武藤山治

少々政治の話に関わる。このブログでは政治の話は無しにしようと考えているが、このテーマだけは避けて通ることができない。現在、八王子・元横山町の桑都茶寮に現存する茶室「獨楽庵」の施主、武藤山治氏のことである。

山治氏は1867年4月5日美濃国安八郡脇田村(現在の三重県海津市)の豪農・佐久間国太郎の長男として生を受ける。米国留学の後、親戚の武藤松右衛門の養子となり武藤姓を名乗ることになる。1893年三井銀行に入社し、翌年鐘淵紡績兵庫分工場支配人として転出し、以後1930年(昭和5)に社長を退くまで鐘紡の近代化と成長に貢献。途中、実業同志社から政界に進出(衆議院議員)。1932年(昭和7)には時事通信社に入社し言論活動を始める。そして、1934年(昭和9)、北鎌倉の自宅前で凶弾に倒れる。

まさに波乱万丈の生涯であり、国を愛し、腐敗した政治を糾弾し、それを正すには国民の政治的成熟が必要と訴えた。1932年には大阪大手前に国民の政治教育の殿堂足るべく私財を投げ打って『國民會館』を創設。

その『國民會館』は今もその大手前で活動を続けている。その山治氏が北鎌倉に結んだ茶室「獨楽庵」を運営する身としては山治氏について学ばぬわけにはいかない。ということで、早速「國民會館」に入会。入会申し込みに際して、獨楽庵云々・・・について簡単に書き添えたところ、國民會館館長の武藤治太氏より著書を頂戴した。

早速、縁を感じつつ読み始めることにする。

You’ve Got A Friend

Carole Kingのデビュー作にして1972年のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞した『Tapestry(邦題「つずれおり」)』収録曲。1972年グラミーの最優秀楽曲賞でもある『You’ve Got A Friend(君の友だち)』

邦題の「君の友だち」は少々頂けないが曲は、50年経ったいまでも全く古さを感じさせない。この曲を聴いていてふと思ったこと。
この”友だち”とは神様ではないのか。

僕はキリスト教徒ではないので、深入りすることは差し控えるが、そう思えるのである。

”When you’re down and troubled. And you need some lovin’ care and nothin’, nothin’ going right. Close your eyes and think of me. And soon I will be there. To brighten up even your darkest night. ” そして、”All you have to do is call”とも語っている。

これは「神」だろうと。異教徒でも思う。

似たようなテーマの楽曲に、今井美樹が歌った『幸せになりたい』(作詞・作曲 上田知華)があるが、「冷たいやつがいる だけど友達が待っている ここにおいで」と歌い、友達に寄り添う気持ちを綴っているが、これはあきらかに実在する人間。

神について、ストレートに語らず、人間対人間のように綴りながら実は神について語っているという詩は意外に多いような気がする。

日曜日の昼間に獨楽庵の庭を眺めながらビールをのんで一考。

小唄考(2)

方角には「語りもの」と「歌いもの」に分類されるという。「語りもの」は三味線を伴って詞章を語り語るように唄う。詞章は気持ちを語るというよりは、状況を説いていくもので「叙事的」と言われる。先祖の謡の詞章がそうであるように。一方、「歌いもの」は、三味線をともなうところは「語りもの」と共通であるが、よりメロディ重視で歌詞も「抒情的」になる。と、言われている。

そこで、我が「小唄」であるが、一般的に「歌いもの」に分類されるようである。日本小唄連盟もそう言っているので、そうなのかもしればい。しかし、これには違和感がある。小唄の歌詞は確かに、多分に「抒情的」である。一見「叙事的」に淡々とした詩であっても、その実は情熱的であったりもする。

しかし、演奏形態としては、三味線と語り(太夫)による浄瑠璃に近い。演奏会などで例外的に団体で演奏することもあるが、基本は三味線方一人(たまに替手が入る)と唄手一人である。

これからが核心であるが。師匠からは、「語るように唄え」と指導される。節は確かにある。しかし、節に言葉を乗せてはならないということである。あくまで、言葉を言葉として捉え、余計な節はつけずに語る。加えて、基本的に三味線方と唄手は分業である。時に、弾き語りをすることがあるが、それは師匠が弟子に教える時に弾き語りができなければ、どうにもならないという理由からだ。舞台では、どんな名手でも弾き語りはしない。そこが「語りもの」と考えるべき所以である。

小唄を見せ物として弾き語りすることもあるだろうが、それはすでに「小唄」ではなく「俗曲」というべきであろう。