」の組み合わせなのだということ。実際に、いくつの「形」があるのかは知る由もないが、ともかく仕舞は「形」の組み合わせでできている。もちろん、曲ごとに特殊な「形」や変形はあるが。

そう思うと、お茶の点前も「形」の組み合わせで説明ができるのではないかという気がしてきた。確かに、宗徧流のお家元は常々、点前上達のコツは「割稽古」と仰っている。割稽古とは点前中の動きを取り出して徹底的に体に染み込ませる稽古方法である。これを突き詰めていけは、点前は「形」の組み合わせとして説明できるのではないかと思った次第。

例えば、薄茶点前はこのように表現できよう
①「一服差し上げます」の挨拶
② 両器の持ち方
③ 点前畳への進み方(歩き方+点前畳への入り方)
④ 両器の置き合わせ(座り方)
⑤ 立ち上がり、客付き回り(立ち方+客付き回り)
⑥ 水屋への進み方 (歩き方+水屋への入り方)
⑦ 建水、柄杓、蓋置の持ち方 云々・・・

遅まきながら、「形」を通じた仕舞と点前の共通点の考察でした。