武藤山治

少々政治の話に関わる。このブログでは政治の話は無しにしようと考えているが、このテーマだけは避けて通ることができない。現在、八王子・元横山町の桑都茶寮に現存する茶室「獨楽庵」の施主、武藤山治氏のことである。

山治氏は1867年4月5日美濃国安八郡脇田村(現在の三重県海津市)の豪農・佐久間国太郎の長男として生を受ける。米国留学の後、親戚の武藤松右衛門の養子となり武藤姓を名乗ることになる。1893年三井銀行に入社し、翌年鐘淵紡績兵庫分工場支配人として転出し、以後1930年(昭和5)に社長を退くまで鐘紡の近代化と成長に貢献。途中、実業同志社から政界に進出(衆議院議員)。1932年(昭和7)には時事通信社に入社し言論活動を始める。そして、1934年(昭和9)、北鎌倉の自宅前で凶弾に倒れる。

まさに波乱万丈の生涯であり、国を愛し、腐敗した政治を糾弾し、それを正すには国民の政治的成熟が必要と訴えた。1932年には大阪大手前に国民の政治教育の殿堂足るべく私財を投げ打って『國民會館』を創設。

その『國民會館』は今もその大手前で活動を続けている。その山治氏が北鎌倉に結んだ茶室「獨楽庵」を運営する身としては山治氏について学ばぬわけにはいかない。ということで、早速「國民會館」に入会。入会申し込みに際して、獨楽庵云々・・・について簡単に書き添えたところ、國民會館館長の武藤治太氏より著書を頂戴した。

早速、縁を感じつつ読み始めることにする。

山田宗徧忌

3月17日(日)東京音羽・大本山護国寺にて茶道宗徧流関東地区主催、山田宗徧追善法要および茶会が催されました。

護国寺の大本堂は江戸元禄期の創建。同じ頃、山田宗徧は小笠原家の茶頭を辞し家督を娘婿の二世宗引に譲り一人江戸に下りました。江戸随一と称えられた護国寺大本堂を宗徧も参拝に行ったことでしょう。当日、本堂には百名を超える門人が入堂し立ち見も出る程。御導師、山内式衆の読経のもと流祖・山田宗徧の遺徳を偲びました。

いつもは満開で我々を迎えてくれる本堂脇の早咲きの桜は、すでに散りはじめていました。寒い日が続いているとはいえ、春はもうすぐそこまで来ているようです。

江戸に移った山田宗徧は、数年後「赤穂浪士事件」という世紀の一大事に遭遇することになります。吉良家、赤穂浪士双方に弟子・茶友をもつ宗徧にとって「赤穂浪士事件」どのように映ったか。想像に難くありません。その宗徧の心を思い、吉良家・浅野家の霊をともらうため宗徧流では毎年12月「義士茶会」を開催しています。一昨年は、ここ護国寺で開催。昨年は山田宗徧が晩年の一時期を過ごした静岡で。今年は、小笠原家ゆかりの九州・唐津です。

自論:フレンチイノベーション

フランステレコム(日本の電信電話公社にあたる)は、電話帳を印刷し配布し、電話番号と居合わせのオペレータを維持するコストを10年間試算した結果、各家庭にビデオテックス端末を配布し、それらをパケット交換網でサーバーに接続する方が安上がりと結論に達した(と言われている)。

そこで、トランスパックというパケット交換網をフランス全土に張り巡らした。パケット交換網というのは電気通信の一つの形態で、情報を細切れにし、蜘蛛の巣のように張られたネットワーク上にバラバラに流し、最後に結合させて元の情報に戻すという通信技術。現在のインターネットもパケット通信である。いわば、インターネットの原点のような通信網を1982年に完成させ、ミニテルという画面とキーボードが備わったオールインワンの端末を全家庭に配布しサービスを開始した。基本的には、電話番号帳を廃止し各自が電話番号を端末を使って検索するというサービスであるが、後に旅行代移転やレストランなどが相乗りし予約を中心に様々なサービスを提供するようになり、一大文化圏を構築するに至る。

現在の視点で見るとかなり原始的なサービスであるが、まさしくインターネットの原型を見ることができる。このサービス、当時は「ビデオテックス」と総称され各国の通信会社が先を競って実現を目指していたのであるが、どれも「実証研究」のまま頓挫している。フランステレコムのミニテルは、世界で唯一の成功例だと思う。

私は1980年代後半にフランスに在住していたので、もちろんこのサービスの恩恵に預かっている。フランスに入国して、部屋を借り、電話の契約を済ませると直ちにこのミニテルが送りつけられてくる。それを壁にあるモジュラージャックに差し込めがサービス開通。どのように使っていたかは忘れてしまったが、飛行機のチケットの予約はした覚えがある。これは、まさしくイノベーションであり、それもいかにもフランス的な。

前稿で、フランス人=ケチ=合理的 と書いた。ミニテルもまさしく電話帳を10年間出し続けるコストとパケット交換網を張り巡らし各戸に端末を配るコストを比べ、安い方を選択したのである。これぞフランス流と私は思う。

だから、シトロエンが「空飛ぶ絨毯」を実現するために余計なコストをかけるという発想はないし、その発想を受け入れる市場もないのである。ハイドロは唯一、全ての油圧系を一本にまとめコストダウンを図るということが道理であり、「空飛ぶ絨毯」その副産物にすぎないと、私は思う。それを金看板に持ち上げ、挙句最新技術を持って「空飛ぶ絨毯」を再現するなど本末転倒も甚だしい。そんなことでは、シトロエンのアイデンティティは保てないだろう。フランス流のイノベーション求められるのではないだろうか。