言わなきゃよかった

11月23日は、小唄松峰派の男性だけの勉強会『松韻会』である。このところ、建長寺の四ツ頭茶会とか、京都での能の稽古とか、獨楽庵での炉開きが続き、小唄の稽古がおろそかになっている自覚はあったものの、いざ当日の番組を決めるとなると俄かに浮き足立つのである。

師匠からは一曲は『未練酒』にと指示が。この唄は、先日の八王子・芝ゆき会でも唄ったので、まずは順当というところ。もう一曲はどうするか、師匠には『言わなきゃよかった』をリクエスト

”言わなきゃよかった一言を 悔やみきれないあの夜の 酔ったはずみの行き違い ごめんなさいが言えなくて 一人で聞いてる雨の音”

この曲も先代・松峰照家元作曲による松峰派オリジナル曲である。主人公は女。であるから、師匠も女性に唄わせてきたとのこと。ところが、我が街八王子では、小唄の泰斗ハーさんこと橋本さんのお気に入りとして有名。ハーさんの唄を聞いた、師匠(二代目松峰照家元)が「男性が唄うのもいいわね」と、以降男が唄う機会も増えている。

この唄も、他の松峰派の曲と同じく昭和の作品であるからして、女性が強いのである。よくある痴話喧嘩だったのだろう。ところが、酒が過ぎたのか言い争いになり、女も「ここは自分が引くべきか」とは思いつつも、意地を通して、喧嘩別れ。女は反省しつつ、雨音を聞きながら酒を飲むのである。このシチュエーション、世が世なら男の専売であろう。それが、昭和になると女の絵としてしっくりくるのである。

義士茶会

年の瀬の声が聞こえ始めると、宗徧流門人はソワソワしだします。12月14日は、赤穂浪士討ち入りの日。宗徧流では、この日に合わせ討ち入りで命を落とした吉良家、浅野家双方の霊をともらうため『義士茶会』を開催します。全国レベルの義士茶会は地区の持ち回りで開催しています。今年は、九州・唐津に300名以上が集まります。その他、地区・支部または個人が全国各地で義士茶会を催します。

流祖宗徧は27歳で元伯宗旦から皆伝を受け、三洲吉田藩・小笠原家に茶頭として出仕します。70歳で家督を後継の宗引に譲り江戸に下り、江戸本所に結庵します。本所と言えば、討ち入りの舞台となった吉良邸があります。宗徧はここで討ち入りに遭遇します。宗徧には、吉良家にも赤穂浪士にも弟子がいました。これが「義士茶会」の由来です。

討ち入りを成し遂げた赤穂浪士は、吉良公の首は船で品川に送り。茶席にあったといわれる利休所縁の「桂川籠」を白布でくるみ首に見立てて品川まで行進したと言われています。その桂川籠は現在、香雪美術館に保存されています。宗徧流・義士茶会では、「桂川籠」がお決まりの一つです。

住吉大社

茶道具には大阪の住吉大社を題材にした「住吉蒔絵」は少なくなく、私も輪島塗師・茶平一斎造の住吉蒔絵平棗を愛用している。松、橋、鳥居、社がお決まりである。

先のブログで触れた「まくらことば」ではないが、「住吉」にもそのような由来はある。私たち能楽愛好家にとって「住吉」とは、能「高砂」なのである。九州阿蘇神社神主の友成は、都にのぼる途上、高砂の浦に立ち寄る。そこで、松の木のもとを掃き清める老夫婦と出会う。話をしているうちに、老夫婦は我々は相生と住吉の松であると、「相生の松」の謂れを話します。「相生なのに、なぜ高砂と住吉に分かれているのですか」と問うと、「住吉で会いましょう」とスーッと消えてしまう。

意を決した友成は、船を出して住吉(大阪の住吉大社)に向かうのであるが、この場面で謡割れるのが、かの有名な「高砂やこの浦船に浦をあげて」の一節なのである。結婚式のお祝いで奉納されることが多いこの謡、夫婦の永遠の契りを讃えた謡。やがて、友成が住吉につくと、住吉大社の神が現れて祝福するというくだり。

であるから、我々は「住吉蒔絵」に出会ったら、能「高砂」を思い浮かべる。そして、亭主の道具選びがそれに適っていたら、大興奮!である。お茶はある意味、そういうものなのかもしれない。