能と茶道の共通点

11月24日の能舞台に向けて稽古も佳境に入っています。能面をつけての稽古では、極限られた視界の中で、いかに正確に舞うことができるか。これには2つの要素があります。一つは、正しい位置に移動することができるか。

もう一つは、限られた視界では限られた視野から自分の立ち位置を俯瞰的に把握しよと、能の情報処理能力が大量に消費されます。最近の乗用車はバードアイと言って自車両をバーチャルに俯瞰するシステムが備わっていますが、それを脳内でやっている感覚です。そのため舞に使われる処理能力が限定され、ポカが出たりします。どちらも視界が極めて限定されることに起因しています。鼻の先数センチにある直径2センチ程の穴が視界の全てです。ここからの景色に頼ることに起因しています。

だったら、「視界に頼らなければいいではないか」。幸いなことに、能舞台には4本の柱があります。これだけに集中して、自分の立ち位置を俯瞰することを放棄できないだろうか。舞もできれば、お囃子に乗せて自然と体が動くようになりたい。あと二週間と数日。どこまで視界を捨てられるか。どこまで舞を体に染み込ませることができるかが勝負です。

お茶の点前もそうです。茶の量、湯の量、お茶の練り具合から始まり点前の隅々まで、いかに視界に頼っていることか。家元で稽古をしていると、まず茶碗を覗き込まないことを徹底されます。そして割稽古。能の型の話を書きましたが、これは茶道の点前で言うと割稽古です。割稽古を徹底して体に染み込ませる。このことで、視界から自由になれるのではないと思うところです。ライトを消して、自然光だけの薄暗がりで稽古することの意義を発見しました。

観世能楽堂に向けて

10月12日の東京茶道会、19日の神奈川県戦没者慰霊堂 慰霊茶会と二週連続で席主を勤めました。今週末は、伊勢神宮で家元献茶式。来週からは能の稽古に集中です。11月24日の松響会@観世能楽堂まで泣いても笑ってもあと一ヶ月。悔いの残らぬように自主練に集中します。

私がシテを舞う『猩々』は中国の昔話を題材にしたものです。瀋陽という村に住む高風(こうふう)ある夜、不思議な夢を見ます。揚子のほとりで酒を売れば貴方の家は栄えるだろうというのです。夢のお告げ通り、高風が揚子の市で酒を売っていると、毎日大酒を飲みにくる男がいる。不思議に思って、尋ねると自分は水の中に住む猩々だと伝え、再会を約束して去っていきます。約束の日に高風が揚子のほとりで待っていると猩々が現れ、友との再会を喜び、酒の壺を渡して別れる。その壺は酒を汲んでも汲んでもなくならない不思議な壺でした。その壺のおかげて高風の家は代々栄えたということです。

猩々は、一種の妖怪です。ですが、この曲は家が代々栄えるという祝言曲として有名です。今回の松響会は師匠の十四世林喜右衛門師の襲名記念。祝言曲を舞わせていただく永栄ですので、その気持ちで舞いたいと思います。

十四世林喜右衛門襲名記念『松響会』
日時 令和7年11月24日(振替休日) 9時半開演 *私の出番は16時頃です。
会場 観世能楽堂 銀座・ギンザシックス地下3階
入場料 無料(出入り自由)

お近くにお出かけの際は、ぜひお立ち寄りくださいませ。

【画像は、観世能楽堂鏡の間から見た橋掛】

慰霊茶会

東京茶道会が無事終わっても気を抜けません。翌週(10月19日)は、神奈川県戦没者慰霊堂で慰霊茶会です。春秋、年二回開催されている慰霊茶会では、各流派の家元あるいは幹部の先生による献茶が奉仕されています。今回は宗徧流の当番で、家元三女が献茶をご奉仕されます。

私は献茶後の慰霊堂にて、薄茶席を担当いたします。ホールですので客席は椅子。少し気を抜きがちですが、献茶の後の張り詰めた空気を崩さず、宗徧流らしく凛とした席にしたいと考えています。

神奈川県慰霊堂は、太平洋戦争だけでなく明治以降の戦争で命を落とした神奈川県民全てを慰霊されています。「私たちが生きている現在は、先人が命を賭して守ろうとした未来」という言葉を胸に刻み、先人に感謝し平和を祈る時間となることを念じて臨みます。