糖質

極々希に、「あなたの健康法は?」と聞かれることがある、答えは「糖質制限」。食事から徹底して「糖質」を排除する食事方法である。炭水化物=糖質+食物繊維 であるから、炭水化物を遠ざけることと同義。

「糖質制限」と答えると、「危険だからやめた方がいい」と助言くださる方は少なくない。炭水化物(糖質)は必須栄養素とされているのだから、それも頷ける。しかし、炭水化物(糖質)はヒトが生きるのに必須ではないというのが、糖質制限提唱者の立場である。「炭水化物は必須」と唱える方々の根拠はさまざまで、「日本人古来の食生活」という意見もある。しかし、ヒトが炭水化物(=穀物)を食べ始めたのは、せいぜい数万年前。ヒトは数億年生きているのである。穀物を安定して口にできるようになるまで、ヒトは栄養を狩猟に頼っていた。つまり、獲物がなければ飢えを耐えなければならない。穀物によってヒトははじめて飢えを克服する方向に歩み始めることができた。しかし、ヒトにとって穀物は善悪併せ持っていた。飢えをしのぐ=血糖値をあげる のに穀物は適していた。穀物の大部分である「糖質」は摂取されると直ちに血糖を上げる。血糖はある意味エネルギーであるので、素早くエネルギーチャージされる、大変有益な栄養素なのである。

一方、高い血糖値とりわけ血糖値の乱高下は血管にダメージを与える。高い血糖値は有害であるので人体はそれを下げるためのメカニズムを持つ。それが、膵臓から分泌されるインシュリンというホルモン。つまり、炭水化物(糖質)を摂取する→血糖値が上がる→インシュリンが分泌されて血糖値が下がる。毎食、これを繰り返してる訳である。しかも、高まった血糖値を下げるメカニズムはインシュリンが唯一である。お気づきのように、インシュリンが出なく(効かなく)なったら、血糖値が高止まりする。これがいわゆる糖尿病である。ヒトは、数億年にわたる飢餓の歴史のなかで、炭水化物(糖質)を摂取せずとも血糖値を維持するメカニズムを何重にも進化させてきた。低血糖はそれだけ危険だからである。一方、血糖値を下げるメカニズムはインシュリンしかない。これは、ヒトが穀物(炭水化物=糖質)摂取を前提として進化していないことを示してはいないだろうか。

炭水化物(糖質)不要を論じようと思っているのだが、炭水化物と縁を切れないのがもどかしいところである。ビールは、糖質を大量に含む食品なのである・・・

1984

とある業界の将来像と戦略について議論していて、自分が明らかに権威主義に傾いている事に気がついた。

その時思い出したのが、Apple創業者Steven Jobsの1984年のスピーチ。彼はAppleとIBMを対比するなかで、如何にIBMが新市場のチャンスを失ってきたか述べている。1950年代のゼログラフィ技術、1960年代のミニコンピュータ、1970年代のパーソナルコンピュータ。パーソナルコンピュータには、大慌てでその名もIBM PCをもって参入しているが。

ミニコンピュータは、Digital Equipment Corporation (DEC)が生み出したセグメントであるが、IBMは、”to small to do serious computing”としてdismiss(拒む)した。Appleが生み出したパーソナルコンピュータも同じ。

新たな胎動を当時のIBMのようにdismissしてはいないだろうかと反省した次第。

リンクはそのJobsのスピーチ。https://youtu.be/xopj35NvcHs?si=QtGvEv7vXwZ-UQBX

趣味

趣味は?と尋ねられると「茶の湯、小唄、能楽」それと「ゴルフとテニス」と答えるしかない。ほとんどの方は、「和事がお好きなんですね」と仰る。

確かに客観的に見れば「和事」が好きなのかもしれない。しかし、それは結果論であり、成り行き任せの成れの果てなのである。

私を小唄の世界に引き摺り込んだのは、地元における小唄の泰斗「はーさん」である。同窓会の重鎮にして地元経済界でも一目置かれる「はーさん」からある時電話がかかってきた。「今から遊びに行ってもいいかい?」「もちろんです」 しばらくして「はーさん」が来社。しばらく世間話をして「さあ、行くか」と。「どこに行くんですか?」と聞いても、「ついてきたら分かる」の一点張り。かくして到着したのはビルの最上階にあるカルチャースクールの「小唄教室」。数名の受講者がすでに着席していて、真ん中に師匠が。何がなんだかわからないうちに、「じゃあ、唄ってみましょう」と歌詞を渡されたのは、「伽羅の香」だったと思う。

師匠について何度か唄うと少しは慣れてくる。そうすると周囲から「男性は声がいいわね」とか「筋がいいわね」と妙なお褒めの言葉が。これに浮かれた訳ではないが、正式に入門して稽古を始めることになる。その後、師匠は2度変わったが今でも小唄の稽古は続けていて、25年を数える。年数だけ言えばベテランの域かもしれない。小唄はすでに人生の一部になっている。このような世界を与えてくれた「はーさん」にまず感謝したい。

この話には、重要な前段がある。「はーさん」は常々「人間誘われるうちが花」と仰っていた。文字通り取れば、「誘われるうちに、やっておきなさい」ということ。しかし、これには裏があって、「誘う方も真剣なんだ」ということ。自分が属してしかも大切にしているコミュニティに新人を誘うことはとても勇気のいることだと思う。その輩の行動遺憾によっては自分のコミュニティ内での立ち位置に係るからである。だから、そのリスクを承知で誘うということは、そのことをしっかり受け止め真摯に決断すべきだということ。もちろん、誘いに乗ることがベストであろう。

思えば、誘われたら断らないということは私の人生訓かもしれない。