茶道と能の共通点

11月24日の観世能楽堂に向けて、『猩々』の稽古が佳境に入っています。
これまで何度か書いたと思いますが、改めて能と茶道の共通点について思い知らされています。

能は型の連続です。特に舞はそうです。ですから、能を洗練させるためには一つ一つの型を正確に美しく身につける必要があります。それとは別に、型の組み合わせ、順番を覚えなければなりません。これも、型の連続と考えると理解が進みます。

一方の茶道の点前。これも型の連続と考えることができます。茶碗の持ち方、立ち座り、柄杓の扱い・・・云々。全てが一つ一つの型に分解することができます。ですから、点前を洗練させるためには、一つ一つの型を正確に美しく身につける必要があります。これは、従来「割稽古」と呼ばれていた教授法です。しかし、許状が進み複雑な点前を稽古するようになると、順番に意識がいってしまい、型を身につけることが疎かになるようです。どんなに上級の複雑な点前と言っても、全ては型に分解することができるはずです。意識を順番よりも型に移すことが上達の近道ではないかと思っています。

そして、両者に共通していることは、型は型として完結させ、型の途中に次の型を初めてはならないということ。能でこれをやると、見るからにダラシなく見えるようになります。茶道でもきっとそうだと思います。

一つ一つの型を大切に。型を完結してから、次の型に入る。「型」という意識が大事です。そして、ノリよくつなげること。

ーーー 東京松響会 ーーー

日時 令和7年11月24日(振替休日) 午後9時半開演
    *私の出番は、16時頃
会場 観世能楽堂 東京銀座・ギンザシックス地下3階
入場料 無料

お近くにお出掛けの際には、是非お立ち寄りくださいませ。

秋の小唄

四畳半の音曲とも称される「小唄」ですが、秋の唄は意外に少ないようです。秋の夜空に浮かぶ冴えた月はとても粋な気がするのですが。

私が秋と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「手紙」という唄です。作詞 茂木幸子、作曲 初代松峰照

「秋ですね 月の青さが切なくて 思わず手紙を書いてます あんな別れをしたままで 素知らぬふりして気に病んで 意地で堪えているものの やっぱり貴方が恋しくて 一人でお酒を飲んでます」

八王子の花柳界には、「手紙」の小唄振り(小唄に合わせた舞踊)を持っている芸者がいました。この芸者の振りでは、巻紙に筆で手紙を書く振りが入っていました。この唄ができたのは昭和の後期です。加えて、松峰小唄に出てくる女性は現代的な自立した女性が多いことを考え合わせると、手紙は万年筆のような気がするのです。

小唄|お伊勢参り

ひねりも何にもないテーマで申し訳ありません。10月25日(土)、伊勢神宮で行われた茶道宗徧流家元献茶式に参列するため、今週末は伊勢に滞在していました。そうなると、自然に頭に浮かぶのは小唄「お伊勢参り」。

”お伊勢参りに 石部の茶屋であったとさ 可愛い長右衛門さんで 岩田帯を締めたとさ エッサッサの エッサッサの エッサッサのサ”

小唄を嗜んだ方であれば、ほとんどの方が初心者の頃に稽古なさったと思います。小唄でも一、二を争うポピュラーな楽曲です。この曲は、浄瑠璃の『桂川連理柵』を題材にしています。長右衛門とは、京都の呉服店帯屋の主人、45歳。お半は、隣家信濃屋の娘13歳。この二人が、お伊勢参りの帰り道、石部(琵琶湖の南、東海道の石部宿)で偶然会ったことからただならぬ仲となり、お半は身籠ることになります。とても世間が容認できる仲ではありません。二人は悩んだあげく、帯祝いの日(妊娠5ヶ月に岩田帯を締めるお祝い)に桂川で入水心中を図るという悲恋の物語です。

これを題材にした浄瑠璃をテーマにした小唄です。聴衆はもちろんこの物語を知っているという前提です。こういう、聴衆のリテラシーを前提にした芸術は日本の定番ですね。それはともかく、この悲劇を陽気な節に乗せているところが、江戸っ子らしさ、小唄らしさだと思っています。悲劇だから、思いっきり悲しく演じるのは江戸っ子の趣味ではありません。

「いわずもがな」「それを言っちゃーおしめーよ」は江戸っ子の矜持であり、その心持ちは東の茶の湯に息づいていると思うのです。