茶道界

コロナ禍を経て、茶道界も少々様変わりしたように思います。各地で大寄せの茶会が復活し、大勢のお茶人で賑わう光景を頻繁に眼にするようになりました。しかし、実態はすこし変化しているようです。

コロナ禍前は普通に思っていた、例えば三畳に十名が詰め込まれるような茶会。当時は違和感を感じつつもあたりまえと思っていましたが、コロナ禍での「ソーシャルディスタンス」を確保した上での茶席を経験すると、かつての大寄せ茶会に対する疑問が顕在化するようです。

しかし、現実的に考えるとその疑問に対する答えはなかなか難しいと思わざるをえません。現状、茶道界で行われている茶会は、数百人が一堂に会する「大寄せ」と少人数で結構な懐石が振る舞われる「茶事」のいずれかです。大寄せは気楽に参加できる反面、本来の茶の湯の楽しみからは乖離してしまうと言わざるを得ません。一方の「茶事」は茶の湯の楽しみは存分に味わえるものの、費用がかかり、また特別な会という印象拭えません。

どうにか、日常的に無理のない範囲で、茶の湯を楽しめないかと模索するなか、参考になったのは室町から江戸時代における「侘び仕立て」の茶事です。あの利休でさえ、生涯に(記録が残っている限りで)一汁三菜を超える懐石を出した茶会(茶事)は数回しかありません。紹鴎は、「珍客たりとも、会席(懐石)は一汁三菜を超えるべからず」と言っています。これに倣い、獨楽庵では一汁三菜の懐石による茶事をメインに据えています。大寄せでもなく、「茶事」でもなく。亭主としては、365日、一日3回できないと思うことはしない方針でいます。

どうか、会員の皆様は亭主の負担を気になさらずに、どんどん「獨楽庵茶会」にお申し込みください。そもそも、負担と思うことは案内しておりませんので。

巨福山建長興国禅寺 四ツ頭茶会

去る10月24日、鎌倉・建長寺の四ツ頭茶会で少林窟席を勤めました。四ツ頭茶会とは、禅林における古くからの茶の儀礼で、建長寺では開山の大覚禅師様のご命日(開山忌)に開催されます。山内では、本席である四ツ頭茶会の他、中国茶席、程茶席、薄茶席2席が開かれ、私は宗徧流関東地区を代表して、少林窟席の席主を勤めました。

建長寺は1253年、大覚國師が鎌倉5代執権・北条時頼を開基として開山。我が国最初の禅専門道場でもある日本を代表する臨済宗の古刹です。我が国初の禅専門道場である建長寺の、それも修行の中心である僧堂でのお席ですから茶人として大変名誉なことです。我が家の菩提寺は派こそ違え同じ臨済宗ですので、子供の頃から親しんだ禅宗の空気感・色彩感をもって席を作りました。

吉田正道管長猊下をはじめ多く和尚様にも席に入って頂き、臨済宗の信徒としまして感無量でした。。また、禅と茶の湯の関わりを肌で感じることができた一日でした。決められた時間内に500名のお客様をおもてなしするため、席によってはお客様に窮屈な思いをさせてしまったこともありました。また、ゆっくりお話したいところを、追い立てるように退席をお願いすることもあり、不快なおもいをさせてしまったことを痛感しております。

当日は、多くの獨楽庵友の会の皆さまにお出まし頂き声援を頂きました。お陰様で、全13席を無事に勤めることができました。心より御礼申し上げます。当日慌ただしくお話できなかっとこと、次回ご来庵の時にゆっくりお話させて頂こうと思っています。

小間に籠って思うこと

小間を中心に獨楽庵茶会を組み立てるようになって一年が経過しました。その間、かつて無い程小間に座り、お茶を点て続けたことになります。これは、30年の茶道人生の中で極めて異質な期間であったとも言えます。

その異質な時を経て、ある心境の変化に気づきました。綺麗に言えば、「小さきもの、か細きもの、儚きもの」が愛おしく思える心境です。そんな折、宗徧流お家元と宗徧流の美意識について話す機会がありました。

流祖・山田宗徧は17歳で玄伯宗旦に入門し、25歳で皆伝を得ました。そして、京都鳴滝の三宝寺に「四方庵」を結びます。「四方庵」は一畳台目。丸畳一畳の客座と台目畳点前座と向板によって構成される極小空間です。宗徧は結庵直後この極小空間に、東本願寺法主の琢如上人を招いています。天上人にも等しい琢如上人を極侘びの席にお招きするのは、相当の覚悟が必要だったはずです。それをあえて成し遂げたのは、宗徧の精神であったと思います。ここに宗徧流の原点があります。

お家元曰く、宗徧流の原点は一畳台目(二畳)座敷。全ての美意識はここに端を発していると。小間に立脚すれば、物事は小間の小空間にあわせて小さくなる。なるほど、宗徧流の茶巾は他流にくらべて小さい。茶杓も華奢。

それとは別に、決まりごとが少ないもの宗徧流とおもいます。なぜなら、小間に立脚しているからと考えれば納得がいきます。小間とは、空間を狭める代わりに決まり事、すなわち権威と決別するという意思表示でもあるからです。だけれど、原理原則から外れれば、それは無手勝流に堕ちいざるを得ません。

話はまわりくどくなりましたが、要は小間でお茶を練り続けていると、自分の美意識に変化が生じたというお話です。