春になると「釣釜の季節ですねえ」という声が聞こえる。確かに、春の障子越しの陽の中静かにゆらめく釜は、なんとも春の気配が感じられる。春に釣釜が似合うということに異論はない。しかし、春になって釜を釣る「口上」に炉の季節も終盤になって炉中の灰が増えて高くなってきたからというものがある。本当かな?と思う。
炉の季節、朝路に火を入れる前、湿し灰を炉中に撒く。日々撒く灰が溜まって来るということらしい。しかし、実際には、毎朝まずある程度の灰(獨楽庵では、下取りに十杯程度)を抜き、篩に掛ける。その後、灰を炉中に戻し形を整えて湿し灰を撒く。この時に灰の量は調整できるので、炉中の灰が徐々に増えるということはないように思う。
一方譲って、灰の量が増えたからというのが釜を釣る理由にはならないように思う。何故なら、釜の高さはそんなに変わらないから。確かに、雲龍釜などは鐶付が比較的低い位置にあるので釣れば、釜の底は高くなるけれど。
昨日稽古は釣釜の炭点前。宗徧流では、客が席入した時点では釜は低く釣られている。その釜を点前の最初で少し(鎖2つ分くらい)上げる。低い位置では、釜の上端は炉縁より低い位置がよろしいとのご指導であった。釜を上げた状態で、通常の高さ。すなわち釜に掛けた柄杓の柄と畳の間に指一本入る程度の高さ。であるから、低い状態では、釜の底は五徳に載せた時よりも低い可能性が高い。つまり、冬の間に増えた灰は釜を釣るには不都合である。
野暮な話はこのくらいにして、釣釜の季節。というか、五徳をあげてしまったので、必然的に釣らなければならなくなったという勝手な事情なのだが。風炉に移る前に、釣釜を楽しみ抜こうと思う。差し当たり、茶飯釜でもしてみましょうか。
写真は、寒の戻り。時々雪も舞う家元邸の露地。冬の名残の敷き松葉。