釣釜

立春を過ぎ初夏にむかう季節。茶人は、釣り釜をしたがる。天井がら鎖をおろし、その鎖に釜を吊ることを釣り釜と称しているが、この時期(2月)に釜を釣ると違和感を持たれるお客様が少なくないようである。

それは、“あえて“釜を釣る“口実“に起因しているのかもしれない。曰く、「春になり、灰が上がってまいりましたので」である。11月に炉を開き、年末年始を過ぎ、三月頃になると炉中の灰の量が増える。すなわち、灰と炉縁の間の間隔が狭まるから、釜を釣る。のだそうだ。

しかし、日々炉と格闘していると、開炉から日が経つにつれて炉中の灰が増えるという現象には懐疑的にならざるを得ない。これは、恐らく炭点前をする際に灰を撒くので、それが積もって灰の量が増えると“想像“したと思えば理解できる。しかし現実は、朝一番で前日に使った炉を改めるところから始まる。炉中には前日の炭の燃え残りやにゅうが残っているはずである。まず、その部分の灰を取り上げ篩にかけるという作業がある。篩にかけた灰を戻すのだから、炉中の灰の量は変わらないはずである。日を重ねるにつれて、炉中の灰の量が増えるというのは、「点前」しか眼中になく朝イチで炉を整える作業を知らないものの盲信に思える。

加えて、釜を釣った場合、点前の初期に釜を上げ、点前の終了時に釜を下げるという所作が発生する。点前前の段階では、釜は基準点より低く釣られており、点前が始まればそれを点前にちょうど良い高さに上げる。つまり、点前前は、低く釣られているわけである。その場合、炉中の灰は少なくなければならない。なぜなら、灰の上に組まれた炭に、低く釣られた釜の底が当たってしまうからである。

言い換えれば、先の口上のように春になって灰(の上面)が上がってきましたから、釜を釣りましたというのは、論理的に成り立たないと思うのである。

色々と申しましたが、要は釜はいつ釣ってもいいのではないでしょうか。と、いう話。

梅一輪

獨楽庵の梅が一輪咲きました。去年より10日以上遅い開花です。

小唄「梅一輪」
“梅一輪 一輪ずつに鶯の歌い初め候 春の景色もととのうままに 実は逢いたくなったのさ“

出だしは、松尾芭蕉の弟子・服部嵐雪の「梅一輪 一輪ごとのあたたかさ」から。格調高く始まる。梅が一輪また一輪と花開くとともに、どこからか鶯の歌い初めが聞こえてくる。春まだ浅き気分が伝わる。で、なんだかんだ言い訳しながら、「実は逢いたくなった」という本心。しかし、そこは逢いたいという気持ちを抑えつつ、「逢いたくなったのさ」と。最後の「さ」がこの唄の肝かもしれない。

クラフトビール

お酒は何が好きですか?と問われると今は「クラフトビール」と答える。クラフトビールとは、その“クラフト“が暗示するように、こだわり、職人気質 などがキーワードになる、小規醸造家が産み出す個性豊かなビールである。一頃日本中に生まれた「地ビール」とは一線を画する。

我が町八王子でも、三件の醸造所があり、生のクラフトビールを飲ませる専門店(タップルームと呼ばれる)は、知っているだけでも四軒。他の酒と並べてクラフトビールを提供する店に至っては何軒あるのか想像もつかない。

聞き齧った話をまとめると、ビールの醸造方法には大きくエールとラガーの二つがある。エールは上面発酵、ラガーは下面発酵。どう違うのかははっきりわからないが、上面発酵の方が概して容易に醸造できるらしい。その代わり、雑味が伴う。まあ、これがビールの個性といえば個性なのであるが。一方、ラガーは澄んだキレが売りである。とある、クラフトビール界の泰斗は、ラガーを例えて帝国ホテルのコンソメスープと言った。なるほと、的確な例えだと思う。澄んでいて、極めて美味なるもどこにも尖ったところがない。一見何の変哲もないが癖になる。だが、作るのには膨大な手間が掛かる。

ちなみに、日本の大手四社のビールは全てラガータイプであり、その中でもピルスナーというタイプ。その狭い領域で大会社が競い、差別化を企てているのだから物凄い業界といえよう。一方のエールの領域は限りなく広く見える。いわばブルーオーシャン。小規模醸造家が競うにはこちらの方が理にかなっている。という訳なのか、クラフトビールの大半はエールタイプである。

大英帝国で親しまれたエールタイプの雄ペール・エール。これをインドの同胞に届けようとすると、どうしても高温の地域を通らねばならず品質劣化が甚だしい。これの解決策として、ホップを増量したとこと、華やかで苦味の強いビールが出来上がって人気を博した。これがインドのペール・エール。インディア・ペール・エール、略してIPA。これはビール好き各人に異論はあろうが、わたしはIPAを自分の中の基準に置いている。IPAに対してどう違うか、ということで星の数ほどもあるビールを識別しているわけである。