南禅寺開山忌

11月12日(日)京都・南禅寺で開山忌法要に参列してきました。南禅寺開山大明國師様の年忌法要です。宗徧流は、お家元が南禅寺で得度されるなど南禅寺様と深い繋がりがあります。4月には、流祖山田宗徧の年忌法要を南禅寺様で営んで頂いています。私の家は代々臨済宗南禅寺派に帰依していますので、開山忌と宗徧流全国流祖忌は特別な思いで臨んでいます。

日本に茶を持ち帰ったのが、栄西禅師であったということから禅林と茶の湯の関係は運命付けられていたのかもしれません。宗徧流では、稽古を始める前に全員で「喫茶呪文」を唱えます。「若 飲 茶 時 当 願 衆 生 供 養 諸 仏 掃 除 睡 眠(もし茶を飲む時は まさに衆生とともに 諸仏に供養し 睡眠を掃除せんことを願うべし)」。善の影響が色濃く出ている呪文です。

茶道の流儀は多かれ少なかれ禅林と関係を保っています。多くは、京都・大徳寺でしょう。鹿倉時代末期、守護赤松氏によって建立された大徳寺は、戦国大名の庇護を受け、同時に彼らが嗜んでいた茶の湯とも関係を深めていきます。江戸時代には、大徳寺ー禁中ー侘び茶人といったある種のサークルが出来上がります。

これに対して南禅寺は、亀山法王が開基であったことから権威のある寺として位置付けられ、京都五山では、「五山の上」と別格として扱われてきました。江戸時代には、塔頭・金地院に住した以心崇伝が徳川幕府に重用され「黒衣の宰相」とも称され、崇伝の弟子は代々僧録として全国の禅寺院、禅僧を取り仕切る立場にありました。

崇伝が発した「禁中公家諸法度」がきっかけとなり紫衣事件が起きますが、この事件につきましては後日改めて。

茶筅

茶の湯では、抹茶を茶筅という道具(和製泡立て器か?)を使って、茶碗の中で泡だてながら撹拌します。茶の湯というと誰しもが頭に浮かぶ、ある意味象徴的な所作です。

小学生に茶の湯を体験してもらうという授業を担当しています。やはり、茶筅を使って「シャカシャカ」するのがイメージの中心なので外す事はできません。クラス全員分の茶碗と、三人に一つくらいの茶筅を用意し、茶碗に抹茶を入れ、お湯を注ぎ、自分で「シャカシャカ」してもらいます。

そうすると、何も説明せずとも泡立つ子が1/3、ちょっとコツを教えると泡立てることができた子が1/3。どうしても泡立たない子が1/3。なんとか、泡立てさせてあげたいと思うのですが、うまく説明することができません。「手首を動かさずに、指先だけで軽く振る・・・」とか、思いつくままに説明してみるのですが、うまくいきません。

皆さんは、そんか経験ありませんか?

小唄

小唄ってご存知ですか。

「祇園小唄」とか「ラバウル小唄」などは有名ですよね。でも、今回のお題はそのような◯◯小唄の事ではありません。敢えて言えば、江戸小唄。

江戸末期、二代目清元延寿太夫の娘お葉が、松平不昧公の歌に節をつけたのが始まりと言われています。概ね3分程度の小曲ですがイキな江戸っ子好みに仕立てられた作品が多いのも特徴です。清元はもちろん、芝居の名台詞や長歌、一中節、新内節の一節が引用されている曲も多々あります。

元々、小唄は座敷で芸妓による歌や踊りを楽しんだ後、口直しに軽く唄うのをよしとされていたので、ひと目につく機会が少なく、聴いた事がある方も少ないと思います。

そんな小唄ですが、私はかれこれ25年稽古を続けています。写真は、先月準師範のお許しを頂いた時のものです。