こと「茶道」に関しては、巷に「茶道」を習うことのベネフィットを著した本が数多く出回っている。それらを論評したり、ましてや批判する気など毛頭ないが、少々残念に思うことも否定できない。
私自身、ひょんな切掛から「茶道」に潜り込んで早25年。その間、茶道を続けることのメリットなど考えたこともないが、続けてきてよかったということは多々ある。それは、不純な話ではあるが、女性がつく社交場に行った際に、「お客さん、お仕事は何をなさっているんですか?」との質問は定番である。ここで、「お茶の先生」と答えると相手はかなり意表を突かれるのか、「掴みはバッチリ」ということになる。こんな与太話は傍に置いておくことにして。
真面目な話。日本で生活する上での面倒なこと(ほとんどは、作法であったり仕来りであったり)について、その源流を掌握できるのは茶道を習うことの一つの大きな成果だと思う。例えば、食事のマナー。それも和食について言えば、茶道を習っていれば間違うことはほぼ無いと思う。和食は世界で唯一、器を口元に持っていくことが正しい食礼である。だから、茶道でいうところの懐石には持ち上げられないような大きな器は使わない。しかし、大きな器も時にはある。この場合、料理を箸で摘んで口に運ばなければならない。まさか口を下に置いた器に近づけることは無いだろう。その道中、汁が垂れないか気が気ではないことはわかる。だから、多くの人は左手を添える。これは間違いである。なぜなら、汁が垂れた場合、その垂れた汁を受けた左手はどうするのか?まさか、舐めるわけにもいくまい。正解は、「懐紙」を添える。「懐紙」とは茶道を習い始めると最初に手に入れるべき「道具」である。茶道の懐石では、器を下におく場合、器から口までの道中、懐紙を添えるように徹底的に教わる。これなら、仮に汁が垂れた場合でも懐紙を捨てれば良いだけである。
「懐紙」とはその字のごとく、懐に持ち運ぶ紙の束であるが、大変便利な道具でもある。上の懐石を食する時はもとより、メモ帳にもなるし、茶席で大人数分盛られた中から自分のお菓子をとる時にも使う。口元を清めることもできるし、濃茶を飲んだ飲み口を清めるためにも使える。さらに、お金を渡すときに手元に金封がなければ最悪懐紙にはさむこともある。左様に便利な「懐紙」であるが、茶道に身を置かない限り目にすることは無いであろう。
話は大きく脱線したが、言いたかったのは、真面目くさって茶道を習うことのベネフィットなど語らない方がいいのではないかという事。所詮、お客様に給仕し、面前でお茶を点るだけのことである。しかし、「たかが茶道、されど茶道」。その意味は、自分の心に素直に耳を澄ませば聞こえてくるはずである。と、言いたかったのです。