お座敷へGO

かれこれ、四半世紀前。地元の泰斗・ハーさんに誘われ小唄の世界に入って以来、師匠はかわれど稽古を続けている。現在は、小唄松峰派家元・二代目松峰照師匠の稽古場に通っている。

小唄と言っても最初は、なんだか訳が分からず、数ヶ月に一曲を仕上げ、そのうち社中の勉強会やら同じ派の勉強会などに出演するようになり、社中の相弟子だけでなく同派の諸先輩の唄を聞くようになる。2年経つ頃には、それなりに唄える曲数も増え、小唄連盟の会にも出演するようになる。舞台に立つには、完成度を高めなければならず、稽古にも熱が入る。結果として自分の持ち歌として引き出しにいれることが可能になる。

そのような世界とは別に、我が街には古くから花柳界があり諸先輩に導かれて花柳界に遊ぶ機会も増えてくる。そんな時に、小唄が役にたつことを覚えた。思えば、私を小唄に誘ったハーさんにしても、ハーさんを小唄に誘ったオーさんにしても主戦場は花柳界だった。

思えば、小唄とお座敷は実に相性がよい。芸者衆を呼んだ座敷は概ね2時間である。その中で、食事をし芸者衆の酌で酒を飲み歓談する。食事もあらかた済んだところで芸者衆が「お座敷」をつける。「お座敷をつける」というのは、芸者衆が日頃鍛錬した芸を披露するということである。つまり、三味線、歌、踊り。芸者衆がお座敷をつけた後、時間があれば「旦那衆」の時間である。お座敷も終盤であるからそれほど時間が残っているわけではない。ここで、長唄はもちろんのこと、二番、三番と続く端歌を披露するのも野暮であろう。ここは小唄か都々逸だが、都々逸はやや下ネタに偏りがちなので上品に済ませるなら小唄に尽きる。なにせ、小唄は長くても3分で済むからである。

そういうことで、小唄は座敷における旦那衆の芸として格別であると思う。一方、同じ小唄でも、前半で書いたように舞台で披露することもある。正直、これでは小唄の魅力は完全には伝わらないのではないかと思う。小唄は座敷で、芸者衆の芸のあとに、旦那衆がさらっとお茶漬けのように披露するのが本来であるとおもう。であるから、出張ってはいけない。お座敷における芸の主役はあくまで芸者衆なのである。それを旦那衆の発表会のように勘違いしてはいけない。あくまで、さらっと。芸者衆の日頃の鍛錬に敬意を表して。が、好ましく思う。

青春のリグレット

1985年にリリースされた松任谷由美さん17枚目のアルバム『Da・Di・Da』に収録されている秀曲。誰にでもあるだろう、青春のほろ苦さをテーマにした楽曲。「後悔」を「リグレット」としてるところが、いかにも「ニューミュージック」という雰囲気がある。

この曲はリリースから10年後の松任谷由美さんのコンサートツアー「In to the Dancing Sun」でとりあげられ、印象的なシーンを残している。アメリカの大学卒業生をイメージした衣装からして「青春」であるし、ダンスの振り付けはアメリカのカレッジフットボールのハーフタイムショーで見られるダンスチームによる隊列が整ったダンス風。これも、「青春」を刺激する。

極め付けは「私を許さないで 憎んでも覚えてて」という歌詞。「笑って話せるの なんて悲しい」という詩と相まって、「青春」を際立たせている。

青春は後悔の連続。それを笑って済ませるのではなく、憎んでまでも胸に刻む。忘れない。思えば、青春からはずっと歳をとっている自分の行動規律は「後悔(リグレット)」にあるのではないかと思う。40年前の早稲田大学東伏見プールにおける試合。完璧に締め括れない自分がいる。また「リグレット」を残した京都・南禅寺。

京都に来ています

一昨日(4月4日)から京都に来ています。荷物を満載した車で午後に八王子を出発、中央道・名神高速をノンストップで走り切り京都に到着しました。旅の目的は、南禅寺で開催される茶道宗徧流全国流祖忌。流祖・山田宗徧の318回忌法要と茶会です。

不祥、私はこの流祖忌で南禅寺法堂において全国の宗徧流門人を代表して献茶をご奉仕する栄に浴しました。このことが決まっていらい稽古をはじめ、年が明けてからは獨楽庵に真台子を持ち出して稽古を重ねてきました。結果は・・・自分の至らなさを痛感する結果となったわけですが、同時に歴史というか人間の営みの流れのようなものを実感することができた得難い体験であったとも言えます。

かねて、茶道の変遷について、たとえば利休の革新についても、全ては茶の湯の大きな流れの中にあると評してきました。どんなにユニークに革新的に見えることでも、そのルーツは茶の湯という大きなうねりの中にあるという意味です。成功も失敗も、全て。その堆積こそが歴史。であるということを痛感させられた本日であり、この一年間であったと思います。

明日は京都でお茶に招かれたあと帰京します。