小唄〜『雨の宿』

「灰皿の煙草に残る紅のあと つい言いすぎた痴話喧嘩 もうこれっきりと言い捨てて 帰っ女の残り香が 未練心をかき立てて 音もなく降る雨の宿」

小唄松峰派代表曲のひとつです。小唄という邦楽ジャンルは江戸末期に誕生し多くの作品は明治、大正期に作られました。そんな中で、松峰派は初代松峰照師が昭和40年代に樹立。来年はその樹立55周年を祝う演奏会が三越劇場で開催されます。

私も、松峰照正として舞台に上がりますが、今回は『雨の宿』『ひとり暮らし』を唄います。番外の小唄振りでは『未練酒』『好きなのよ』をと、合計4曲を唄うことになり稽古に励んでいます。小唄振りとは、小唄に合わせて芸妓が振りをつけることを言います。お座敷で成長してきた小唄らしい出し物と言えると思います。

冒頭に書いたのは『雨の宿』の歌詞です。昭和も40年代になると女性の社会進出が進み同時に男女の間柄も変化してきていることが歌詞からも読み取れます。まず、「煙草に残る紅のあと」。立ち去った女性が残した煙草です。そして、女性は「もうこれっきり」と自分から縁を断ち切って去っていきます。戦前、ましてや江戸時代にはあり得なかった情景なのではないでしょうか。小唄を四半世紀嗜んできて、古典が描く男女の情景にどうしても共感できなかった身にはすーっと入ってくる世界です。

写真は、稽古のあと稽古場近くのタップルームで頼んだ「Masterpiece Dual」と命名されたAmerican IPA。名古屋のY Market造。いかにもAmerican IPAなホップのトロピカル感とガツンとくる苦味。アルコール度9.0とかなり高め。アブナイ。

うしとら

京都に行く楽しみの一つは、馴染みのタップルーム(生のクラフトビールを飲ませる店)。今日は、『うしとら』という栃木のブルワーと京都で大人気という夷川餃子のコラボ。

一杯目は、『セニョール三快天』というMexican Lager。メキシコのビールといえばコロナ。ライムを入れてラッパ飲みがお決まり。ということでか、ライムを入れているとのこと。キレキレ。店には、栃木からブルワー自身がプロモーションで来京。直々の話を聞きながらのビールはまた違った味わい。

写真は、うしとらブルワーのオオクマくんとのスーショット。

南禅寺開山忌

11月12日(日)京都・南禅寺で開山忌法要に参列してきました。南禅寺開山大明國師様の年忌法要です。宗徧流は、お家元が南禅寺で得度されるなど南禅寺様と深い繋がりがあります。4月には、流祖山田宗徧の年忌法要を南禅寺様で営んで頂いています。私の家は代々臨済宗南禅寺派に帰依していますので、開山忌と宗徧流全国流祖忌は特別な思いで臨んでいます。

日本に茶を持ち帰ったのが、栄西禅師であったということから禅林と茶の湯の関係は運命付けられていたのかもしれません。宗徧流では、稽古を始める前に全員で「喫茶呪文」を唱えます。「若 飲 茶 時 当 願 衆 生 供 養 諸 仏 掃 除 睡 眠(もし茶を飲む時は まさに衆生とともに 諸仏に供養し 睡眠を掃除せんことを願うべし)」。善の影響が色濃く出ている呪文です。

茶道の流儀は多かれ少なかれ禅林と関係を保っています。多くは、京都・大徳寺でしょう。鹿倉時代末期、守護赤松氏によって建立された大徳寺は、戦国大名の庇護を受け、同時に彼らが嗜んでいた茶の湯とも関係を深めていきます。江戸時代には、大徳寺ー禁中ー侘び茶人といったある種のサークルが出来上がります。

これに対して南禅寺は、亀山法王が開基であったことから権威のある寺として位置付けられ、京都五山では、「五山の上」と別格として扱われてきました。江戸時代には、塔頭・金地院に住した以心崇伝が徳川幕府に重用され「黒衣の宰相」とも称され、崇伝の弟子は代々僧録として全国の禅寺院、禅僧を取り仕切る立場にありました。

崇伝が発した「禁中公家諸法度」がきっかけとなり紫衣事件が起きますが、この事件につきましては後日改めて。