山田宗徧忌

3月17日(日)東京音羽・大本山護国寺にて茶道宗徧流関東地区主催、山田宗徧追善法要および茶会が催されました。

護国寺の大本堂は江戸元禄期の創建。同じ頃、山田宗徧は小笠原家の茶頭を辞し家督を娘婿の二世宗引に譲り一人江戸に下りました。江戸随一と称えられた護国寺大本堂を宗徧も参拝に行ったことでしょう。当日、本堂には百名を超える門人が入堂し立ち見も出る程。御導師、山内式衆の読経のもと流祖・山田宗徧の遺徳を偲びました。

いつもは満開で我々を迎えてくれる本堂脇の早咲きの桜は、すでに散りはじめていました。寒い日が続いているとはいえ、春はもうすぐそこまで来ているようです。

江戸に移った山田宗徧は、数年後「赤穂浪士事件」という世紀の一大事に遭遇することになります。吉良家、赤穂浪士双方に弟子・茶友をもつ宗徧にとって「赤穂浪士事件」どのように映ったか。想像に難くありません。その宗徧の心を思い、吉良家・浅野家の霊をともらうため宗徧流では毎年12月「義士茶会」を開催しています。一昨年は、ここ護国寺で開催。昨年は山田宗徧が晩年の一時期を過ごした静岡で。今年は、小笠原家ゆかりの九州・唐津です。

珠光茶会

3月11日、春の到来を予感させる陽気のなか、南都・奈良を尋ねました。目的地は薬師寺。3月6日からの1週間、奈良の大寺院を舞台に『珠光茶会』が開催されています。

茶道宗徧流は、京都支部が11日に薬師寺で濃茶席をもちました。西ノ京駅を降りて山内に入ると紅白の梅がアーチをつくり出迎えてくれました。獨楽庵は白梅は満開ですが、紅梅はまだまだです。濃茶席のお床は、江戸前期の茶人、土岐二三の「鶯」。そろそろ初音が聞こえる時期ですね。

「梅一輪 一輪づつに鶯のうたい初め候 春の景色もととのうままに 実は逢いたくなったのさ」(平山芦江作詞 春日とよ作曲)

なんとも、小唄らしい小唄。梅が一輪開くごとに春が近づく様を風流に唄っていたかと思えば、最後はストレートに「逢いたい」というオチ。

大雪

多摩での大雪、前回はというと2013年1月の雪ということになると思う。この日は、茶道宗徧流家元の初釜最終日。濃茶席のお手伝いをしながら、段々と降り積もる雪を眺めて「雪の初釜っていいですね」と呑気なことを言っていられたのも午前のうち。午後になると、鎌倉駅からのバスも運休。一本道は大渋滞。タクシーも見つからず駅から歩いて来庵されたお客様も。何とかたどり着けた数名のお客様と、炉を丸く囲んでの濃茶。野趣溢れる・・・と言えば聞こえはいいのですが。

全席終了して後片付けを済ませ、引き上げる頃には雪は止み道路も何とか走れる状態に。お手伝いの先生方を鎌倉駅までピストン輸送し、杉並の先生を乗せて鎌倉を出発。この時、タイヤはなんと夏用!雪の予報があったため一旦帰宅して、スタッドレスを履いた車で出直すつもりが、子供のイベントとかでスタッドレスは家内に譲り、夏用タイヤで鎌倉に。最悪、どこかでホテルを探せばいいやと軽く考えていたところが、先生を送ることになり、ナビや記憶を駆使してできるだけ坂の緩い道を。一旦止まってしまうと、動けなる恐れもあるので、休憩もせずに運転を続ける。新雪であったことが幸いして、何とか無事先生を送り届け深夜に帰宅。

今思い返しても「奇跡」の生還。こういうリスクは、二度と侵したくないもの。